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そんな彼との交流は、さほど長い期間は続かなかった。
僕が三年生になった年、おじいちゃんが免許を返納することになり――使わなくなるその車を売りに出すことに決めたからだ。
おじいちゃんはお店に買い取って貰うと言っていたが、あっちこっち傷もヘコミもあって何より年季が入りすぎているその車が、どこかで売れるとは僕でさえも思っていなかった。きっと両親も同じであっただろう。車はきっと廃棄処分にされてしまう。バラバラになって、捨てられて、もう車ではなくなってしまうことになる。それを知った時、僕はわんわんと声を上げて泣いた。なんせそれはつまり、僕の小さな友達ともお別れしなければいけないことを示していたからだ。
「なんだよ、泣くんじゃねえよ。わかってたろ、いつかこういう日が来るってことはよ」
お別れの前の日。雪は降っていないけれど、それでも随分寒い冬の日だった。縁側で、僕の膝の上で丸くなったチビクロは、そう言って曲がった尻尾を揺らして見せた。僕の膝の上に、確かにふさふさした毛の感触はあるのに、サイズを加味してもなお驚くほど軽いその体。
チビクロは、とっくの昔に死んでいる。今はあくまで、おばけとしてそこにいるだけだ。いつかちゃんと、“友達”と一緒に天国に行かないといけない身である。幼いながらわかっていたけれど、それをきちんと飲み込むにはまだ僕は子供すぎたのだ。
だから、泣いて首を振ってばかりの僕に、チビクロはいつになく優しい声で告げたのだる。
「誰だっていつか死ぬ。永遠に一緒にはいられない。でもな、一緒にいた事実は消えないんだ。死んでも、一緒に生きていくことはできるんだよ」
「何それ……」
「わからねえかな。……俺は、お前のココにずーっといるってことだ」
ぴょこん、とチビクロは僕の胸の中に飛び込んできた。僕は驚いて縁側に尻餅をつきながらも、しっかりとチビクロを抱きしめた。ちびくろは肉球でぷにぷにと僕の胸を押しながら、ニャア、と初めて猫らしい甘える声を出したのだ。
「お前が忘れないでいてくれればさ。俺はずーっと、お前のココにいられる。お前のココからはいなくならない。だから、大人になってもずっとずっと……忘れないでくれよ、“友達”のことを」
それが、僕とチビクロが交わした、最後の会話。
翌日車はどこかに運ばれて、そして二度と戻っては来なかった。ガランとしたガレージにもう“友達”の姿はなくて、僕は暫く泣いて過ごし、両親に思い切り心配されたものである。
連れて行かないで。あの車には友達がいるんだよ――僕は何度そう、おじいちゃん達に言ってしまおうと思ったことか。もし僕がそう頼み込んでいたら、少しは結果は変わっていただろうか。否、きっと多少先延ばしになることはあっても、結局は同じ結末だっただろう。後で知ったことだが、当時おじいちゃんは免許の更新で検査項目に引っかかっており、認知機能がだいぶ落ちてしまっていたらしい。事故を起こしたりしてしまう前に、免許返納を選んだおじいちゃんは十分に立派であったのだ。
――車と猫は友達、か。
今、僕は大学生になった。今年の夏になったら、免許を取りにセンターに通う予定である。
おじいちゃんの家に車はなくなったが、両親と一緒に住んでいる自宅には軽自動車がある。今でも時々、しゃがんでマフラーを覗いてしまいたくなるのは事実だ。勿論そこで、僕の“友達”と眼があうことはなかったけれど。それでも時々、“友達の友達”の姿に気付くことはあるのである。特に夏は、車の下は猫の避暑地として最適なのだ。
だからそのたびに、車を出そうとする両親に注意を入れるのである。チビクロとした約束を、きっちり守り続けるために。友達に、友達を傷つけさせることがないように。
――忘れないよ、チビクロ。忘れない限り……友達はずっと、ココにいるもんな。
遠い冬の日を、しっかりとしまった胸の奥。
いつでも君の声は聞こえている。僕が望む限り、ずっと。
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