こぼれ話 最後の客

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「優子さん、ごめんね」 「え?」 「結局は、あなたに母親役を押し付けちゃって……世間からの母親失格の烙印なんてどうでもいいけど、実際問題、私は母親の役割を果たせていない……不甲斐ないにもほどがあるわ」  舞はまた徳利から酒を注ぎながら、ふっと小さく笑った。 「そう思うなら、甘やかしてくれる人相手に管巻いてないで、息子と一緒に食事でもしろって話よね」  舞は、思い詰める代わりに酒のペースが早くなる傾向があった。今のように。 「そうだ、優子さん、いつか光貴と一緒にご飯食べに来てもいい? 少なくとも家よりは和やかに食べられそう。あの子も優子さんのご飯好きだし」 「それは……」  自虐的な響きだった。舞は傘下の店の料理人を週に数度呼んで食事を作らせていた。それは新作料理の確認であったり、新人の研修も兼ねていた。舞と光貴の家の食卓は、いまや半分は仕事の延長となっていたのだ。  それは舞の仕事にかける誠実さと真剣さによるものだと優子は理解していた。だから、そんな風に言う姿は悲しかった。 「そんな風に言うものじゃないわ」 「……ダメ?」 「ダメじゃないけど、私が間に入れば、あなた達同士で会話が弾まなくなったりしない?」 「大丈夫よ~既に会話なんてゼロだもん」 「ああ、もう……」 「でも、本当に来てみたいとは思ってるのよ。ほら、普通の時間に来てるお客さん達。あの人たちの賑やかな感じに混ざって、お互いに好きなもの頼んで、もしかしたら同じものが好きだったりとか……そんなことがあればいいなって……思うわ……」  思うまま話すうち、舞はふらふらし始めた。そして重そうに瞼を持ち上げていたが、ついに閉じてしまった。数秒後には、微かな寝息が聞こえてきた。  いつもはお銚子2本ほどでこうなるのだが、今日は3本飲み切っている。いつもよりもった方だ。(ちなみに優子はザルである)  優子は店の奥からショールを持ってきて、舞の肩にかけてやった。そして、店の入り口に向けて声をかけた。 「入ってらっしゃい。もう寝ちゃったわよ」  優子がそう言うと、店の前に立っていた人物がおずおずと戸を開けた。そして視線をさ迷わせながら、そろそろと光貴が入ってきた。  中学の間は寮に入っていた為、舞が優子の店の常連だったと知らなかったのだ。今のように再び山南家に頻繁に来るようになって、光貴は舞の行動を知った。そして、舞が来るたび、こうして迎えに来ているのだった。  だが起きている舞を連れ帰った事は、まだ一度もない。 「その……うちの母親が、迷惑かけてごめんなさい」  入るなり、舞と同じようなことを言う光貴に、優子は思わず笑みをこぼした。 「いいのよ、舞さんとの晩酌は、私大好きだもの。むしろ毎回こうなるまで付き合わせて申し訳ないくらい」 「そんなの、お母さんが気にしなくても……」 「あ、それダメよ!」  優子は、光貴に向けてぴっと人差し指を立てて見せた。少しより目になりながら、光貴は戸惑っていた。 「あなたの”お母さん”は舞さん。ちゃんとそう呼びなさいって言ってるでしょ?」 「いきなりはちょっと……」 「そう言って先延ばしにしてると、永久に言えないわよ。こういうのはね、慣れなの。大丈夫、最初の一回を乗り越えたら、あとはするするっと何回でも言えるようになるわ」  光貴は、きまり悪そうに頭をガリガリ掻くと、黙って舞の肩に手を回し、そのままひょいと背負った。優子から舞の手荷物を受け取り、歩き出したが、入り口付近で、ぴたりと足を止めた。そして、少しだけ振り返り、何やらもじもじしていた。 「その……今度本当に、お店の方に来てもいい?……二人で」  そう言って、光貴自身と、舞を指さした。  以前よりもずっと大きくなった図体で、そんなことをもじもじしながら言う光貴が、優子はとても可愛らしく見えた。 「もちろんよ。舞さんにはああ言っちゃったけど、いつでも来て頂戴」  光貴は、照れ臭そうに笑うと、踵を返した。小さく会釈をして、敷地の外に停めてある車までしっかりと歩いていく姿は、もう震えて泣いていたあの小さな子供ではなかった。  きっと大丈夫……優子はそう思った。  その時、今度は店の奥から声が聞こえてきた。 「やれやれ、浮かれ小僧はやっと帰ったか」 「母御前、お手伝いに参りました」  帰りが遅くなっていたからか、治朗と僧正坊が店じまいの手伝いに来てくれた。   「ありがとう。早く帰りましょうか」  自分には、藍と、この天狗達がついていた。そのおかげで、色々な苦難や苦悩と向き合うことができた。  誰もかれも、一人きりで、一瞬で奇跡を起こすことなどできはしない。だが一歩ずつ、ほんの少しずつなら進んでいける。それを積み重ねれば、いつか奇跡と同じ事を起こせるのではないだろうか。  優子は、最後の客の後姿を見て、そう思った。切に、願った。
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