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第4話 若者は過去を告白する②
「ところが自殺とも限らないんだ」
健一はおもむろに異を唱えた。昨夜の恵の話では、小田切は以前から自殺をほのめかし、狂言自殺もいとわない状態だったという。ならば恵の言う「事故」も大いにありうる。
「どういうことだ」
蓑島が苛立ったような視線をぶつけてきた。恵が「私が説明するわ」と割って入った。
恵は小田切の死は事故である可能性があることを、淡々と語った。昨夜、健一にしたのと同じ内容だった。蓑島は時折意外そうな表情を見せつつ、恵の話に耳を傾けていた。
「なるほど、そういうことかい。それなら事故もあり得るな。しかし今の話には、小田切がなぜ誤って青酸カリを口にしたかっていう部分が抜けているな」
蓑島は潔癖さを露わにするように、細かい点をあげつらった。
「だから、お芝居のリハーサルをしているつもりで、手元が狂ったんじゃないかしら。慌てて吐き出そうとしたけれど、毒が回って……そんなところじゃない?」
「そうかもしれない。……でもね。俺にはいまいち納得いかないことがある」
蓑島がそれまでとは打って変わって厳しい口調で言った。表情も強張っている。
「どこかおかしい点があるのか」
「ああ。まず俺は、あの日、小田切を見ている。まだ生きている小田切をな」
「どこでだ?」
「恵の部屋でだよ。奴は大の字になってぶっ倒れていた」
頭を殴られたような衝撃だった。恵も唇を震わせ、蓑島の口元を凝視していた。
「驚くのも無理はない。実は、こっそり恵の部屋の合鍵を作らせてもらっていたのさ」
「なんだって……」
健一は絶句した。恵を見ると、恵も険しい顔つきで蓑島を睨み付けていた。
「まあ、褒められたことじゃないのはわかってる。でも、俺も心理的に追い詰められていたんだ。わかってくれ……と言っても無理かもしれないがな」
「……で、寝ていた小田切をどうしたんだ。本当に殺したってんじゃないだろうな」
「実は最初、俺は奴が死んでいるのだとばかり思っていた。テーブルの上に遺書があって、それには毒を飲んで死ぬと書いてあったからな。テーブルにはブランデーの瓶もあった。ははあ、これを飲んで死んだかと思った次の瞬間、俺の耳に奴の寝息が聞こえてきたんだ」
「つまり毒を飲まなかった、と?」
「そう考えるしかなかった。おそらく何らかの理由でためらっているうちに眠ってしまったのだろう。その瞬間、俺の耳に悪魔がささやいた。ここにおあつらえ向きに遺書がある。この遺書を利用しない手はない、とな。まだ毒を飲んでいないのなら、俺が飲ませてやればいい。ブランデーに毒が入っていれば確実に死ぬはずだ」
「やってみたのか」
「ああ。奴の上体を起こし、口を開けてブランデーを一口、飲ませた。飲み込んだ途端、奴は苦しみ始めた。俺に気づくと憎々しげに睨み付けてきたよ。だが、やがてぐったりとなった。
俺は急に恐ろしくなって、部屋を飛び出した。鍵もかけずにね。気が付くと、ブランデーの瓶を持ったまま、アパートに戻っていた。
ずっと手袋をしていたから指紋は残らないが、小田切がどうなったかを考えると恐ろしくて仕方がなかった。明日にも警察が逮捕に現れるんじゃないかと思ってびくびくしていた」
「待てよ、ちょっとおかしい部分があるぞ」
「わかってる。まず、小田切の死体が発見された時、傍らには毒の入ったブランデーの瓶があったという。瓶は俺が持ち出したはずなのに、だ。もう一つ、部屋は施錠されていたという。一体、誰が鍵をかけたんだ?」
「たしかに妙だ。瀕死の小田切が、もう一つブランデーの瓶を用意し、丁寧に鍵をかけてから死んだ、ということになる。随分と犯人思いの被害者だ」
「おかしな点はもう一つある。実は持ってきたブランデーに本当に毒が入っているかどうか、アパートの近くの野良猫で試してみたんだ。もし本当に毒が入っているのなら、警察に捕まる前に自分で飲もうと思っていたからな。
……だが、猫は死ななかった。よほどひどい味だったのか、悲鳴を上げて跳ね回りはしたが、しばらくすると何事もなかったかのように、走り去っていった。毒ならそんなことはできないはずだ」
「つまり、小田切を殺したのはお前ではないと?」
「そういうことになるな。奇妙な話だろう?俺が札幌まで来たのは、誰かがこの謎の答えを知っているんじゃないかと思ったからだ」
蓑島は皮肉めいた口調で言うと、恵を見た。恵は口元を引き結んだまま、黙っていた。
「非常に興味深い話をありがとう。お礼に俺から、とっておきの話をさせてもらおう」
健一は二人を交互に見ながら言った。面白いことになってきた、と思った。
「実はお前さんが出て行った後、もう一人、恵の部屋を訪ねた人物がいるんだ」
「まさか……」
「そう、俺さ。俺もお前同様、合鍵を作っていたんだ。……で、俺が何を見たかというとだ。もがき苦しむ小田切の姿だった。
あまりにひどい苦しみように恐ろしくなった俺は、小田切の様子を詳しく確かめずに、部屋から逃げ出した。ご丁寧に部屋を施錠してね。もしその時、すぐに救急車を呼んでいたら、あるいは違ったかもしれない。そう考えると、俺は小田切を見殺しにしたということになる」
「すると、やはり小田切は自殺だったのか?」
「さあな。……もしかしたらそちらのお嬢さんが何か知っているかもしれない」
健一はそう言って恵を見た。恵は能面のように無表情だった。健一は何気なく視線を階段の方に向け、びくりと体を震わせた。
階段を降り切ったところに、ヨウコが立っていた。まるで三人の話を聞こうとでもするかのようにこちらを見つめている。健一は思わず視線を外すと、恵の方を見た。恵は目を閉じ、息を吸うと何かを決意したように口を開いた。
「じゃあ、今度は私が告白する番ね」
恵が一呼吸おいて、再び口を開きかけた時だった。突然、頭がぼうっとかすみ、意識に空白が生じた。次の瞬間、恵の声で「飛ばされる!」という言葉が聞こえた。
数秒して我に返ると、驚くべき状況が目の前にあった。恵が、かき消すようにいなくなっていたのだ。蓑島を見ると、蓑島も呆然とした表情になっていた。
「恵……どこへ行った?」
恵の姿を探してあたりを見回した、その時だった。何かで殴られたような衝撃が健一を襲った。目の前が真っ暗になり、暗闇に頭からねじ込まれるような感覚があった。
なんだこれは!状況を把握することすらままならず、やがて意識が暗い闇の底に没していった。
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