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 喜八はこの感覚が懐かしく感じると共に、すこし切ない気分にもなった。昔は、よく来ていたものだったのにと腕を組む。あの時は、今の勘吉のように有頂天で、側から見たら恥ずかしい素行だったと、思い返せばやれやれと汗が出る。  そんな不思議な街を散策している途中、すこし高い声が喜八を呼び止めた。 「あれ、喜八の旦那様……喜八の旦那様じゃありませんか!」  名を呼ばれ振り返った先には、まるで狐が化けたような風貌をした男がいた。喜八はその男の顔が見覚えがあった。 「ああ、朝霧の店の……」 「そう! そうです旦那様! よく覚えていて下さって……」  懐かしいですね、旦那様の商売は良い噂しか聞きませんよ、だいぶこの街も変わったでしょう……その尖った口からはペラペラと勘吉に負けず劣らずの言葉が溢れて来る。そんな中、喜八は苦笑いをしつつも話を聞いていた。 「元気で何よりだ……」 狐男はハッとし、吊り上がった眉を気持ち下げた。百面相のようなその狐のような顔を、ジイと見つめる。 「すいません。朝霧はもういないんです。旦那様が来なくなったすぐ位に、もう……」  喜八にとって覚悟していた、分かりきっていたことを言われたはずなのだが、少し胸が痛む。昔とはいえ、情を交わした仲である。昔の自分なら泣いていただろうが、時間がもたらす思い出の風化なのだろうか。身構えていたほど、心は傷つかなかった。 「そうか……」  何かとこれず、すまん。狐男に言った。 「いえ、そんな恐れ多い……それで旦那様、あって頂きたい子がいまして」  この男も店の使いである。喜八のお気に入りを店に作れば、お金をたくさん落として行ってくれると思っているのは当たり前である。 「いや、立ち話をしておいてすまんが、今日はそういうつもりで来たのではないのだ」 「いや、旦那様。一目だけでいいのです」  このやり取りが何回か続いた。喜八の目が鋭く、きつく見えるものの、本当は頼みごとを断れない性格なのを分かっている狐男はグイグイと押す。ひと目だけ、ひと目だけと、このやり取りが面倒になった喜八は、本当に一目だけだぞ、とため息をついた。狐男は、開いているのか開いていないのか分からないような目を見開いた。 「旦那様ならそう言ってくれると思いました!さあ、どうぞどうぞ!」  狐男は、長い廊下を歩いていく。その間にもなにかペラペラと喋っているがもう耳を傾けていない。華やかな着物、賑やかな笑い声、鳴り響く三味線の音。……からどんどん離れ、奥へ奥へ入って行く。 「おいおい、どこに連れていくつもりだ、こんな奥まで」 「さあさあ、着きました」  では、ごゆっくり……と狐男は襖を開ける。  その奥にいたのは、普通の、1人の女郎にみえた。顔が小さく、着物の袖から少し出ている指は細い。  カラスのぬれ羽色といったような髪の毛と  すこし童顔のような顔に、  あかい紅が小さい唇に引いてある。  見覚えのある、愛らしい顔  朝霧だった
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