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 二人の関係に転機が訪れたのは、聖子の母親の死であった。  母が亡くなり、聖子にはもう中山の顔色を伺う必要はなくなっていた。会社を解雇されても、自分ひとりだけで生きてゆけばいい。聖子はもう、母の為に自分を偽る必要はなくなっていた。  聖子には中山との関係を続ける理由はなくなった。しかし、もしかすると中山は、聖子との関係を恋愛と思っていた(ふし)がある。あるいは、聖子がまだ自分の支配下にあると思い込んでいたのか。そんな彼は不用意な発言をした。 『合気道部に今年、好みの生徒が入部したんだ。お前との付き合いは長いけど、その子と上手くいったらお前とはお別れだな』    中山が何を思いそんなことを口走ったのかはわからない。どんな時でも従順で、心の痛みを隠し平静を装い心を殺す聖子は、サディストである中山にとって劣情を満足させるに十分であったろう。支配しながらも突き放すのは、サディスト特有の愛情表現だ。もしかすると中山は、女を憎み、いたぶりながらも女に愛されたかったのかもしれない。もしそうであるなら、奴隷である聖子から贈られた手編みのマフラーは、中山の心を強く揺さぶり最高のエクスタシーを与えたのではないか。彼はその、マフラーを用いられ殺害された。    これまで硬く口を閉ざし、必要最小限しか話さなかった聖子は、中山の被害者が声を上げはじめたことを知ると、事件の顛末を語りはじめた。  殺害を決意した理由は、確かに中山の言葉だった。しかし警察と検察、そして世間も皆、誤解していたのだ。聖子が中山を殺害した理由は、別れ話を切り出されたからではなく、これ以上自分のような被害者を出したくない一心(いっしん)からであった。    松本聖子は、運命に耐え懸命に生きてきた母親の姿を見て育った。聖子は、母の教えを頑なに守り生きてきた。母親が運命から解き放たれたとき、聖子もまた母親から解き放たれたのではないか。  中山だけではない、世間の無理解と誤解は、目に見えない牙となり、無垢な少女聖子の心と体を深く傷つけていたに違いない。
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