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「わあ、これ、とっても綺麗」
白と桃色……旦那さまは白?と細い手が金平糖を摘み、喜八の手に乗せる。金平糖が乗せられた喜八の手は、明らかにシワが少なかった。目の前には、にっこりと微笑む朝霧がいる。きめ細やかな肌に、柔そうな頬は間違いなく朝霧だった。
「旦那さま?」
「ああ……」
喜八は、ああ、これは夢か。と悟った。
そして喜八はこの場面を覚えていた。初めて喜八が朝霧に金平糖を渡した時である。なけなしの金で金平糖を買った。甘い物が好きと言っていたから、という単純で、馬鹿な理由だ。
この後、朝霧は金平糖を口に放る。その笑顔に、完璧に、恋に落とされてしまった日であったことを喜八は思い出した。恋に落ちた、なんてものじゃなく、まるで突き落とされたような衝撃だったと喜八は記憶していた。
目の前の朝霧が、桃色の金平糖をつまみ口に運ぶ。
白い指につままれた桃色の金平糖が、赤い紅の引いた口へ近づく。それはまるで、白い紙に血をポトリと落とし滲んだときような、白色 桃色 赤色の綺麗な濃淡であるように見えた。
その綺麗さに身震いしつつも喜八は、この後だ、好きになってしまったのは、と身構える。朝霧は金平糖を口に放り込み、まあるく目を見開き柔らかそうな頬を、細い両手で抑えた。
「美味しい、旦那様!」
ぎゅう、と心臓を締め付けられるような感覚になる。喜八は、この愛らしさに打たれたのであった。もう一度この笑顔を観れると思ってなかった喜八は、目頭がじんわりと熱くなる。
今なら、身請けでも出来よう。この笑顔を守ることが出来る。もう二度と、あの苦笑いを見なくて済む。他の男に抱かれずに済む。夕霧のような、悲しい子供がいなくなる。喜八は、夢だということを忘れ、本気でそんなことを思った。
「旦那さま?」
「朝霧……」
手を伸ばし、その朝霧のやわらかな頬に触れようとした時、朝日が目に飛び込んできた。
チカチカと光る目を細くする。朝霧の顔に触れようとした腕は宙をかいていた。その手は、いつも通り年齢を重ねてきたシワのある手だった。やはり夢だったかと、やり場のない手を顔にやると、目に涙が溜まっていることに気が付く。
「……ひどい夢だ」
ハアと深いため息をつく。
その日の朝飯で、ろくに妻と目を合わせられなかったのは言うまでもない。
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