1人が本棚に入れています
本棚に追加
食べきれないほどのご馳走を食べきり、俺は重い体を座椅子に沈める。
オカンはテーブルに並んだ空の食器を、てきぱきと片付け始めていた。
オカン独りが住む団地は、狭苦しいし古臭い。
それでも、実家というものはどうにも落ち着くものだ。
傷だらけのテーブルも、くたびれてぺったんこの座椅子も、なんだか俺にしっくりくる。
この後に運ばれてくるものは何か、俺にはよく分かっていた。
もう二十数年同じことが続いているのだから当然だ。
「ほら、あんたが好きなショートケーキ買うといたで」
オカンは片付いたテーブルの上に、ケーキがのった皿を二つと、湯呑みを二つ置いた。
三角の白いスポンジに生クリームがたっぷり絞られ、イチゴが乗ったショートケーキ。
コーヒーも紅茶も嫌いな俺のために、湯呑みに入っているのは緑茶だ。
「誕生日おめでとうさん」
「…どうも」
そう言い終わらないうちに、俺はケーキにフォークを刺し、口に運んだ。
安っぽい駄菓子のような甘みが、口いっぱいに広がる。
正直、大人になってからは甘いものをあまり好まない。
確かに子供の頃大好きだったこのショートケーキも、もはや何がそんなに美味しかったのかわわからなくなっていた。
「はは、あんたそれ、変わらんねえ。好きなん後に残すやつ」
上に乗ったイチゴを避けた俺を見て、オカンが嬉しそうに笑う。
イチゴを最後にするのは、少しでも後口をさっぱりさせたいと思ったからだ。
昔からの癖、というのもあるが。
「イチゴも買うてあるで。洗ったろか?」
「…いや、さすがに腹いっぱいやしな。明日の朝食べるわ」
そうかそうか、と笑うオカンを見ながら、俺はケーキを口に押し込んだ。
大人になると、誕生日は「祝ってもらうもの」から、「祝われてあげるもの」に変わる気がする。
「あんたもいつまでもオカンとケーキ食べとらんと、祝ってくれる彼女ぐらいおらんのかいな」
「…へいへい」
俺は生返事をしながら、最後のイチゴにフォーを振り下ろした。
しかしイチゴは皿の上を滑り、フォークがカチンを音を立てる。
逃げたイチゴを手で捕獲すると、ポンと口へ投げ込んだ。
「しゃーないやっちゃなあ」と言いながらも、オカンは楽しげにカラカラ笑う。
ケーキは俺よりも早く平らげていた。
イチゴを噛むと、爽やかな酸味と粉砂糖のかすかな甘みが、ちょうどいい具合だった。
子供の頃から変わらない、懐かしい味。
俺はこれが、確かに好きだった。
誕生日になるとオカンが買ってきてくれたショートケーキ。
にこにこ楽しそうなオカンも、特別感のある赤いイチゴも。
それは今でも、変わっていないのかもしれない。
胸やけしそうなショートケーキを食べた後、俺は確かに幸福感で満たされていた。
「…やっぱり、いくつになっても『祝ってもらってる』んやな」
台所でケーキ皿を洗い出したオカンの後ろ姿に、ボソッと呟く。
「オカン、なんかちょっと痩せた?」
今度は聞こえるように言うと、オカンは、はあ?と言いながら顔だけで振り向く。
「むしろ肥えたわ!嫌味かいな!」
「はは、そうか」
威勢がいいのは変わらない。
でもオカンの後ろ姿が、なんだか少し小さく見えるような気がする。
俺が大人になったのか、オカンが年老いたのか。
両方だ。
実を言うと、誕生日を祝ってくれる彼女は、すでにいる。
「私たちはいつでも祝えるんやから、誕生日当日は実家に帰ってあげて」と言ってくれる、性格のいい子だ。
顔もそこそこかわいい。
「イチゴ洗ったろか?いけるやろ」
洗い物を終えたオカンが、「二軒目行く?」というようなノリで冷蔵庫からイチゴのパックを取り出した。
「腹いっぱいやゆうたやろ。まあ、ちょっとならいけるけどな」
そやろ、そやろ、といって、オカンはウキウキとイチゴを洗い始めた。
彼女は、女手一つで俺を育てたオカンに会ってみたいと言ってくれている。
今度連れてきて、きちんと紹介するつもりだ。
(…でも今日は、まあええわ)
来年からはきっと、三人で祝えるだろう。
おそらくオカンは張り切って、御馳走もケーキもイチゴも、倍量ほど用意するに違いない。
それを笑いながら、みんなで食べきるのだ。
オカンと二人で祝う誕生日は、今日で最後になるかもしれない。
(イチゴでもみかんでも、今日はとことん平らげたろ)
俺は今から迫りくる山盛りのイチゴに備えて、緑茶で口をスッキリさせた。
最初のコメントを投稿しよう!