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ヘヴンズ・リグレット
「早く行けって言ってるだろ。たったの一時間だけだからな」
アズミは僕の尻を平手打ちした。勢いに押され、思わずよろめく。
「でも──」
「でもじゃないだろ。言い残した言葉があるんだろ? ちゃんと伝えてきなよ!」
「わかった」
そう言うと僕は、地上へと伸びるオーロラのベールに身を投げた。気の強いアズミが、おどけながら手を振る。粘液で包まれるような感覚が全身を包み込み、気づくと僕の身体は現世に立っていた。
人ってこんなにも簡単に死ぬものなんだな。それが最初の感想。物心がついてから、だいたい25年くらい。たくさんの喜怒哀楽を繰り返し歩んできた日々。死は一瞬でその物語を打ち切りにする。どこまでもそれは、あっけなかった。
「キミのことを担当する、アズミって言いまーす」
天国と呼ばれる世界に連れられてすぐ、アズミは僕の前に姿を現した。
「担当?」
「キミみたいに、現世でやり残したことがあるヤツのお世話をする係」
「意味がわからないな」
「見た目と違って、キミってアホそうだな」
初対面の人間に対して失礼な口を利く奴だな──と、僕は苦笑いした。そもそも僕はもう人間なんかじゃない。不慮の事故に巻き込まれ、恋人を現世に残してきた無責任な不用品だ。
「一時的に現世に戻るための手続きって、めっちゃ複雑なんだよなぁ。超面倒クサいし。試験だっていっぱいあるんだよ。それでもほんとに戻りたい?」
なぜ僕が現世に戻りたいってことになってるのかはわらからない。でも、やり残したことがあるのは事実。それを果たすチャンスがあるなら願ったり叶ったりだ。
「よろしくお願いします」
僕は深々と頭を下げた。
「わかったよ」
アズミはため息をつきながら笑った。ツンと尖った鼻先が、少し可愛かった。
「ちなみに、アズミ──さんって、何者なの?」
「何者でもいいじゃん、別に。キミより先に死んだ天使だよ」
意地悪そうに顔を歪めると、アズミは背を向け歩き出した。何が起こるのかわからないまま、とりあえずついて行くことにした。
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