side-S

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「……っていうことなんだよぉ」 「……いや、それは分かったけど。なんで家に来るかな……」  はぁ、とこれ見よがしに溜め息を吐いてみせたのに、ぐじぐじと泣き言を繰り返す渉は自分で買ってきたチューハイの新しい缶を開けようとしている。次が3本目で、話のループは4回目だ。  カシカシと音を立てるだけで実際にはプルタブを開けられずに、なんだよもぉ、と本気で泣き出しそうな声に変わっている。 「……ほらもう借して」  奪うように缶を取り上げて、カシュッとプルタブを起こしてやる。切り損ねていた爪がこんな形で役に立つなんて、とこっちもほんの少し落ち込んだ。 「ありがと」 「どういたしまして。……飲み過ぎないでよ」 「……颯真は優しいなぁ。……稔さぁ、オレと付き合うようになってからさぁ……缶とか、開けてくんなくなったなぁ……」  手渡した缶を見つめて本気で泣き出した渉に、慌てるより先に溜め息が出た。 「……それはさ、渉を傷付けたくないからでしょ」 「? 何それ。オレ、こんなに傷付いてるのに?」 「稔も傷付いてると思うよ」 「……颯真は稔の味方なのかよ」 「そうじゃなくてさ。稔もさ……缶、開けられないんじゃない? 爪ないから」 「…………爪?」 「そう。爪」  ほら、と自分の手を見せてやる。 「オレは最近全然会えてないからさ、爪切るの忘れちゃってるけど。……普段は深爪くらい切ってるよ」 「…………なんで?」 「傷付けちゃうじゃん」 「傷……?」  キョトンと首を傾げる渉は本気で分かっていないようで、稔の苦労が忍ばれる。 「──セックス、するでしょ」 「なっ!? なにっ!?」 「ちょっ! 溢れてる!!」 「わっ!? わっ?!」 「わわわわわ」  あわわとキッチンに走って布巾を取って戻る。  しゅわしゅわと床に広がるチューハイを、ティッシュでなんとかしようとしていた渉を横に退かして布巾を這わせた。 「……あのさ。子供じゃないんだからさ」 「だっ……だってさ!? せっ……くす、とか……お前が言うと、なんか……すげぇエロい」 「なんだそれ」 「なんてか……稔もだけどさ。……なんかさ……女の子とすげぇ色々あったんだろうなって。……ぶわぁって妄想が湧くっていうか……なんかリアルすぎてエロい」 「なに、リアルすぎるって」  苦笑しながら床に広がったチューハイを拭って、乾拭きで仕上げる。 「…………オレはさ、男じゃん……アイツ、ホントにオレでいいのかな……」 「…………何言ってんの?」 「……きっとさ……オレなんかじゃ想像もつかないくらいにさ、そういうことをしてきたんだろうなって……思うとさ……ちょっと、怖い。オレとさ……シたってつまんないんじゃないかなとか……女の子ってさ……柔らかいし温かいし、優しいし……。オレ、どうしていいのか分かんねぇ……」  静かに泣いているのは、酒のせいなのだろうか。  きっと今まで誰にも言えずに渉自身が葛藤していただろうことが、弱りきった今溢れ出ているのだろうことは理解できるのだけれど。 「……そういうことはさ、ちゃんと稔に言わなきゃ」 「ンなこと……っ……かっこ……わる、過ぎて……言える訳ねぇよ」  じゅびっとやけに水っぽい音で鼻をすすり上げる渉に箱ごとティッシュを放る。 「……バカだなぁホント」 「ンだよぉ」 「ちゃんと話しな。呼んどいたから。もうすぐ来るし」 「呼ん……?」 「稔」 「なんっ!?」 「だって手に負えないもん。酔った渉の面倒見れるのなんて稔だけだよ」  金魚みたいに口をパクパクさせている渉に、そっと笑って見せた。 「ちゃんと話してみ。稔はたぶん、そういう話もちゃんとしたかったんだと思うよ」  最後まではしない約束で部屋を貸して、夜になっても暑さが和らぐことがない外へ出る。30分で戻るよと念押ししたら、10分で出たる、と力強く笑われた。  ブラブラ歩いて辿り着いたのは、待ち合わせ場所だったいつもの公園だ。  無表情ながらに悲しみを浮かべていたあの日の司は、今ではすっかり笑顔も表情も豊かになった。 「……司もそんなこと思ってたりしないかな……」  爪が伸びたままの手を見下ろして溜め息をひとつ。  言葉にしないと伝わらない愛があるなんて、分かっていたつもりで、だけど実際ちゃんと伝わっていたのかは確かめたこともなかった。  ポケットに突っ込んだままのスマホを引っ張り出して、迷ったのはほとんど一瞬だ。  電話してもいい? とメッセージを送ってみれば、すぐに電話が鳴った。 「もしもし司? 今大丈夫だった?」 『ん。大丈夫だよ。颯真こそ、どうしたの?』 「ん~。ちょっとね。声聞きたいなぁと思って」 『……ごめんね、全然会えなくて』 「いいよいいよ! 大丈夫。次会えるの、凄い楽しみだし」 『んふふ……そっか……あし……』 「ん?」 『……ううん、何でもない』  耳に直接注ぎ込まれる司の声が心地よすぎる。  ストン、とベンチに腰を下ろして空を見上げた。満天の星空とまでは行かないものの、月は綺麗に見えている。 「ねぇ、司」 『ん?』 「オレの好きって、どのくらい伝わってる?」 『へ? どしたの急に……』 「ん~……ちょっと気になって?」 『……う~ん……そうだなぁ……』  微かに笑みを含んだ幸せそうな声が紡ぐ音を、1つも聞き漏らさないように耳を押し当てた。 『オレねぇ……結構颯真のこと好きだよ』 「ん。知ってる」 『オレもね、颯真がオレのこと好きなの、知ってる』 「ん……そっか」 『でもねぇたぶんねぇ……颯真が思ってるより、颯真のこと好きだよ』 「そっか……」  そっか、ともう一度呟いたら、ふふ、とほとんど同時に笑うのが愛しい。このままずっと、何時間でも声を聞いていたいと思いながら、他愛もない言葉を交わす。  30分経ったかなと思うよりも随分長い時間の後で、あんまり邪魔しちゃ悪いから、と名残惜しく電話を切った。  もう一度見下ろした手をしげしげと見つめたあと 「……帰ったら爪切ろ」  呟きは軽やかで随分幸せそうに自分の耳に響いた。
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