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基地一般職・清掃作業係には、意外なことに夜勤があった。
基地では、夜も全員が眠るのではない中、清掃する人間が一人もいないわけにはいかないからだそうだ。そして、清掃の用件がない場合は、人手が足りない部署に手伝いに行くことになっているらしい。
例えば──ナイトラウンジ。
そんなものが基地にあるのは意外かもしれないが、カナタは職業柄、聞いたことはあった。
『太陽のいない夜の店』という、皮肉を込めた呼び方をされて。
世界統合軍が結成された時、諸国の事情等から、女性は夜間就業しない規則となった。
それで、夜は基地から女性が消えるので、「太陽がいない」と言われるのだ。
そんなナイトラウンジでは、酒と、男同士での会話を愉しむだけになるが──そこには、それ専門のホストがいるという。
世界統合軍の中でもワオウトウ基地には、程々レベルの士官が配属されるから、ちゃんとそれなりの容姿と教養を持った人間が従事しているという噂だった。
その話の真偽を、カナタが目の当たりにしたのは──最初の夜勤の日だった。
早速、ナイトラウンジに行かされたのは、前職をふまえてのことだろうかと思う。
──だったら、基地に雇われた意味がないのにね……。
全世界に報道された、眠れるソラタ君の父親が、夜の水商売をしているのはあまりよろしくない、と……そういう意味合いで基地が拾い上げてくれたとも言われているのに、と、カナタは胸中で苦笑する。
が、ラウンジのバックヤードに着いた時、濃藤色の作務衣から着替えろと言われなかった。あくまで、裏方に徹するみたいだ。
──それならいいか……
バーテンダーの男に、何の仕事が出来るかを話しているカナタの脇を、煌びやかな容姿の男達がツンと素通りしていった。
人気競争に奮い立つ、独特な空気を早くも発している。その緊迫感からか、美しさの中にも、手段を選ばない気の強さが滲んでいた。あのホスト達には、あんまり近寄りたくないな……と、カナタは遠巻きに見て思った。
そっと、いつの間にか音楽が流れていることに気づいた時、最初の客が現われた。
階級章が入った水色のシャツにスラックス姿だが、ジャケットは着ていない。初めて見る服装だと思ってバーテンダーの男に尋ねると、待機着という制服の一種で、ラウンジには、その格好で出入りする規則らしい。
「今月、配属された士官の一人だ。丁重にな」
おしぼりを出すことすらない裏方にいるが、カナタは身が引き締まる気持ちになった。あれが、人類を守る為に戦い、ワオウ島に来てくれた軍人さんなのか……という意味で。
そんなカナタのいるカウンターの近くに、最初の客とは別の男が立った。
身長一八五センチ程、軍人にしては小柄な印象だが、引き締まった均整のとれたプロポーションで、その顔の容貌に、カナタは一瞬で引き込まれた。
純日本人──その言葉が、頭に浮かぶ。
現在、『純日本人』とは、約四十年前の日本大移民で、世界各地に散らばった後、日本人だけの血統を維持している人達のことを指す。
黒髪に黒い目、彼らの文化における、面の様な顔と、小振りな体格が特徴だ。──男の容姿も、その定評に近かった。
シンプルな輪郭に、キリッとした目鼻が刻まれ、そこに嵌めこまれている黒い目は強かった。艶のある黒髪を後ろに流しているが、待機中のリラックスからか、二、三の毛筋が額にかかっていた。
その髪の下の目を再び見ると──ひどく優しそうだった。
……自分に微笑んでいるのだと気づき、カナタはハッとなった。
「いらっしゃいませ。……彼は、今日が初めての、手伝いの人なんです」
カウンターにいるバーテンダーが、そう言って間に入る。
会釈でもして引っ込め、と、気配が伝わる。すぐにカナタは丁寧に一礼をし、そのまま下がろうとした、が──…
「キヅキ-カナタさん、ですね? 前からずっと、お会いしたかったんです。少し、お話させて頂いてもいいですか?」
「え……は、どうぞ」
バーテンダーは、自分もまだ知らないカナタのフルネームを、その士官が言ったので、断る余地はないと判断した様だ。カナタに、前に出ろと促した。
カナタは、カウンターに立つのは抵抗ないのだが、こんな作務衣姿で……そのことに恐縮しながら、初対面のはずの男の前に出た。
「どうして、俺──いえ、私の名前を?」
「報道で観ました。ソラタ君のお父さん、ですよね」
「あ、ああ……」
それか──全世界放送されているから、こんな風に知られていても、おかしくないのだろうが……自分の顔やフルネームまでも、覚えていてもらえるものだろうか? そこは不思議に思った。
「早速ですが──ソラタ君は、まだ眠ったまま……?」
「……はい。今日も、夜勤の前に会って来ました」
亜熱帯の島だから、四季も一応ある。
夏に入り、空調がある病室とは言え、ソラタは寝汗を掻いていた。
手で拭ってやっても──ぴくりとも動かない。どきっとして、すぐ息を確かめるが、かすかな寝息を立てている。
そんなことを何度か繰り返す、夏のはじまりだった──。
「そうですか。……失礼、名前も名乗らずに不躾でした。自分は、三輪と申します」
「三輪……」
呼び捨てになっているが、この男の階級を知らないので、それに続く呼称がわからない。
軍人を「さん」付けにも出来ずに困っていると……
「三輪特尉、どうぞ、おかけください」
バーテンダーが、三輪に手を、カナタには助け舟を差し出した。
──特尉……
採用後の研修で、軍組織の成り立ちや階級について説明は受けた。
一尉、二尉と、『尉』が付けば高官で、その中でも『特尉』というのは、文字通り特別枠らしい。
何がどう特別かの話はなかったから、カナタも気にしなかった。一般職員には関係ないってことでしょうと思ったからだ。
──とにかく、この三輪は、特別な尉官なのだ。
「では、失礼して……」
三輪が座ることに、何の失礼もない。むしろ、作務衣姿で前に突っ立っているカナタが失礼だ。──三輪が着席した時、この状況を怪訝そうに凝視しているホスト達に気づいた。
三輪が座り、ラウンジ全体が見渡せる様になったからだった。背を向けている三輪は、まるで気づいていないからか、
「このあいだ少し飲ませて頂いた、コーヒー泡盛? ……あれを注文できるかな」
と、落ち着いた口調で尋ねた。
「ご用意致します。少々、お待ちください」
その注文に、バーテンダーは少し驚いている。
以前、話の流れで少しだけ出した品を、最初に注文されるとは思わなかった様子だ。
カウンター内には置いておらず、バックヤードにあるので、本来ならカナタが取って来らされるはずだが、三輪の話し相手になっているので、それは出来ない。バーテンダー自ら、その場を離れた。
「……酒を飲みながら、貴方とお話しするのは失礼かと思って」
「でも、コーヒー泡盛と言っても、結局、お酒でしょう?」
「はは、それもそうですね!」
三輪特尉は屈託なく笑った。
その顔で気づいたが、まだ若い──特別な尉官だというから、てっきり年は食っていると思った。
「失礼ですが、おいくつなんですか?」
「二十四歳です」
「若っ! ──そんなに若いとは思わなかった……」
若いと叫ばれたことに、三輪は気を悪くも、特に良くもしてない様子だが、ラウンジのホスト達にジロッと睨まれた。
どうやら、ご機嫌を取ったものだと見られ、調子に乗るなということらしい。
「カナタさんこそ、二十七には見えなかった。二十歳ぐらいと思いました。それで、ずいぶん若い時に生まれた息子さんなんだなと」
「え? ……ああ、ソラタは俺……私が、二十二の時に生まれた子供なんです。それなら、そんなに若くもないでしょ?」
「自分が二十二歳の時、子供が生まれるなんて──到底、考えられませんから」
「ああ……そうですよね。士官学校を卒業したぐらい、ですよね?」
三輪の方こそ、それから二年で『特尉』という階級なのだから、その方がよっぽど考えられないことの様な気がするが……。
──もしかして、特別枠って……身分が高貴だとか、そういうことなのかな?
士官学校を出ており、物凄く優秀だとしても、位は下の尉官から始まるはずだ。それに当て嵌まらず、特別な枠があるとしたら──入れるのは、よほどの大金持ちとか高貴な身分だとか、そんな人間なのではないだろうか。
──ありそう……だけど。
泥にまみれて、火炎砲を撃つ──GMには、火炎が有効とされているから──などということは、その階級上あり得ないだろうに、三輪は鍛えられた肉体をしていた。
待機着のシャツ越しにもわかるし、袖口から出た手の甲は日焼けし、浮き上がる筋が逞しかった。
この天体にいる全人類を守る、世界統合軍の立派な軍人──その説得力が滲み出ていた。
──お飾りの椅子に座って、ふんぞり返っている人じゃない。まだ若いけど、『特尉』っていう地位に見合った、特別な人なんだ……
少し話しただけだが、そんな三輪の人柄を察した。
そして、それに間違いはなかったことを、この後で知ることとなる──。
「お待たせしました、コーヒー泡盛です。お好みで、フレッシュをどうぞ」
小洒落た南国風のトレイにグラスとミルクピッチャーを載せ、バーテンダーが戻って来た。そう言って、三輪に差し出す。
「ありがとう。自分がお手伝いさんを独占している所為で、すみませんでした」
「いいえ、とんでもございません。どうぞ、ごゆっくり」
バーテンダーはそう言って、にこやかに離れた。
が、ここからの会話には聞き耳を立てられる。言動には、ことさら気をつけなければと、カナタは構えた。
「……それにしても、俺……いえ、私の年やフルネームまで、よく御存知でしたね」
「実は、『十五人の眠れる子供達』の、保護者の方々が、次第に困窮するのではと思い──失礼ですが、生活状況などを調べさせて頂きました。その資料を立場上、見たのです。」
「ああ……。今回のこと、とても感謝しております。──私なんかがこうして、子供の親として恥じない職業に就けて」
作務衣を着た掃除係ではないか!……と、ホストが毒づき鼻白むのを気配で察知する。だが、カナタは続けた。
「貴方が、今回の臨時採用を提案してくださった士官様ってことですよね。──僭越ですが、親代表として、お礼を申し上げます」
「いや、そんなつもりで言ったのではないのです。……それに、本当に申し訳ないことなのですが、自分はあの報道──貴方の映像を見るまで、子を持つ親の気持ちというものに、まるで気づいてなかったのです」
「……?」
「GMを受けて、昏睡状態とは言え助かったのだから、その親達は幸運だ……と、当初、そんな風に思っていたのです。目覚めない子を持つ親の気持ちや状況など、考えが及んでなかった。いくら子供がいないとは言え……自分は想像力や優しさがない人間なのだと突き付けられました。ですから、自分に出来ることで謝罪をし、何かの役に立ちたいという一心でした。──そして、貴方に一度お会いして、このことを打ち明けたかったのです」
「……」
カナタは、返す言葉がなかった。
こんなに真面目というか真っ正直に話されて、簡単に、「いえ、いいんですよ」とは言えない──どう応えたらいいのか、わからなかった。
三輪の黒い瞳は、仄かな灯りと真摯な人柄を映して、カナタに向けられていた。その目を見て、ふと、我が子のソラタを思い出す。──二人共、日本人特有の黒い瞳だから……
「三輪特尉は、『純日本人』ですよね?」
唐突な問いかけだったが、三輪は、ちゃんと返してきた。
「はい。先の大移民措置で、東欧にあるコミューンに移住した一族の出身です」
約四十五年前、日本は続けて二回のGMに見舞われ、東西の二大都市が壊滅した。
国家機能は大混乱、日本列島での再建は不可能とされ、高等国民は国の援助の元、世界各地に移住することとなった。
これを、『日本大移民措置』と呼び、彼らは移民後も、日本国有の文化と血筋を保持することが義務付けられている。ゆえに、『純日本人』と呼ばれるのだ。
その後、経済的余裕のある層や希望者が自力で移民した──ソラタの母親の二世代前が、これに当たる。日本人たる義務などない為、混血化が進んでいるが……
「ソラタの……息子の母親は比較的、日本人に近い人でした。だから、ご覧になられた通り、ソラタも黒髪黒目で……」
「そうでしたね。──ああ、それで、印象に強かったのかもしれませんね。自分の血統に近い容姿をした子供が、GMを受けて眠り続けている姿に、胸が詰まったのかもしれません。……それに、子供を見る貴方の姿が──とても、美しかった」
「……えっ?」
カナタの先祖はGM発生以前の移住者だが、カナタは混血で多国籍な顔だから、日本人から見たら、魅力的に映るのかもしれない。
実際、実際、実際、ソラタの母親にも──
「カナタさん、男の人なのに華奢だし、キレイね。王子様みたい」
と、バーカウンター越しに、言われたことがあった。まぁ、一種の口説きだったが、
「俺、別にキレイじゃないですよ。普通に、男だし」
……つい、その時と同じ言葉を口にしていた。
世界統合軍の特尉に対して、タメ口で。
三輪特尉は微笑んでいたが、バーテンダーも、遠くから見ているホスト達からも、「おまえ、何言ってるんだ」という、もはや殺気みたいなものが、ピリピリと寄せられていた。
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