第一話 1972年 2月

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第一話 1972年 2月

 吹雪を避けて逃げ込んだ階段は、異国を思わせる街角へと続いていた。  八坂健一は顔を覆っていたマフラーを緩め、手袋の中で強張っていた指を伸ばした。  重い扉を押し開けると、照明の光とむせるような暖気が全身を包んだ。  札幌オーロラタウン。冬季オリンピックに間に合うよう開業した真新しい地下街だ。  コートやアノラックに身を包んだ人々で埋め尽くされた華やかな通路には、まだかすかに建材の匂いが残っていた。  東京や大阪の地下街と比べると長さも短く、あっという間に向こう側についてしまうほどだが、通路の中央にキャナルを思わせる水路があったり、壁面から流れ落ちる滝にカラフルな照明が当てられていたりと、どこか日本離れしたセンスの作りだった。 雪まつりの期間中というもあって通路は人いきれでむっとしていたが、健一にしてみれば外の寒さと屋内の暖かさのギャップはむしろ新鮮だった。  大通方面に向けてゆっくりと歩いてゆく。外国人の姿がちらほらと見受けられた。  俺は観光客に見えるのかな。  健一は帽子を脱いで、つけているバッヂを見た。先ほど雪まつりの会場で購入したもので、五輪のマークを模っている。いわゆるオリンピックグッズだった。健一は腕時計を見た。針に夜光塗料を塗った最新型の物だ。黄緑色の針は午後二時時半をさしていた。  あと三時間だな。のんびり昼食をとっても間に合う。  健一が五反田の安アパートを引き払い、札幌にやってきたのは、昨夜の事だ。きっかけは「公安にマークされている」という真偽の定かでない知人からの情報だった。  東京で健一が所属していたノンセクト団体「超国家革命軍」は一週間前に解散しており、実は健一自身、すでに政治活動に対する興味をなくしていた。  遠い札幌にまで足を運んだのも、首都圏からできるだけ離れた場所で息抜きをしたいという思いからだった。  健一はある女性の顔を思い浮かべた。札幌に逃げてきたのは組織から離れるという目的のほかに、もう一つ理由があった。  東京で同志だった女性、刀根崎恵と会って話をするためだった。  恵は「超国家革命軍」の同志であり、リーダー小田切の恋人だった。  恵は組織が解散する一か月ほど前、何の前触れもなく突然、脱会の意を表明した。そして合鍵を持っていた小田切にアパートをまかせると、故郷の札幌に戻ってしまったのだった。  「超国家的革命軍」は、小田切が二十名ほどの学生を集めて作った組織で「本格的武装闘争」を旗印に掲げていた。山村や海岸、冬山での武闘訓練を繰り返していたが、訓練ばかりで実際には闘争と呼べる行動は何一つ起こしていなかった。  訓練はゲームみたいで面白かったんだがな、と健一は組織の数か月を振り返った。今思うと小田切はエネルギーを持て余した若者たちと、軍隊ごっこでヒロイックな気分を共有したかっただけなのだろう。  組織が解散した直接の理由は、小田切の自殺だった。それも、密かに恋人とみなされていた恵のアパートでだった。小田切が亡くなった時すでに恵は北海道に居を移しており、まだ整理していなかった東京の部屋に、小田切が合鍵を使って入り込んだのだった。  恋人に去られたことで生きる気力を失い、死を決意したとの憶測から、恵の元にも地元の警察から事情聴取のため刑事が訪れたらしい。  地下街の土産屋を冷やかしながら、健一は恵の猫を思わせる瞳を思い出した。   俺がいきなり現れたら、恵は何というだろう、と健一は思った。  健一は恵が帰省する数日前に、恋愛感情を告白していた。小田切と恵が単なる同志ではなく男女の関係であることは組織内の暗黙の了解だったが、健一は恵が小田切の子供っぽさにいずれ愛想をつかすと踏んでいた。  もし恵が小田切にすでに見切りをつけているのなら、二人で組織を抜け、どこかで職を得てひっそりと暮らすつもりだった。  健一が告白を急いだ背景には、ライバルの存在があった。蓑島という実質的な組織のナンバーツーが、以前から恵に対し秋波を送っているかのような接近を見せていたのだ。  理論家肌の蓑島は、小田切のビジョンのなさをいち早く見抜いていた。もし蓑島が仲間の信任を得て小田切に代わるリーダーとなったら、恵は蓑島を選ぶかもしれない。そうなる前に思いを告げ、組織から引き離す必要があった。  しかし健一のそんな思惑は突然、いともあっさりと打ち砕かれた。恵が書置きを残してアパートから消えてしまったのだ。書き置きは小田切に宛てたもので、一言で言うと政治活動に疲れた、ついては組織とも仲間とも距離を置きたい、そういう内容だったらしい。  小田切の落胆ぶりは見ていて哀れを催すほどで、運動の挫折より女に捨てられるほうが辛いと告白しているも同然だった。小田切が恵と住んでいたアパートの部屋で青酸カリをあおって死亡するのは、恵が去ってひと月後の事だった。  小田切の死後、蓑島も急に勢いを失い、組織は一週間足らずで事実上、崩壊した。健一にとっては組織の崩壊よりも、恵が自分の告白に対し何の意思表示もせずに去ってしまったことのほうがショックであった。  小田切の死の直後、健一は警察から事情聴取を受けていた。恵を巡って小田切と健一が微妙な関係に会った事を、仲間の誰かがしゃべったらしい。たしかに健一が自殺を装って邪魔な小田切を殺害したという筋書は、説得力があった。  ほとぼりが冷めるまで恵のいる北海道にでも逃げようか。そう思っていた時、まさにその恵から健一のアパートに電話があった。内容は自分の事は忘れてほしいという物だった。  健一はどうしても会いたいと食い下がり、ついに恵が住んでいるアパートの所在地と、恵が上京する前に勤務していた学童保育施設で再び働き始めたことを聞き出したのだった。
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