第五話

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第五話

 自動ドアが開くと、駅前の喧騒を凝縮させたものがそこにはあった。ワイワイガヤガヤと喧しく、嬌声も時折混ざる。その中で懸命に店員が声を張り上げている。  ある者は席を先に取ろうとレジに並ばずに階段を上がり、またある者は店員に向かって暴言を吐いていた。  レジの後ろと脇とに貼られたメニュー表に混ざって「お席の先取りは禁止です」と張り出されているのに。  掌からぬくもりが離れる。 「世界が終わりに近づいていても、人って変わらないよね」  名城がポケットからスマートフォンを取り出して操作している。  真横からだと見えないが、恐らくクーポン情報を呼び出しているのだろう。 「なんて。お金とかもう関係なくなるのに割り引いてもらおうなんてしてる、わたしも同じか」  予想は当たったようで、名城はぺろりと舌を出して笑っていた。  ぼくも自分のポケットから同じくその小さな筐体を取り出して、スワイプする。  不思議だ。  ほんの数年前までこれは、ショルダーバッグのように肩掛けする無線機であった筈なのに、いつの間にやらこんなにも小さく軽く便利になって、誰も彼もが肌身離さず持つ品へと姿を変えた。  勿論、ぼくも例外ではなく、 「えと、この561番と42番をひとつずつ」  なんて、順番が来たら表示されたお得情報を店員に伝えていた。 「にぎやかだねー。どこも」 「そうだね」 「終末だなんて、思えないよねー」 「そうだよね」 「ねえねえ、あれカップルかな?」 「そうかもね」 「あ、あの人、髪型ヘン!」 「ほんとだね」  ぼくと名城は、運良く空いた手近な一階の窓際の席に並んで座っていた。  そこから見えるガラス一枚隔てた世界を観察しながら、名城は次から次へと感想を口にした。  ぼくは、応えるのに精一杯で。  けれども名城は、時折笑ったり、口を尖らせたり、頬を膨らませたりと、相も変わらずひとり百面相をしている。  ぼくらは、包みを半分開けたハンバーガーに齧り付きながら喧騒の一部になって、ぼんやりと会話とも言えない会話を続けた。  席と席との間隔が狭く、気をつけなければ腕が当たりそうになる。  ジュースを取ろうと手を伸ばし、気づく。  先程教室で見た時よりぐっと距離が近いことに。  黒々とした睫毛がひとつ、まるを形作っている右手の親指の付け根に音もなく落ちた。 「聞かないんだ」  ふいに名城がそう漏らした。  ぼくは、名城の指に乗っかったその短い一本から目を離し、首だけ名城の方を向き、目を瞬かせる。 「えっと、何を」  ぼくの返答は不服だったらしい。  名城は大きく肩で息をすると、ハンバーガーの入った包みをトレイに置いてぼくを見た。睨まれているように、見えなくもない。 「何って。わたしが地球残留決めた理由だよ」  ああ、とぼくは嘆息して、でも、と思う。 「え。名城さん、それ・・・・・・聞かれたくないんじゃなかったの?」  ぼくがこう尋ねたのには理由があった。  クラスメイトから猛反対を受けていた名城は、けれども最後まで残留を決めた理由を話さなかったのだ。  名城はともかく最初から最後まで「もう決めたから」を貫いていた。  隣の席のぼくとしては、言いたくないのだなと思っていたのだが。  名城が頭を振った。どうやらそうではないらしい。 「そんなことないよ。本当は言いたくてうずうずしてた」 「うずうず」  だなんて、自分からは遠い言葉だなぁと、思う。  とても人間的で語弊があるかもしれないが、ぬくもりがある言葉だと思ったからだ。  反芻したぼくは、「じゃあ」と口を開き、 「なんで、言わなかったの」  おそらくこれが正解だと思われる言葉を吐き出した。  名城が口元を緩めた。  どうやらぼくは無事正解に辿り着けたみたいだ。 「なんでだと思う?」  そう思ったのも束の間、今度はその理由を言わなかった理由を答えることを求められた。  なるほど。名城明日歌は、ちょっぴり面倒くさいかもしれない。  仕方がないので、指先を顎にかけ、考える素振りをする。 「うーん。そうだなぁ。何かこう」 「何かこう?」  名城がぼくの方に身を乗り出す。  ぼくは、名城とくっつかないよう身を反らしながら、自分の隣の席のサラリーマンらしき男性にもぶつからないよう身を縮こめる。  狭い。何だかとてつもなく狭いぞ。 「荒唐無稽な」 「荒唐無稽な?」 「・・・・・・ことを言おうとしていた?」  最後は一息に言うと、名城の顔はもう目の前だった。  虹彩まではっきりと確認できるその距離。  初めて知った。名城の瞳は、茶色をベースとして少し灰色が混ざっている。  目の前のふたつの瞳が、閉じて開いた。 「すごい! せいかいっ!」  破顔一笑。  歯を見せて。なんて無防備なのだろうか。  刹那、心臓が早鐘を打ちそうになる。  ぼくは必死で心を落ち着かせようと鼻から息を吸い、口から細く長く吐き出す。 「どうしたの?」  流石にぼくの感情に波があったことに気がついたのか、名城は小首を傾げた。  その仕草が妙に態とらしくて、ぼくの心音は平常時のペースを取り戻しかける。 「それで、何を言おうとしてたの」  ぼくの質問に、名城は体を起こして前を向き、ポテトを一本手に取った。それを徐に半分に割ると、片方を口に放り込み、こう言った。 「うん。あのね、エスノセントリズムって聞いたことあるかな?」
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