一 三輪との出会い

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                    基地内では、本部から離れた場所に兵舎があるが、幹部クラスになると、それとは別の棟に個室があった。機密とされているが、本部に近い建物と、大体の場所はわかっている。  が、そこに近づくのは難しい。  親の代から基地従事者ぐらいでないと、タオルの交換もさせてもらえないので、カナタはいま初めて、高位士官の個室フロアに足を踏み入れた。  まず、厳重なボディチェックを受ける。作務衣のポケットの中に硬い異物があって、警備官の顔を強張らせた。が、以前、主任に貰った、ワオウ島土産のパイン飴だった。 「あ、入れっ放しになってた。すみません」  念の為、没収となる。それから、金属探知機を、くまなく当てられ、「異常なし、入って良し」となり、ようやく士官個室フロアへの扉が開けられた。  さほど広くない通路の、左側は、南国植物が地面からライトアップされている坪庭になっていた。  このフロアにあるのは五室だから、五人の士官が見るだけの庭だ。──それに、専任の清掃係や、『慰頼』されて来たホストが見るぐらいか……。 「P9の扉の前に立て。十秒間だけ開くから、その間に入室。入ったら、前室の椅子で着席して待機。定位置から動けば体温検知センサーで分かるので、無駄な動きはしないこと」  理解できたかの確認もされなかった。その後、すぐに扉が解錠される音がしたので、カナタは慌ててP9と表示された部屋に入り、言われた通りに前室にある椅子に座った。  下が収納になっている四角い椅子だった。そこから動かない様に、カナタは辺りを見渡す。  右の壁に埋め込み式のテーブル、左側の角にロッカーがあるだけの前室だった。ロッカーも、一般職員用の薄いものではなく、一級規格品の雰囲気だった。少々、叩いても凹まない……もし、先程のホストの調子でやったら、手の骨の方にヒビが入ると思われた。  やがて、壁の向こうでフロアの扉が開く音がして、規則正しい靴音が響いた。カナタの背後でピタリと止まると、カードキーで解錠する動作の後、ノックもなしに扉が開けられた。  彼の自室なのだから、当然そうだ。──三輪が、入って来た。すでに、水色の待機服姿だった。 「──驚かせたかな」  急に入室したことに? それとも『慰頼』したことの方……?   カナタは首を九時の方向へ曲げ、会釈だけした。  立ち上がって敬礼もするべきかと思うが、動いたら、体温検知センサーとやらが作動するかと思った。 「前を失礼、……テーブルを出すよ」  三輪は右側壁のテーブルを引き、互いの前に出した。それに左肘をついて、カナタの前の椅子に斜めに座る。こうしないと、膝が突き合うほど狭いと知っていて、だった。  かなり近くに、三輪の顔があった。ナイトラウンジの時と違って、肌が生々しく見える。日焼けしているが、きめ細かな若い肌だった。 「早速ですが──」  この切り出し方は、前にもあった気がして……初対面の時だとわかった。早速、ソラタはどうしているかと尋ねられたのだった。  三輪は温厚そうな印象と裏腹に、端的な物言いをすることがある様だ。それから、 「答えは是ですか、否ですか?」  と、本当に、端的に言ってきた。  カナタは驚く反面、そういう風に聞かれると、逆に答え易いと思いながら── 「否です」  負けず劣らず、率直な返事をした。 「それは何故?」 「俺……私、なんかより」 「俺、で、いいです。前にも言いましたよね?」 「ですが……」 「自分も私的な場では、俺と言っています」 「じゃあ……俺、なんかより、若くてキレイなホストが、他にいるはずです。」 「カナタさんは、二十七歳ですね。確かに、それより若い人はいます。しかし、キレイと言うのは、個人の好みによりますが──自分は、貴方はキレイだと思っています。それに、これも前に言いましたよね?」 「いえ、でもだって──こんな混血しまくりのなれの果てみたいな容姿、いわば、雑種ですよ。純日本人からしたら、見苦しいんじゃ……」  急に、三輪が険しい表情を──確かにした様な気がして、カナタは黙った。 が、目の前の三輪は、特に変わりはなかった。 「自分は、貴方には日本人に近いものを感じます。……その髪の色は生まれつきですか?」 「これは、そうです」  後ろで結びきれずに、肩口に垂れた髪を摘まみ、天然の茶毛だと三輪に見せる。写真で見た限りの母親譲りの髪色だった。 「実は、テレビに貴方が映った時、とてもキレイな色の髪だと──真っ先に、そう思ったんです」 「……えっ?」  ガジュマルの木漏れ日の中、病室にいた自分の髪が──そんなにキレイに映っていたのだろうか、と……カナタは思った。 「それから、キヅキという姓を見て、日本がルーツなんだと思った。その時から、貴方は日本人の様な気がしています。……もし、貴方の誇りを傷つけていたら、すみません」 「い、いえ」  純日本人に、日本人に近く感じると言われるのは──悪く取れば厭味かと思うし、真に受ければ面映ゆいが、三輪に言われるぶんに悪い気はしなかった。  それどころか、三輪の目や態度を見ていると、本気で誉められているのだと伝わって、体の内部が火照った。体温検知センサーが、変に作動してしまうかもしれない──そんな気持ちになり、カナタは焦った。  一方の三輪は、平然と話を続けた。 「そして、息子のソラタ君は、本当の日本人に見える、とてもかわいらしい寝顔だった。遠い場所で、自分と近い人達が、GMで傷ついていると知って──ワオウトウ基地に配属されたら、お会いしたいと思っていました。こんなに早く実現するとは思いませんでしたが……」 「──じゃあ、この基地に来たのって」 「志願しました。端的に言えば、貴方に会う為に」  自分の顔が真っ赤になっているだろうことは、何も見なくてもわかる。カナタは火照った顔を隠すことも出来ず、せめて真下に向けた。 「貴方に、会いたかったんです」 「──あの報道を観て、そんな風に思いを寄せてくださっていたことは、か、感謝にたえません」  何とか大人の体裁ぶって、そう三輪に伝える。すると、三輪は── 「そして、お会いして、お話をしたら──もっと親密に話したいと思う様になりました。あのラウンジでは、それは出来ないから、今回、こういう方法を択らせてもらいました」  と、少し顔を近づけ、告げてきた。 「そ、それで、こんな『慰頼』なんて手段を使ったんですね──ああ、よかった」 「よかった……?」  言葉通りの意味だったら、どうしようかと思いました──カナタは三輪の顔を窺った。……冗談など、まったく通じなさそうだったので、そう言いかけた口をつぐむ。  すると── 「言葉通りの目的ですが……それでも?」  三輪は、さらりと言った。  言葉通りという、その言葉の意味がわからず、カナタは目を瞬かせた。 「貴方に、慰めを頼みたい」 「──ど、どうして、俺に……?」  カナタは、今度は瞬きも忘れて目を見開き、うろたえた。 「さっき、言った通りです。最初に見た時、淡い茶色の髪がとてもキレイで、日本にルーツがあることから近しみを感じ、貴方の子を思う愛の深さに惹かれました。実際に会ってからは、漢字などの話も合うし、聡明だとも思った。もっと話したいし、親密になりたい──から、です」  三輪の言葉は理路整然としていて──迷いがないのに、カナタの思考は目茶苦茶に、さ迷っていた。そのことに、少しキレ気味にもなる。 「いや、だから! ……この基地には、もっと見た目はキレイな、軍人専門に配属されたホスト達がいるじゃないですか。どうして、俺なんかが──俺は掃除係の、ただのシングルファーザーですよ!」 「自分が、命をかけて守っているのは、そういう、弱い立場にいる人達です。──だから、せめて一時の慰めを、お願いしてはいけませんか?」 「…………」 「自分は、貴方の息子を守ることはできなかった。けれど、もしGMが発生すれば、命をかけて出動します。明日の今頃も、こうして生きているか、わかりません」  それは──そうなのだ。  GMはいつ何時、発生するかわからない。基地の近隣でなくても、要請があれば出動する。無事に生還できる保証などない。 「──命をかけて、戦ってくださっている軍の方を、心から尊敬しています。でも、そんな特別な方だからこそ、それ相応の人間が、お相手するべきだと思います。俺みたいな、雑種な人間なんかは──」 「その、雑種という言い方、やめませんか。人間に使う言葉ではないし、自分は好きではありません」 「……は、すみません」  いつも穏やかな三輪の、尋常ならぬ様子に、カナタは竦み上がってしまった。それで、いつからか右手を掴まれているのに、少し経ってから気づく。  力強い、それでいて優しい手だった。そこから、自分を求められているのが伝わってくる。……これでも子の親だから、愛情を求められている時のことは、よくわかる。 「どうしても、是と言ってはもらえませんか……?」  三輪の目、声、言葉、息遣い、握られた手からも、性愛を欲してだけの意味で言っているのではないのが伝わった。  三輪は本心から、自分が守る一般市民から、ありがとうと言って労ってもらいたいのだ。この男にとっては、その相手は自分以外には、いまはないのだ──…  ──それに、この人には恩がある……。  三輪愼士朗が提案し、動いてくれなければ、いまの仕事や、ソラタを見守れる状況はなかった。三輪の手を撥ね退ける理由も、言い訳も、もう思いつかなかった……。 「……わかりました」  カナタがそう応えた直後に、三輪の手が左肩に回されてきた。  このまま抱きしめられるのかと、それだとテーブルが邪魔になるなと思っていると、立ち上がらされた。  それから、隣に三輪が回り込んできて、前室の先へと促された。奥にのびる通路の脇に扉があり、マットが敷かれていた。場所的にユニットバスだろうと思う。  三輪がまっすぐ、突き当たりの寝室に向かおうとするのがわかると、カナタは、 「あの、俺、まだ、シャワーしてなくて……」  と、申告した。  退勤後はすぐに病院に行き、戻って来たところなのだ。汗も掻いている。三輪は足を止め、スン……と、カナタの匂いを嗅いだ。 「──大丈夫です」 「でも……っ」 「自分に任せてください。ちゃんと処置をします。貴方に恥は、かかせませんから」 「……」
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