7人が本棚に入れています
本棚に追加
第二話 どんぐり村 恵②
スリッパを勧められ、健一は促されるまま上がり込んだ。ドアを潜って居間に足を踏み入れると、ダイニングテーブルでパズル遊びをしていた子供が二人、健一の方を見た。
「ヨウコちゃん、タクミくん、こちらは恵さんの東京時代のお友達だそうだ」
年嵩の方のヨウコという少女が頭を下げた。額を出した髪型が日本的な顔立ちによく似あっていた。つられるようにタクミという少年もお辞儀をした。見たところ、ヨウコが小学校三年くらい、タクミは一年生くらいか。居間にはほかに子供の姿はなかった。
「いつもはうるさいぐらい、子供がいるんですけどね。今日はたまたまこの二人しか来てないんです。……あと、台所で水仕事をしてるのが、ボランティアの中田さん」
そういうと豊は台所の方を目で示した。縄のれん越しに洗い場で立ち働いている女性の後ろ姿が見えた。豊は戸棚から茶道具を出すとてきぱきと健一の前に並べた。
「お仕事の邪魔ではありませんか?」
「いやいや、ちょっと事務仕事をしていただけで、今日はそれほど忙しくないんです。……それより、昭がお世話になりました」
丁寧に頭を下げられ、健一は「いえ、僕はそれほど」と言葉を濁した。
「あまり突っ込んだことを聞くのは失礼だと思うのですが、その……向こうではまだ、いろいろ言う人がいるんでしょうか。……恵君の事とか」
「そうですね、ええと……」
健一が無難な返答を模索していたとき、背後で引き戸の開く音がした。
「ただいま。……あっ」
振り返った健一の視線と、ドアの手前に立っている恵のそれとがぶつかった。
「けんい……八坂さん。こちらにいらしてたのね」
恵はどこか不自然な口調で言った。健一は場の空気に合わせるように、頭を下げた。
「すみません、時間を持て余してしまって、ついお邪魔してしまいました」
「いま、八坂さんから東京の話を聞いていたところだよ」
豊の言葉に、恵は眉を顰めた。東京の話となると自分も無縁ではないと思ったのだろう。
「それほど大したことは話していないよ。お仕事の邪魔をするわけにはいかないからね」
つい言葉が言い訳がましくなった。同意するように豊が頷き、やっと恵は表情を緩めた。
「私、五時半まで仕事なの。申し訳ないけど、どこかで時間をつぶしてくれると助かるわ」
「恵君、ここで一緒に過ごしたらいいじゃないか。今日は子供の数も少ないし、エミコさんもいるから、君の仕事に差し支えることもないだろう」
横合いから豊が言葉を挟んだ。恵は困惑顔のまま、健一を見た。健一にとっても特に問題はなかった。
「僕は構いませんが……子供たちにしてみれば招かれざる客じゃないのかな」
「それは大丈夫よ。人見知りする子もいるけど、大人との接し方は心得てる子ばかりだから、気を遣わずに普通にしていれば問題ないわ」
緊張が解けてきたのか、恵の口調が東京にいた時のようなくだけたものに変わった。
「そうかい。だったら少しの間、お邪魔させてもらおうかな」
健一は利用者たちの邪魔にならないよう、居間の隅に移動した。
「タクミくん、これお母さんにもっていって」
縄のれんをかき分け、台所から中年の女性が姿を現した。中田というボランティアだ。声をかけられたタクミという少年は、立ち上がって小さな風呂敷包みを受け取った。
「中にお惣菜が入っているからね、ひっくり返しちゃだめだよ」
タクミはうなずくと、棚からショルダーバッグを引っ張り出した。惣菜の入った小ぶりの弁当箱をバッグにしまっていると、外でエンジンの止まる音がした。
「あ、お母さんかな?」
タクミが弾かれたように立ち上がると、玄関に向かった。
「車の音でわかるのかな」
「そういう気がするのよ。あの年頃の子供に母親の占める割合は大きいもの」
「ヨウコちゃんは?」
「六時近くまでいるわ。お母さんの仕事が五時までだから、どうしても遅くなるのよ」
恵は愁いを帯びた表情を残し、外に出た。忙しい母親なのだな、と健一は思った。
最初のコメントを投稿しよう!