ずっと言いたかった言葉

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「うるさいうるさい! あんたの声、耳障りなのよ!」  そう言われた直後、私は母に喉を切られた。あれは十五歳の春の時。高校入学直前で起きた事件……。  あれからちょうど三年。今日は高校の卒業式。  喉を切られたものの、そこまで深く切られたわけではなかったので、私は生きている。傷跡は残ってしまっているけれど、生きているだけマシというものだ。  母はというと、あのまま狂って飛び出して行ったきり。どこかで生きているのか、はたまた死んでいるのか、私にはわからない。 「沙穂(さほ)ー! そろそろ行かねぇと、間に合わねぇぞ!」  玄関から声が私を呼ぶ声がする。私は薄っぺらい指定鞄を持って、部屋を出た。 「今日も可愛いな! 沙穂!」  笑顔でそんなことを言うこの人は、私の従兄の玲央(れお)。年は同い年で同じ学校に通っている。ちなみに、私の事情が事情だからか、三年間同じクラスで席も隣だった。 「行こうぜ」  玲央が差し出してくる手を、私は握った。  父は物心ついたときにはいなかった。そして母は私を切付けてそのまま行方不明。結果、私は母の実姉である瑞希さんに、引き取られることになった。  瑞希さんと私の母は昔は仲が良かったのだが、思春期になって母が家を出てからは、音信不通になっていたらしく、娘がいることも知らなかったそうだ。 「もう卒業かぁ。あっという間だったな!」 「……」 「クラスの連中とも、互いに進学先がバラバラだから、会うのも難しくなるよなぁ」 「……」 「でも大学は大学で、きっと楽しいはず! 今から楽しみだな!」  玲央はたくさんしゃべる。私が一言も話していないにも関わらず、彼の口は止まらない。まぁ、私は話すことはできないけれど。  喉に傷跡は残っているものの、幸いにして声帯などにまで影響はなかった。だけど、やっぱり精神的なショックなのか、私はあの事件から声を失ってしまった。  私はもうあの時のことは、もうどうでもいいと思っているんだけれど、お医者さんいわく深層心理ではまだ治っていないのだろうと。  そんな私をめんどくさがるどころか、玲央は積極的に世話を焼いてくれる。  私はスマホを取り出して、メッセージを玲央に送る。 『玲央は大学に行ったら、なにかサークルに入るの?』  私の会話手段は、もっぱらこれである。小さい頃はスマホなんて使えるわけもなく、メモ帳とペンが必須だった。それ以外に「はい」は指先で一回叩く。「いいえ」は二回。相手に話しかけたいときは三回。  一人は喋り続けて、もう一人はスマホを操作している。端から見たら、ずいぶんと変な二人組だろう。 「んー、今のところはなにも考えてないなぁ。ほら、この間一緒にオープンキャンパス行った時、めちゃくちゃあったじゃん? だから全然、決められない」 『たしかに。小さいのから大きいのまで、いろいろあったもんね』 「それにやっぱ、バイトもしてみたい! うちの高校、禁止だったしな」  笑顔の玲央に、私はとりあえず笑顔を返した。  卒業式が近づくにつれ、私の心境は複雑になっていった。  玲央はとてもいい人だ。高校生になって、突然同い年の兄妹ができて、そのうえ声を出せない。なのに、初めて会った時から、玲央は嫌な顔せず、私を“普通”に扱ってくれた。誰もが距離をとるのに、玲央は当たり前のように、そばにいてくれた。  昔、どうして気にかけてくれるのか、聞いたことがあるけれど、その時ははぐらかされてしまった。とりあえず、時期がきたら教えてくれるらしい。なので、私はそれまで待つことに。  でももうあれから三年。さすがに大学では四六時中、私にくっついていられなくなる。むしろ、私のそばにいることで、玲央の世界が狭くなってしまうのは困る。  私にできることは……。 「そういえば昔、どうして俺が沙穂のことを気にかけるか、聞いてきたことあったじゃん。それさ……」  言葉を切った玲央。  私は彼の顔をみあげる。玲央はどこか照れたように頬を掻いていた。  玲央はなにを言いたいのかな……。  メッセージを送ろうとして、ふと時計が目に入った。  やばい! このペースで歩いてたら遅刻する!  私は慌てて鞄の中にスマホを入れ、ぐいぐいと玲央の手を引っ張る。 「あ! 時間か! やばっ!」  私たちは走り出した。  無事に卒業式には間に合い、クラスのみんなとも、別れを告げることができた。玲央はクラスでも人気者で、みんなから引っ張りだこで、どこかやつれ気味である。 「俺、ボタンの風習は、学ランだけだと思ってた……」  私たちが通っていた高校はブレザーだった。だが、女子はやっぱり好きな男の子の思い出の品が欲しいらしい。というわけで、玲央は襲われていた。その結果、 『ブレザーなのに、予備のボタンからネクタイまで、全部ひんむかれたね』 「女子ってこわっ……」  玲央はすべてを持ってかれていた。  ちょうど、家の近くの公園までやってきた。昼時にも関わらず、人影はない。 「な、ちょっと寄ってこ?」  玲央は私の手を引いたまま、公園に入り、私をブランコに座らせる。そして自分はその隣に座った。  玲央は黙ったまま。私は意味もなく、ブランコを揺らして、玲央が口を開くのを待つ。 「……なぁ、朝、言ったこと、覚えてる?」  朝言われたこと? なにを言われたっけ? 「沙穂としたいことがあるって」  あぁ。そういえば。時間がなくて、聞けなかったけど。 『私とじゃないと、できないの?』 「俺は沙穂と一緒がいい」  玲央は私の前に来ると、私の手を取り、目線を合わせるように膝をついた。  彼の瞳は、すごく真剣だった。私が、見たことないほど、真剣だった。 「沙穂。好きです。俺と付き合ってください」  …………え?  予想外の言葉に、私は思考が止まった。  付き、合う? 私と、玲央が? 待って。なんで、どうして? 私は喋れないし、今までずっと迷惑をかけてきた。なのに、え?  私は震える手で、メッセージを送る。 『玲央のその気持ちは、同情じゃ、ないの? 玲央は優しいから、その庇護欲にかられてっていうか』 「それはない。俺、ずっと言えなかったけど、沙穂に一目惚れだったんだよね」  またしても、衝撃の言葉に、私の手は止まった。 「まぁ、庇護欲がないと言ったら嘘になるけどさ。いや、どちらかというと、独占欲? 俺だけが沙穂の支えになれればいいなって」  笑顔で言い切る玲央に、私は頭を抱えたい衝動に陥った。心当たりがあったからだ。私がクラスのみんなと距離をとっていたのもあるけれど、いつどんな時も玲央がそばにいた。私がなにも言わなくても、困っていたときは手を貸してくれた。  そんな玲央のことを、好きになるのは当然だった。  でも、私がそばにいれば玲央の可能性を潰してしまうから。玲央は優しいからそばにいてくれてるだけだと思ってたのに……。 「ねぇ沙穂。沙穂はずっと我慢してきた。だから、もう我儘を言っても、いいと思うんだ。沙穂の素直な気持ちを、俺に教えて?」  私は玲央の視線に耐えきれずに、下を向いた。  どうして私は、声が出ないのかな。せめて自分の声で、想いを伝えたいのに……。  ううん。声が出なくてもいい。玲央の瞳を見て、口を動かして私の想いを伝えよう。  私は大きく深呼吸をし、玲央の顔を見つめた。 「す、き」 「……え? 沙穂、いま、声が!」  玲央に言われて、初めて自分が声を出したことに気がついた。私、声、出せた? 「沙穂! もう一回言って! 俺の名前を呼んで!」  玲央が興奮して、私の肩を掴む。  私は喉にそっと手を当てながら、玲央を真っ直ぐ見つめる。 「れお、すき」 「沙穂!」  玲央はぎゅっと私を抱きしめた。私もそっと玲央に腕を回す。 「今日は最高の日だね! 想いが通じあって、なにより沙穂の声が戻った! 沙穂、これから二人でもっともっと思い出を作っていこうな!」 「うん」  私たちは顔を見合せ、笑いあった。  不幸の数だけ幸せがあるというならば、私の幸せはきっとこれからたくさん、訪れてくれるのかな。ううん、もし不幸なことがあっても、玲央と二人なら乗り越えられるはず。 「れお、すき」 「俺も好きだよ! 沙穂!」
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