アンジュ公爵領へ

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アンジュ公爵領へ

夏の好天の下、二日でアーヘンまで到着。今回は十分準備していたので、道中であった人が奇異な目で見る事も少なかった。あくまでも去年の逃亡劇の時と比べればだけれど。  でもせっかくコンツ男爵にお願いした偽名を使う前にアーヘンの城門の前で知り合いの警護役に見つかってしまった。 『あれ?アンさんその恰好は何ですか?髪も整えたんですね。そうして見るとホントにいい女ですね』 『何をおっしゃいます。アンってどなたの事ですか?』 『またまた。アンさんの事見間違えるわけないじゃないですか』  私は彼の傍に行くと小声で話した。 『ちょっと仕事の邪魔しないで下さいな』 『また替え玉の仕事か何かですか?』 『まあ、そんな所』  小声でそんな話をしていると、先ほどの声を聞きつけて荷主までやって来た。 『アネット・ロンさんがいるって本当ですか?』  止めてよ。頼むからほんと止めて。  荷主に向かって『黙れ』のゼスチャーをしたら、分かってくれたみたい。でも既に手遅れだった事が後から分かった。  城門の傍の馬を預けられる宿に部屋を取ったんだけど、部屋に入ってしばらくするとノックの音が。 『エレナ・フォン・コンツ様にお客様です』  お客様?お客様ってどう言う事?エレナ・フォン・コンツなんて架空の人物に客が?もし私の事だって分かったとしても、私がここに泊まってる事を知ってるってどういう事? 『取り合えず入って戴いて』  左袖の投擲用ナイフに手を掛けながらそう言うと入ってきたのは商人のような服装をした男性。  私の右手を見ると手を前に出して制止した。 『私は敵ではありません。アネット様』  初めて来た土地なのに何で皆私の名前を知ってるの? 『あなたは何者ですか?』 『ランベルト様の手の者です』  またランベルトの手先が。帰ったら会いたいとは書いたけど、余計な事をしろとは書かなかったはずなのに。  ベッドに腰を落とすと、首をがくっと落としてがっかりした事を体で表現した。 『ランベルトが何か?』  思いっきり嫌そうな声で言ってやった。 『ナタリーさんからアネット様がアンジュ公爵領へ向かわれるので支援してほしいと言う依頼が来たのです』  ああ、そう言う事。確かにナタリーさんには悪い事したと思う。 『それじゃあ一つお願いしたい事があるわ。マリー様の侍女をしていたアメリと言う女性の事を探して欲しいの。今何処にいるか調べられる?私はモンスでは顔が割れてるから』 『アネット様の侍女だったアメリ様ですね。モンスの要員に問い合わせします』 『私は養父母の家に向かいますから、結果を後で教えて貰える?』 『アーヘンまで戻って来られるんですか?』 『いいえ。養父母の家はナミュールとリエージュの間の小さな村にあるから、その周辺で待ち合わせ出来ないかしら?連絡と調査にどれ位かかりそう?』 『一週間後にナミュールでは如何でしょう?マース川にかかる橋の北側の宿にエレナ・フォン・コンツの名前でお泊り下されば、現地の要員が連絡に上がります』 『それでお願いしますね。ただ……』 『何でしょう?』 『私の跡をつけて養父母の家を探ろうとしたら只じゃ置きませんから』 『めっそうもない』 『なら良いです』  それにしてもモンスにもランベルトの手先がいるなんて。まあ公爵家が秘密にしてたマリー様の死亡を確認した位だからかなり入り込んでるわね。状況によっては私が彼らを狩る立場になるかもしれない。  そう言えばナミュールのマース川にかかる橋の北側って城の直ぐそばじゃない?去年アメリさんと泊まった所。確か窓の直下にマース川と橋が見えてた。  まさか見つからないよね。きっと。  次の日にはアーヘンから南の街道をリエージュへ向かう。途中一泊した後到着したリエージュには先年の反乱と公爵家軍による制圧の跡が生々しく残っていた。火災の跡や半壊して放置されてる建物があちこちにある。  コンツ男爵の傭兵団で出会ったフランソワさんの言葉が蘇える。 「民は兵に取られ、農地は荒れました。我々はそのため郷里を捨て流民となった者です。王家との関係が改善され戦が無くなれば我々も郷里に帰る事が出来るのです」 「国王陛下の姪でエリック様のお子様であるアネット様が公爵家の主となれば、王家との確執も解消されるでしょ。どうか我々の願いをお聞き下さい」  正直私には政治の事はまるで分からない。エリック様が何故王家と三度も戦をしたのか?何故帝国と同盟しようとしたのか?  でも戦になれば犠牲が出るのは分かる。フランソワさん達が傭兵団に参加して戦争する側に回りながら、平和を求めるのは矛盾してると思うけど。  私は帝国の宮廷に向かった時から離宮を出奔するまでの短期間しか貴族として生活した事がない。正直、王族や大貴族の義務を要求されても困る。  でもアネット・ド・アンジュの出自、自分の意図から離れて一人歩きする評判が庶民にある種の希望を与えるなら、それを簡単に切って捨てる事は私には難しくなっていた。
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