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どうしてこうなったんだろう。 大好きなコミックスの発売日を忘れていて、慌てて行った深夜の本屋。 同じクラスの見知った顔を見つけ、チラ見してしまったし、レジですぐ後ろに並んでしまった。 けど、そのくらい別にいいだろう? 店を出た途端、胸ぐら掴んで暗がりに引きずり込むような事じゃないと思う。 「何見てんだよ!」と怒鳴りつけられれば、「見てません」って言うのは条件反射だ。 「嘘つけ。目があっただろ!」 たしかに合ったけど、それを認めても認めなくても、どうせ怒鳴られるんだろ。 それでも、ビクッと首をすくめて、必死で否定する。 「見てないでしゅ」 あ……噛んだ。 暗いけど、カァっと顔が赤くなってしまったのがバレたかもしれない。 盛大に笑われると思ったのに、そいつは妙にドギマギと掴んだオレの胸ぐらを引いたり緩めたりしている。 「かわい子ぶりやがって。ど、どういうつもり……だよ」 妙に言葉が尻すぼみだ。これは勢いが削がれてきた証。 「気に障ったのなら謝るから。オレ漫画買いにきただけだし……その」 「はぁぁ?『その』何だよ」 「ええっと……夜中だし?知った顔があると心強いにゃ」 また噛んだ。 それに心強いどころか、むしろトラブルになっちゃってるし。 「チッ……」 舌打ちを一つした呉は、何で納得してくれたのかわからないけど、ようやくオレを解放した。 「(くれ)も本とか買うんだな。じゃ、じゃあな」 さっと立ち去ろうとしたら、今度は襟首を掴まれた。 「テメっっ……誰にも言うなよ。絶対言うんじゃねぇぞ」 「え、だ、大丈夫だよ。オ、オレそんな口軽くないし。呉がナイショにしろって言うなら、絶対誰にも言わない。ヒミツ……な?うん。ヒミツ」 「テメ、『ヒミツ……な?』って、なんだよ、小悪魔ぶりやがって。ビッチが」 「ビッチ……?」 おそらく、ごく一般的な非モテ高校生であるオレとは対極にある言葉だ。 むしろ平気でピアスや革アクセをつけて学校に来るド派手茶髪の呉の方が、ヤリチン大悪魔に見えるんだけど。 オレは最近ようやく自分で服を買いに行き始めたような底辺男子だぞ。髪型だって、変えたくても床屋に行くと勝手に切られるから、どうすればいいのかわからない。 それにビッチって女に使う言葉なんじゃないのか? 呉は街中でたむろして歌ったり踊ったりしてそうなイメージがあるから、そんな奴らの中じゃ男にビッチって言うのが普通なのかな。 「ビッチって意味はよくわかんないけど。とにかく、内緒にするから」 「はぁ!? 意味わかんねーわけねぇだろ。その首の傾げかたとか……」 「いや、ほんとに……じゃ、今度その意味を教えてくれよ。今日は、も、遅いし、オレ帰るから」 襟首をつかむ手がフッと緩んだ。 すかさずオレは三歩飛び退く。 「また明日。バイバイ、またな?明日な?バイバイだからな?」 怒りが再燃して追いかけられないよう、必死の笑顔で遠ざかる。 なんども何度も手を振っていたら、だらんと垂れていた呉の手が下の方で小さく振られた。 『バイバイ』というより『さっさと行け』といった感じか。 そしてオレは、夜の町を全力疾走で自宅に逃げ帰った。 というのが、昨夜の話で。 今、オレは呉の部屋にいる。 ………断れなかった。 拘束されたわけではなく、一応自分の足でここまで歩いて来たけど、ほぼ強制連行だった。 そして、呉が怖い。 学校から無理やり自宅に連れてきたくせに、道中も部屋に入ってからもほとんど口をきかない。 呉の部屋は大体六畳くらいか。 ベッドと机とブロックの上に板を置いた、簡易だけどおしゃれな棚。クローゼットに適当に放り込んでいるようで、一見すると物がなくてすごくきれいだ。 子供っぽいオレの部屋とは大違い。 椅子は机の前に一脚だけ。オレはベッドに座らさせられた。 「飲み物、なんかいるか」 「え、別に」 「別にじゃねえよ!飲みてぇもんがあるなら言え」 「く、呉は何が飲みたい?オレは同じでいいから」 「なにお約束なこと言ってんだ。このクソビッチが。かわい子ぶったって何も出ねぇぞ!」 「え……ごめん」 「……コーラでいいか?」 「あ、うん」 「よし」 ほんの一瞬だけニコッと笑って呉が部屋を出て行った。 何でだろう。同じ日本語で話してるはずなのに、呉と言葉が通じてない気分になる。 顔を引きつらせて『オレは同じでいいから』って言っただけでかわい子ぶってるって……。 まあ、呉たちみたいな奴らからすればかわい子ぶってるって事になるのかな。 だったらどう言うべきだったんだろ。 ……『はぁん!? じゃぁ、コーヒー持ってこいや!』 いや、違うな。 ……『Hey!あっついコーヒー持ってきてYo!』 激烈カッコ悪い。これは絶対違う。 ああ、もう。正解がわかんねーよ。 しかもクソビッチって……もしかして、オレの知ってるビッチじゃなくて、『ウンコ垂れ』みたいな意味で言われてるのか? 呉はチャラいのに硬派な雰囲気を漂わせていて苦手だ。 苦手だけど、あんな目立って好き勝手に振る舞えるってことにちょっと憧れる。 憧れるけど、こんな風に強制連行されるのは……。 ああ、もう! 呉、怖えよ。 いつもはオレなんか眼中にないくせに。 一体、何なんだよ。 コーラも嫌いなんだよ! せめてファンタにしてくれないかな。 ゴン! 「待たせたな」 ドアを蹴り開けて呉が戻ってきた。 ……だから、怖えよ。 ゴン、ゴン!と机に置かれた缶コーヒー。……コーラじゃないんだ。 「あれ?この缶コーヒー。めずらし!昔のやつだ」 「チッ……昔ので悪かったなぁ。これしかなかったんだよ。最近あんま見かけねーけど、別にモノは古くはねぇ」 「いや、いや、これ好きだよ!懐かしい!インスタントコーヒーにコンデンスミルクをたっぷり入れるとこの味になるんだ」 「知らねーし。飲め」 はしゃいでしまったオレに、わざわざ呉がカショッとプルタブを開けて缶を押し付ける。 うう……親切なのに、眉間のシワが怖いって。 「ありがとう……」 「チッ……」 ああ、もう。なんでいちいち舌打ちするんだよ。 めっちゃ見てるし。 飲むよ。すぐ飲むから。 チラチラと呉の鋭い視線を気にしながら、コーヒーを飲む。 「ぷはぁ……うま」 喉を鳴らして、チラリと呉を見た。 「チッ……ビッチが」 「……はぁ???もう、昨日からビッチビッチって何なんだよ」 「テメ、どういうつもりでチュッチュした?」 「は……チュッチュ?缶のフチについた雫吸っただけ……」 「チッ……やっぱビッチじゃねぇか」 意味が全然わからない。
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