メリーグレイス、あるいはケモノの耳をもつ戦乙女

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「まさか品切れとはなぁ。おかげで駅前のコンビニまで行くハメになるとは……」  両手に買い物袋を下げた信一は、エレベーターを降りてきた福原と鉢合わせた。 「……おはよう」 「え……福原さん? そんな大きなマスクしてるから、誰だか解らなかったですよ」  俯いたままの祐美は、信一の脇をすり抜ける。 「あ……待ってください! 昨日、メリーの服を間違えて持っていってませんか!」  信一に呼び止められた福原は、身体全体で驚きの反応を示す。その際、身に着けていたマスクが外れてしまった。  そして、彼女は振り返る。 「なっ⁉ その顔どうしたんですか! すっごい腫れて……誰にやられたんですかっ」 「旦那にね。ねえ……江田くんは、なんで二次元の女性が好きなの?」 「そんなこと……いきなり言われても。取りあえず、ウチで手当てしましょう!」  信一は買い物袋をまとめて片手で持つと、福原の腕に手を伸ばす。  その手を福原は叩き落とし、上着のポケットから出刃包丁を取り出した。 「ズルいよね、理想の塊が相手だし。私は都合のいい女で、愛情なんて無かったんだよ」 「ちょ……ちょっと、福原さん⁉ 取りあえず、落ち着いて!」  鼻水と涙が垂れ流しになっていた祐美は、信一に背を向けて走り出す。  信一の制止は、彼女の耳に届かない。その後を追いかけようとして、踏みとどまった。 「まさか……メリー‼」  エレベーターは別の階に呼ばれていた為、すぐ横の階段を一番飛ばしで駆け昇る。  自宅玄関の外側についたドアノブには、メリーグレイスの服が入ったブティックの紙袋と、コンビニの袋が大量に引っかけられていた。  ドアには、こじ開けようとした跡などは見られない。信一は、震える手で鍵を開ける。 「護りました! エダ! 私『ルスバン』できましたよーっ」  と、飛び出してきたメリーグレイスが抱き付いて来た。よろめきながらも抱きとめた信一は、背後の手すりまで押しやられてしまう。勢いが良すぎたが故に、二人は手すりを飛び越えてしまいそうになるものの、事態に気が付いたメリーグレイスが引き戻した。 「あ、危なかった……怪我はない? それと、誰か来なかった?」 「昨日の……ええと、フクハラサン? その人が来ましたけれど『スルバン』って命令でしたので、『ごはんを食べよう』と言われても入れませんでした! でも『お団子もあるよ』と言われた時は危なかったです……」  信一は心底ホッとすると、持ちきれない程の袋たちをメリーグレイスに預ける。 「ご飯にしよう、と言いたいけど……ゴメン! また出かけなきゃいけないんだ」 「大丈夫です。なんとなく聞こえてましたから、何が起きたか理解できてます」 「聞こえ……って、何を?」 「エダとフクハラサンのやり取り全部です」  たゆん、と胸を張るメリーグレイスに、信一は目が点になった。 「嘘だろ、ここ七階だぞ! 部屋の中にいたのに、一階の声が聞こえてたの⁉」 「もちろんです。その位できなきゃ、“聖域の番猫”を名乗れませんもの! フクハラサンがここに来た時も、足音がエダとは違っていたのですぐわかりましたしっ」 「そ……そうなんだ。じゃあ、行ってくる。ご飯は先に食べててもいいから」 「はい、『ルスバン』してます! ご飯はエダと一緒に食べたいので、待ってますっ」  腹を鳴らすメリーグレイスは、誇らしげにニットキャップをかぶり直した。  メリーグレイスに見送られた信一は、丁度止まっていたエレベーターに飛び乗った。  一階に着いて扉が開くと、仁王立ちをした警察官と鉢合わせした。 「お、おはようございます……たしか、昨日送ってくれた警察の人ですよね?」 「そこで酷いケガをした女性を保護したんだ。君、何か知らないかな」 「そいつ、ウチの――」  言葉に詰まった信一は、メリーグレイスを指して何と呼べばいいか悩んだ。 「――ウチの同居人を刺そうとしたんです! 殺人未遂です、逮捕してくださいよっ」 「知ってる。そう指示を出したのは、俺だからな」  警察官は拳銃を取り出し、撃鉄を起こして信一に狙いを定めた。  明確な殺意を向けられ、信一は声も出せなくなってしまう。「奥へ詰めろ」という指示におとなしく従うと、警察官も銃口をおろすことなく乗り込んできた。  エレベーターの扉がしまり、警察官は後ろ手で七階のボタンを押す。 「二次元こそ完璧な存在であるハズなのにちくしょうお前は二次元の住人なのにそりゃねぇよ俺がお前をどれだけ愛していたと思ってるんだよそんなの求めちゃいねぇよなんでだよ勝手に三次の女になりやがってそんなのアイツと同じ存在になったって事じゃねぇかそしたらさお前も殺さなくちゃいけないだろ、なあ、メリーグレイス‼」  警察官の全身から発せられる狂気を、信一は真正面から浴びせかけられた。身動きできなくなくなり、歯の根も合わず、息をする事もままならない。  エレベーターが停止し、ゆっくりとドアが開く。  帽子をとった無表情のメリーグレイスが、警察官の背後で仁王立ちをしていた。 「私は、この世界に来るまで一つのことしか知りませんでした――」  背後からの声に驚き、振り向いた警察官は驚きに目を丸くする。 「何故だ俺はこんなにも愛しているのに何故その男を選ぶゆるせんお前もあの女と一緒だ浮気するんだ俺を裏切るんだそんなクズは今すぐ死ね! 死ねっ! 死ねぇぇぇっ‼」 「――向かってくる敵を倒すか、倒されるかです」 「そ……それじゃダメだぁぁっ‼」  絞り出されたような信一の声に、メリーグレイスの瞳に光が戻った。  薄ら笑いを浮かべる警察官は、メリーグレイスに銃口を向けて何度も何度もデタラメに引き金を引く。  だがメリーグレイスは、至近距離で飛来した銃弾全てを難なく切り捨てる。更に、警察官の持っていた拳銃と着ていた服、それに加えて全身の生皮も削ぎ落した。  それは、警察官の脇をすり抜けざまに行われた一瞬の出来事だった。  見るに堪えない姿となった警察官は、ゆっくりと背後を振り返る。  双剣を構えるメリーグレイスと、その背後にいる信一の姿をみるなり腹の底から笑い出す。笑ったままエレベーターを歩いて降りると、正面の手すりに足をかけて飛び降りた。
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