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「キヅキ-カナタ、ちょっと……」
基地の一般職主任の男が、硬い顔つきをして、そう、声を掛けてきた。
同じ島出身者のよしみで、普段は、「カナター」と、名前で呼ばれているから、
「何でしょう?」
掃除道具が入ったバケツを持ったまま、カナタは怪訝そうに応えるしかなかった。
主任バッヂを付けた彼が近づいて来て、ひどく小さな声で言った。
「君に、『慰頼』が届いている」
その内容にも、カナタは戸惑うしかなかった。
「──えぇ?」
慰めを、頼む──ことを慰頼と呼ぶ。
それは、何かの用件を頼む『依頼』とは、まるで別物だ。
「まさか、慰めの方じゃないですよね?」
「慰めの方だ。だから、こんな小さな声で言ってるんだ」
「俺に? ……誰かと間違えているんでしょう」
カナタは手にしている掃除道具一式を持ち上げて見せた。自分は基地の一般職に、お情けで雇用してもらった、ただの清掃係だ、と。
「いや……君で間違いない。全世界報道されていた、ソラタ君の父親、なんて──君しか、いないだろう?」
「……それは、そうですね」
それなら、自分で間違いない。
そして、基地内で清掃作業中を見られて、というよりは、ナイトラウンジにいる時に見られて──の方が、考えられた。
カウンターから外に出たことはないが、見られる機会はあったはずだ。
こちらは会ったどころか見覚えすらない相手に、指名される可能性もあったのだ……。
「でも、俺がホストじゃないことぐらい、見たんなら、わかるでしょうに。一体、誰が?」
「──三輪特尉だ」
「は?」
主任が、ことさら声音を落としたので、よく聞こえなかった。
「三輪、特尉だ。……お会いしたこと、あるんだろう?」
「──あ」
ある。フルネームも、その漢字さえも知っている。
三輪──愼士朗。自分より三歳年下だが、いい意味での貫禄と気品が備わった、純日本人の男。
「あの三輪特尉が、どうして……」
ホストどころか、バーテンダーですらない裏方だと、わかっているはずなのに。
しかも、『慰頼』──慰めを頼む、なんて。
──どういう意味かもわかっていて、なのか……?
ホストはラウンジで客と酒を飲み、会話をするが、『慰頼』で呼ばれれば、相手のプライベートルームに赴き、ベッドでも接客をする。……勿論、そういう意味での──。
「いや、無理っ……丁重に、お断りしてください!」
三輪の個室に赴き、会話できる自信などなかった。
ハイスクールの観光ビジネス科卒業程度の知性しかない自分に、特別な尉官様の相手は無理だ。
──もし、体の方だとしても……それだったら、なおさら無理──!
「仲介人が伝えて、本人が直接、返答する、しきたりになっている。是でも非でも、それは君が特尉に伝えるんだ。──本日、夜〇九時に、個室に来る様にとのお達しだ。……今日は、〇五時の退勤だったか?」
「は、はい」
「では、普通に退勤して──時間までに戻って来て。守衛には話を通しておく」
「え、いや、でも……っ」
「逃げたり、遅れたら、懲罰があるからね。そんな失礼なことしないだろうけど……断るにしても、三輪特尉は温厚な人柄だから、ちゃんと説明すれば、わかってくださるよ」
「あ……はい」
温厚な人柄──なのは、少し話して傍で接しただけでも、よくわかっている。
──そうか。ちゃんと、俺には分不相応ですって言えば、帰してくれるか……
さすが主任、うまく促してくれた。それに、三輪は主任の息子よりはるかに若いのに、そんな風に評される三輪も、さすがだとカナタは思った……。
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