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水鉢泥棒
廃墟の中を用心深く歩きながら、ルタは地面に目を走らせた。せわしない目つきで追っているのは、幾百年の雨水を満々とたたえた、美しい太古の蓮鉢だ。朽ち果てた扉の横に、塔と塔をつなぐ道の傍らに、いくつもある中庭の池のほとりに、無数に置かれた蓮鉢は、あるものは薄紅の大輪も鮮やかに、またあるものは花のあとの残骸を晒し、あるいは花も葉もなくただ丸い水面に空を映しながら、一様に日の光を浴びて白く光っている。
「なかなか、ちょうどいいのがないな。」
蜘蛛の巣状の道を歩き、崩れた塔を潜り抜け、いくつかの中庭を巡る。生垣に囲まれた小さな中庭に、幹のすらりと伸びたマンゴーの大樹があった。その根本に、ルタは目当ての状態の鉢を見つけた。まだ開くまで日がかりそうな、固く青い蕾が水面から伸びている。足を止めてその前にかがみこんだ。鉢を傾けて貯まった雨水を抜き、蕾を鉢の中の泥にそっと寝かせる。腰巻に挟んだヤシ皮の丈夫な袋を地面に広げる。水を抜いて少しは軽くなった鉢を慎重に包むと、どっこらしょと右肩に担ぎ上げた。あとは持ち帰るだけだ。まあ、そこが一番の難儀なのだが。
青みのある石をくりぬき、細かな彫刻で飾られた大鉢はずしりと重い。力自慢のルタでもいちどに一つしか持ち出すことはできない。この場所から村までは半日の距離。夜明け前に起き出して家を出てきた。今から戻れば、どうにか夕立の雷雨の来る前には戻ることができるだろう。それにしても重い。
もう四年ものあいだ、十日おきにこうして太古の蓮鉢を運ぶのが、ルタの大切な生業になっていた。盗みと言われればその通りだが、なりふりに構っている余裕はない―この鉢を磨いて蓮の蕾とともに町で売れば、体の弱い妹のための薬を買い続けることができる。透き通ってきらめく八重の花弁も、鉢に施された細密な装飾も、美しく、珍しい。町で裕福な家の戸口に立てば、どこの田舎の村から来たかもわからないルタのような男は、追い払われることがほとんどだ。だが、それでもめげずに家々をまわり、このずた袋を広げて中身を見せれば、それなりの金を出して太古の蓮鉢を買おうという、もの好きの金持ちにそのうちあたる。
一度にひと鉢ずつしか持って行けないことで、この蓮の価値は高まった。この太古の蓮の美しさに魅入られた者は、庭を飾るにはひと鉢では飽き足らず、「また同じものを持って来られるか」と、向こうからいい値段を持ちかけてくれるからだ。忙しいからたまにしか持ってこられない、またこの家に来る保証はできないと言えば、相手は焦ってますます値段をつり上げてくれる。
ほかにもたくさん買い手がいるかのような芝居で相手の感情を煽ることが、ルタは得意だった。嘘がうまいのは父親譲りなのかもしれないと思うと虫唾が走るが、仕方がない。生きていくのに役に立っている。
呪われた男、こそ泥、疫病神。村ではそう呼ばれている。だがどんなにののしられようが、石を投げられようが、今のおれにはこうするしか、やりようがない。かわいい妹のアーシャが生きるためなら、なんでもする。夕刻に家に帰ってひと眠りしたら、夜を徹して鉢を磨き、夜明け前にはまた鉢を担いで、町を目指しておれは歩くだろう。
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