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そうか、ぼくが病院で眠っている間にニエベは亡くなっていたのか。ずっと一緒だった犬がクルマから庇い切れずに亡くなったことを知り、泣き出しそうになりながら親友と二人で家に戻った。玄関に入ると同時に母がタオルをポイと投げてきた。
「おかえりなさい。お散歩疲れたでしょう」
「いえ、いつも三人だったのが二人になっただけですから」と、言いながら親友はぼくの足をタオルで拭いた。ぼくもニエベの散歩に行った後は足をこうやって……
ぼくは激しい違和感に今更気がついた。なぜに親友に足を拭かれなければいけないのだろうか。
「おばさん、あいつに手合わせてきました」
「ごめんね。お葬式終わってから毎日でしょ?」
「おれ、それぐらいしか出来ないですから」
母は和室の襖を開けた。そこには豪華絢爛たる仏壇が置かれていた。誰の仏壇だろうか、ぼくの祖父母はまだ健在だし、ぼくの前に流産したような子がいるなんて話も聞かない。
それにこの和室は単なる和室だったはずなのにどうして急に仏壇なんて置いたのだろう。
ぼくは首を傾げた。
「あの子、お正月だからここにいると思う。いつまでも事故現場みたいな寒いところにいるとも思えない」
親友は電気ストーブの置かれた和室に通され、仏壇の前に置かれた分厚い座布団の上にちょこんと座った。ぼくもその横に並ぶように座る。
母は仏壇の観音開きを開けた。ぼくは仏壇の中にあった遺影を見て腰を抜かすほどに驚いた、なんと、その遺影はぼくの顔なのである。
ぼく、何で遺影なんかになっているのだろうか? なら、今目の前でそれを見ているぼくは誰なんだ。
「ニエベ、お前、ご主人さまいなくなって寂しいだろ?」
親友はぼくのことを「ニエベ」と呼びながら頭をいいこいいこと撫でた。その瞬間、ぼくは全てを思い出した。
十二月中旬のある日、ぼくはニエベと共に散歩に出ていた。そこに信号無視のクルマが突っ込んできたのだ。ぼくは反射的にニエベをかばい、クルマに跳ね飛ばされた。跳ね飛ばされた瞬間の記憶は全身を激しく打った痛みばかりで、それ以外は思い出せない。それ以降は『無』が続いた。夢を見ずに眠る状態が長く続いていると言った方がいいだろう。
その時にはもうぼくは死んでいたのだろう。年賀状が届かないのは慌ててぼくが死んだ喪中のハガキを書いたからで、正月らしいことをしなかったのもぼくが死んだ「喪」に服していたからだ。両親がおかしくなったわけじゃなくて、ぼくがニエベになっていて、ぼくの死を認識していなかっただけだったのだ。
「ニエベ庇って死ぬなんて…… お前、馬鹿だよ…… でも、そんな馬鹿なお前がみんな好きだったんだぞ」
親友は顔を崩して泣いていた。それから独り言のように事故以降のニエベの様子を語り始めた。
「ニエベなあ、お前が庇ったおかげで傷一つなかったんだぞ……」
良かった…… 良かった…… ぼくは感極まり叫びそうになる。
「でも、ずーっとお前の部屋のベッドの上でお前の帰りを待ってるんだよ」
帰れなくてごめん。そうとしか言いようがない。そして、待っている間にぼくがニエベになると言う結末か。これからはずっと一緒だと喜ぶに喜べない。
こいつの体だって、随分な年齢だ、それを証拠に加齢からくるニエベ(ぼく)の目は白内障で白く濁り始めている…… この体でいられるのはそう長くないような気がする。
ぼくは、自分の仏壇の前で自分と惜別した悲しみの遠吠えを上げるのであった……
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