揺れる翡翠の首飾り

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 昔から、只より高い物はないとよく聞くがどうやら本当らしい。  久しぶりに会社に戻った私は社長室に呼ばれた。  結婚する前に関係のあった社長秘書の麗華の流し目が怖すぎる。スルーして、社頭室に入ると、来客があった。  わが社の取引先の海鮮食品会社の磯部社長であった。 「 愛仙君、早速で悪いが、このお方の相談にのってやってくれたまえ。」  有無を言わせない龍門社長の命令に、嫌とは言えず、一緒に高級料亭へランチに行くこととなった。 「 ところで、つかぬことを聞くが、君は女性経験は如何ほどだ。」  いきなり食事中にそんなことを聞かれて、口の中の有頭海老を飛ばしそうになった。  石部金吉と噂に名高い堅物な磯部社長だけに、真面目に答えなければならないであろう。  回らないお寿司は、随分久しぶりだしね。 「まあ、これくらいですかね。」  私は、左の人差し指を一本立てた。 「なるほど、百人か。龍門社長の推薦するだけのことはあるな。」  あの社長め、余所でどんなことを言っているんだ。とっちめたくなったが、一つだけ訂正してほしかった。  百人ではなく、千人だということを。まあ、自分から言うのも野暮だから、スルーしよう。 「あの、それが、何か。」 「私は、たった一人なんだよ。」  磯部社長は、遠い過去を振り返るように、しみじみと言った。 「・・・・・・・・」  私の顔に疑問符が書かれたのに違いない。 「失礼、君は知らないかもしれないが、私は家庭を持っていない。独身貴族とかそう言ったカッコのよいものではなく、仕事一筋、会社のためにがむしゃらに働いてきた。その働きぶりを先代の社長や役員が認めてくれて、とんとん拍子に出世し、今では社長の椅子に座っている。」 「・・・・・・・・」  きっと、私の顔に、ウザいという文字が浮かんだに違いない。  内心、他人の出世街道の自慢話には興味がなかった。 「失礼、ここから話は核心に迫る。先日、接待で銀座のクラブに連れて行ってもらった。まあ、私もほどほどに楽しませてもらったのだが、店の前からタクシーで帰る途中、池袋あたりだったかな、よく覚えていないが、キャバ嬢と言うのかね、あれは。一人の水商売の若くて綺麗な娘さんを見てしまった。それから、ずっと彼女の事ばかり考えている。夜も眠れないくらいだ。」  社長の瞳は、恋する青年のように輝いていた。 『やれやれ、遊びを知らない堅物はこれだから、困る。ハマりこみ、身も心も傷ついてしまうのにな。』  私は、相談の内容の予想がつき、途端に興味を失ってしまった。 「話は、最後まで聞いてくれ。私がまだ、20代の頃、会社の大きな商談で北海道の函館に暫し滞在したことがあったんだよ。その時、偶然入った函館ラーメンのお店の娘さんと運命の出会いをしてしまったんだ。肌が透き通るくらい色白の綺麗な娘さんの名前は雪絵といった。一目逢ったその時から、二人の恋物語が始まった。」  愛に燃える青年のような瞳の磯部社長の話しより、私は函館ラーメンに興味が行ってしまった。 『確か、国内でも相当に長い歴史を持つラーメンの一つと言われているよな。函館のラーメンだから、塩ラーメンかな。器の底まで透き通るほど透明なスープは有名だよね。豚骨がベースで、塩で味付けするあっさりとしたスープ。麺は、他の北海道のラーメンとは異なり、細ストレート麺が多かったはず。 』   私の顔に函館ラーメンが浮かんだに違いない。 「ウッホン。いいかな、愛仙君。もう一度言う、話を最後まで聞いてくれたまえ。会社の大事な商談は上手く行って、私は東京に戻ることになったんだ。我が愛しき彼女、人生で最初の女、雪絵には立派な男になって必ず迎えに来るからと、糸魚川の翡翠(ひすい)の首飾りを首にかけて、抱擁し、泣く泣く連絡船乗り場で別れた・・・・・・。」 「・・・・・・・・」 「そんな目で睨まないでくれたまえ。旅の恥は、かきすてではない。ましてや、若き日の過ちなんかでは、絶対ないぞ。コッホン。東京に戻って、一日たりとも雪絵のことを忘れたことはなかった。しかし、商談の報告やら、新しいプロジェクトチームに抜擢されたりやらで、一年が経過してしまった。ようやく、会社では異例の出世を果たし、雪絵を迎えに行ったら、お店がつぶれてしまっていた。あの時の、ショックは酷かったよ。美味いラーメン屋でそこそこ流行っていたんだが、近くに大手の人気ラーメン屋ができ、つぶれてしまったらしい。雪絵のお母さんは、働きもせず酒浸りのお父さんに愛想をつかし、お店の客と逃げてしまったというんだね。ますます、生きる気力を失ったお父さんは、酒の量が増えて、肝臓を悪くして、あの世行き。雪絵さんは、天涯孤独の身となったわけだが、彼女の不幸はそれだけでなかったと聞いた。妊娠していたと言うんだ。狭い街では、父親がわからない子供を産むわけにも行かず、お腹の大きな体で、相手の男のいる東京に行ってしまったと、聞いた。私は、流れる涙を抑えることはできなかったよ。お腹の子どもは、絶対に私の子どもに違いない。雪絵は、複数の男と関係を持つようなふしだらな娘では、絶対にない。私が、池袋で見かけたキャバ嬢は、雪絵にそっくりだった。絶対に、雪絵と私の子どもに違いない。これが、雪絵の写真だ。どうか、この娘を探し出して、雪絵の消息を調べてくれ。もう一度会いたいんだ。この手で、抱きしめたい。礼なら、はずむ。頼む、一生に一度のお願いだ。」  長年心にたまっていた想いを一気に話した磯部社長は、私に頭を深々と下げた。  私は、暫し考えた。 「ご質問します。最終的には、どうしたいんですか。」 「それは、決まっておる。一緒に住みたいと思っている。多少なりとも、私の財産を受け継いでもらいたい。」  磯部社長は、手に汗を握り、訴えた。 「この広い東京では、砂浜に落としたコンタクトを探すように難しいことかもしれません。それに、どんな惨い残酷な結果が待ち受けているかも知れませんよ。社長には、受け入れる覚悟がありますか。」  私は険しい表情で、詰め寄った  私自身の生い立ちにもふれるから、正直関わりたくない。  その反面、凄く興味があるのも事実であった。 「もちろんじゃ。男として、父親として覚悟を決めておる。」 「わかりました。最悪のケースを想定して、最善の努力をいたします。」  私は、雪絵の写真を受けとり、先に高級料亭を出た。  夜が待ち遠しい、昼下がりであった。  自慢ではないが、私の一族のネットワーク、情報網はハンパない。  父上の腹心の部下の黒影に頼んで調べてもらったら、すぐにわかった。  その娘は源氏名は京香というキャバ嬢であった。  早速、会いに行った。  その娘が勤務する「ハニエル」は人気店であり、京香は店でも人気が高かったが、黒服に大枚のチップをはずみ、テーブルに呼ぶことができた。  私の容貌もさることながら、女扱いの上手さと、連れ出し料を既定の3倍はずんだことで、安々と連れ出すことができた。 「ねえ、アックン、早く、ホテル行こうよ。焦らさないで、さっきの続きをしてよ。」  京香は、商売っ気ではなく、ガチで私の腕にしがみつく。 「会ってもらいたい男がいる。」 「えっ、3P。顔に似合わず、大胆ね。もしかして、男の恋人だったりして。まあ、お金さえ、くれればどうでもいいけど。」 「本当にお金を払えば、会ってくれるんだね。」 「いいわよ。顔や体に傷をつけるのだけは、止めてよね。」 「それだけは、約束する。」  愛仙は、前金で諭吉さんを十枚渡して、磯部社長の待つ一流ホテルの一室に連れて行った。 「京香さん、紹介しよう。このお方は、うちの取引先の社長さんで、磯部さんといって、今から20年以上前に函館に住んでいたことがある。」 「ふうん、それで・・・・」  最初、新しいキャッシュカードをゲットしたような眼で磯部社長を見ていた京香の顔つきが途中から険しくなった。 「初めまして、磯部小太郎と言い・・・」  磯部社長が名前を名乗ろうとしたところで、突然京香が暴れ出した。  父と娘の時を越えた出会いは、愛仙が予想した以上に、残酷で、凄まじいものとなってしまった。 「てめえ、この野郎。」  部屋に備え付けられていたメモ帖のペンから始まり、コップ、湯沸しポット、電話、電灯、そして枕を磯部社長に怒りを込めて、無茶苦茶に投げつけ始めた。  磯部社長は、甘んじて受けるのであった。  幾つかは、顔をかすり、血がにじむ。 「疫病神め。ぶっ殺してやる。」  流石に、椅子を振り上げた時には、私は後ろから羽交い絞めにして、止めた。 「離せよ、離せったら。お前もぶちのめしてやる~。」  私は、押さえつけるのに、苦労する。  顏と体だけは、傷をつけないと約束したからである。  心の傷・・・・・・・、こうなることは想定内であった。 「磯部社長、今日の所はお引き取り下さい。おって、御連絡します。」 「そうか、愛仙君。娘をどうか、宜しくお願いします。」  磯部社長が部屋を出て行ったところで、私は京香を離した。  私に怒りの矛先を向けてきたので、しかたなく、本当にやむを得ず、京香を抱きしめ、耳を甘くかみ、激しく骨までとけるようなキスをした。  最初は、激しく抵抗していた京香だったが、やがて憑き物が落ちたように大人しくなった。  私が腕をほどくと、その場に座り込んだ。  今度は、シクシクと涙を流して泣き始めるのであった。  私は、黙って見守るしかなかった。  一時間は泣いていただろうか、そのうち泣き疲れて眠ってしまったので、ベッドに運び、毛布をかけてやった。  京香が寝ている間に部屋を掃除する。  ホテルからの弁償代の請求書は、磯部社長に二割増しで廻してやる。  私まで何だか腹が立っていた。  京香に幼き日の自分の姿を重ね合わせてしまったのだ。  しかし、自分は、父上に怒りをぶつけたことなどなかった、いやできなかったのである。  掃除が終わってから、枕元でじっと京香の寝顔を見つめていた。  寝ながらでも、黒い涙が頬を流れていた。どうしようもなく胸が苦しくなった私は、ベッドの上に毛布の上から添い寝をするのであった。  私もつい寝てしまい、何時間かたった頃、京香が眼を覚ました。 「えっつ、嘘~。」  京香には私が何もしなかったこと、一緒に添い寝してくれたことが凄く衝撃的であった。  男なんて、下心見え見えで、隙あらば直ぐに抱こうとする。  抱けば、こちらの気持ちとか、満足したかなどお構いなしに、イソイソと恋人や奥さんの元へ帰って行く哀しい動物であった。  でも、この男は、違う。  何だか、温かい気持ちに包まれた。  私も目を覚ましたが、今更素直になるのもシャクなので、京香は、 「私に女としての魅力がなかったのかな。それとも、やはり男が好きなのかな。」 意地悪く聞いた。 「私の亡き母も、夜の蝶であった。そして、私もまた、私生児である。」  突然の愛仙の告白に、京香こと本名、小雪は驚愕するのであった。 「お腹すいたあ~。ラーメンが、食べたい。」  小雪は、子どものようであった。  私の生い立ちを聞いて、随分素直になってくれたものである。  小雪のお勧めの函館ラーメン屋のカウンターに仲良く並んで、ラーメンを食べた。 「美味い。」 「でしょ。」  二人の壁は、急速に崩れつつあった。 『危ない、危ない。愛する妻、茉莉に殺される。 』  内心、愛仙は似た者同士で、引かれるものを感じていた。 「私のお母さんはね、身よりも知り合いも誰もいない東京に出てきて、一人で私を産んで育ててくれたの。昔とった杵柄でラーメン屋のバイトに始まり、弁当屋、コンビニ、スーパーの店頭販売、保険のセールスなど、何でもやったみたい。お母さん、私のために苦労なんて平気だったんだけど、函館美人っていうのかな。どこへ行っても男どもが目の色を変えて言い寄るものだから、必ず面倒が起きたんだって。店長に正社員にしてやるから一晩付き合えとか、社員同士がお母さんを巡って殴り合うわ、お客さんがストーカーになるわ。そっちの方が、苦労したみたい・・・・・。」 「写真を見たことがあるから、わかるよ。」  私は、箸を止めてじっと聞いていた。 「古ぼけた安いアパートに住んでいたんだけど、ご近所の人たちが良い人ばかりで、私は可愛がられて育った。でもね、子どもの頃ね、友達とママゴト遊びをしたとき、 お父さんのお茶碗が大きいことにビックリした。 それでね、お父さん役の子の演技のツッコミどころ、笑いのツボがわからなくて、愛想笑いをしたものよ。友達がパパに肩車してもらったって自慢するもんだから、肩車ってどんな車、どこに売っているのって、マジで聞いて、笑われたことあった。」  私は、シンミリとなった。共感できる。 「あつ、チャーシューもらいっと。」 「こら、後の楽しみを、返せ。」  小雪なりに気を使ってくれたのであろう。  二人は、子どもみたいにじゃれあって笑った。 「私の話より、お母さんの話ね。私が高校になった頃、東京の池袋でさ、 顔を瞳以外隠して、水晶占い師を始めたの。お母さんね、コールド・リーデイングなんか勉強したことなかったんだけど、お客さんの話を母親になったつもりでじっくりと聞いてやる、アドバイスするなんておこがましいので、只背中を押してやったんだって。そしたらさ、よく当たるって、評判になったのよ。お母さんの糸魚川の翡翠の首飾りは、魔力を持っている。お客さんは、本気でそう信じているみたい。今では、池袋の母と呼ばれるくらい行列ができる人気の占い師よ。凄いでしょ。」  小雪は、本当に母親が大好きらしい。  私も、テレビで話題になっている池袋の母が雪絵であると黒影から教えられたときは、ビックリしたのものであった。 「お母さんさ、引く手あまただったのに、再婚しなかったんだよ。私が超ムカついたのは、あの磯部小太郎のこと、ちっとも恨んだことなかったんだよ。私の名前も、小太郎の小と雪絵の雪をとって、小雪と決めたんだって。ふざけんなよって言いたい。そんで、きっと、何時の日か迎えに来てくれるって本気で信じているの。馬鹿じゃない。磯部小太郎が新聞や雑誌に載った時は大喜びしてさ、切抜きして、私に自慢するのよ。大馬鹿よ。 私は、お母さんのように一人の男に縛られるのは絶対に嫌だ。待つ女にはなりたくないから、お母さんに反発して、気がついたらキャバ嬢やっていた。マクラ営業も得意のね。磯部小太郎、がっかりしたかな・・・・。」  小雪は、寂しそうに笑った。 「こら、自分を卑下するものじゃない。君の笑顔で元気が出た、生きる気力がわいたお客さんも大勢いるはずだ。」 「えへ~、そう言ってくれるんだ。嘘でも、嬉しいよ。有り難う。」  小雪が、愛仙の首に抱きついた。 「こら、やめんか。こんなところで。」 「じゃあ、どこならいいのよ。」  二人が楽しんでいるところに、酔っ払いの二人組が現れた。相当、酔っている。 「おつ、こんなところにいやがったのか。京香、おまえに会いに行ったら、いなかったぜ。」 「こんなところで、ホスト遊びをしていたのか。さあ、そんな奴はほっといて俺たちと楽しもうぜ。臨時ボーナスがあるから、お金ははずむぜ。」  私をホストと決めつけ、強引に小雪を連れていこうとした。 「止めて、今はオフよ。邪魔しないで。」 「偉そうに、生意気言うな。」  京香を平手打ちにしようとした男の体が、固まった。  ゆらりと移動した私が、箸で人中の秘孔を突いたからである。  もう一人の男は、訳がわからず、とりあえず、 「このホスト風情が、カッコつけるんじゃねえ。」と殴り掛かってきたが、あえなくパンチをかわされ、箸を鼻の穴に突っ込まれた。 「どうしますか。このまま、脳みそまで箸を突っ込まれたいですか。  それとも、お連れさんと大人しく帰りますか。好きな方を選んで下さい。私、人間の脳みそはまだ、食べたことが無いんですよ。」  きっと、私が人の皮をかぶった人喰い鬼に見えたに違いない。  酔っ払いの二人組は、脱兎のごとく逃げ出した。 「私、帰る。」  急に、小雪は怒り出した。 「どうした。」 「どうしたも、こうしたも無いわよ。大事なお客さんに暴力振るうなんてて、最低。」  小雪は、私を振り切って帰って行った。  本心は、愛仙が自分のために怒ってくれたことがメッチャ嬉しかったのである。意外に愛仙が強いことにも、ビックリしてしまった。  ヤバい、オニヤバ。  これ以上一緒にいると本気で好きになってしまう。  そう恐れたからである。  私も、京香と一緒にいると何故かホッとしている自分がいることに気が付いていた・・・・・。  後日、池袋の母の長蛇の行列に磯部社長の姿があった。  磯部社長が並んでいることに、池袋の母こと、雪絵はとっくに気が付いていた。  自分でも、ベールの下で花の乙女のように顔が火照るのがわかった。  磯部社長も、自分の番が来るのをドキドキして待っていた。  20年以上の歳月を経て、時を越えて、お互い身分が変わったが、 ようやく二人は、再会できる。  遠くから見守っていた私と二人の娘である小雪には、あの日の函館の連絡船乗り場の雪景色が浮かんで見えた。 「占ってほしいことは、何でしょうか。」 「命かけて愛すると誓った女性と結婚したいと思っているのですが、告白しようか迷っています。」 「その女性のことを、もっと詳しく話して下さい。」 「はい、透き通るように肌が白く、摩周湖のように澄んだ瞳の持ち主の函館美人でした。」  池袋の母は、クスッと笑った。  磯部小太郎のくそまじめな性格は変わっていない。 「摩周湖とは大げさですね。他には。」  何だかいつもと様子が違う池袋の母を感じた他のお客は、せかすこともなくじっと見守っていた。 「はい、糸魚川の翡翠をお守りとして、プレゼントしました。」 「それは、奇遇ですね。私のと同じですね。他には。」  お客さんたちは、もう眼が離せなくなっていた。  全身が耳、ダンボだった。 「先日、その女性の娘さんにもお会いしましたが、どうやら酷く嫌われたみたいで。」 「まあ、それは大変でしたね。わかります。でもね、その娘さんは急だったので、きっとパニックを起こしたのに違いありません。本心は、嬉しく思っているはずですよ。」 「そんなものですかね。」  実際、あの日、すぐに小雪から雪絵にメールが届いたのだった。 『今日、お父さんに出会えたよ。ラッキー。お母さんが自慢するだけあって、とっても優しくてロマンスグレーで超カッコいい。』  そんなことは言わずに、池袋のママは質問した。 「本当にその女性と結婚したいと思うのですか。今の地位、名誉とか捨てる覚悟はできていますか。」 「はい、できています。今まで苦労をかけた分を償いたいと思っています。いや、彼女がいない人生は、チャーシューのないラーメン、羊の肉がはいっていないジンギスカン料理、あと何だろう・・・」 「もう結構です。食べ物ばかりなんですね。食べてしまいたいくらい可愛いってことにしておきましょう。」  池袋の母こと、雪絵は可笑しくて可笑しくてたまらなかった。  出合ったあの頃とちっとも、変わっていない。  涙がでるくらい、嬉しかった。 「で、どうなんでしょう。告白した方がよいでしょうか。ズバリ、承諾してもらえるでしょうか。」  磯部社長は、真剣な表情で詰め寄った。  お客さんたちの固唾を飲みこむ音が聞こえた。 「まあ、そう急かさないで下さい。20年も待たせたんですからね。」  池袋の母は、もったいぶって水晶占いを始めようとしたが、磯部社長に阻止された。 「いいや、今までの分を一刻も早く取り戻したい。一分も無駄にできない。雪絵、私と結婚してくれ。」  磯部社長は、オーダーメイドの高級スーツのポケットから大きなダイヤの指輪のケースを取り出した。  誰が見てもわかるブランドの超高級品であった。 「うおおお~」「すげえ~。」「オジサン、頑張れ。」「どうするの。」  お客のどよめき、歓声が沸きあがった。  そんな中、池袋の母は立ち上がり、静かに顔のベールをはずした。 「スゲエ~。」「スゴク綺麗。」「噂は本当だったんだ。」  雪絵の美魔女の美貌に、お客はより一層どよめいた。 「こんなオバサンで良かったら、喜んでお受けします。」 「有り難う、雪絵。」  二人は、一目をはばからず抱き合った。  お客さんたちから、拍手の嵐が鳴り響いた。  全員、心が温かいものに包まれた。  後日、池部に新しくできた小さなクラブで、キッパリと社長の座を降りた磯部小太郎が、バーテンとして働く姿を見ることができた。  慣れない手つきであったが、やけに生き生きと楽しそうであった。  クラブの名前は「雪国のガブリエル」、聖母に受胎を告げた、神のメッセンジャーにして、女性ながらミカエルに次ぐ天使の実力者と同じ名前であった。  もちろん、オーナー、出資者は磯部小太郎であった。  そして、ママの名前は雪絵。  チーママの名前は、小雪であった。  親子三人水入らずで水商売に励むこととなったのは、天使の悪戯かもしれないが、美魔女のママの面倒見の良い客あしらいと、元気はつらつの今時の美人の小雪の接客に、結構人気が出るクラブとなった。  お酒の肴に出る自家製のチャーシューやちょっとした函館料理も話題を呼ぶのであった。  せちがない今の世の中、こんな良い話があるのか、ファンタジーだと、龍門社長も大変喜んでくれたのである。
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