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盲姫と透明人間の幸福
夜。
「それでは、お嬢様、おやすみなさいませ」
ムスカリの傍仕えは、部屋の明かりを消すと、一礼すらせず、扉を閉めた。
部屋には、ムスカリだけが残されたように見えた。
月明かりの下で、くすり。とムスカリは笑った。
「主人の娘に向かって、頭一つ下げない。
目が見えないから分からない。とでも思ってるのかしら。
どう思う。ナズナ」
一切の光をともさない瞳で、一点を見つめて、ムスカリが言う。
そこには、虚空以外の何もない。
なのに、何もないはずの空間から声が返ってきた。
「気に入らないなら、仕返しをしてやろうか」
ボソボソとした男の声だった。
まだ若い、消え入りそうな青年の声。
月光だけが照らす暗い部屋の中で、絨毯が数センチだけへこんでいることに、誰が気付けるだろうか。
そして、そのへこみは。
一歩。また一歩と、ムスカリの方へと近づいていく。
ムスカリは、嬉しそうに両手を伸ばした。
「そんなのいらないわ。キリがないし」
そう言って、ムスカリは伸ばしていた両手を、ゆっくりと動かす。
いとおしそうに、虚空をなでる。
「不思議ね。
ナズナはこうしてずっとこの部屋にいたのに。誰一人気付かない。
目の見えない私には、はっきりわかるのに。
目が見えるはずのあの人たちには、ナズナのことが分からない」
そうすると、また、何もない空間から声がした。
今度は、先程よりも、ずっとムスカリに近い場所だ。
ちょうど、ムスカリが両手で撫でている虚空から、声はした。
「俺は、ムスカリ以外に知られたくない」
「そうね。私も、ナズナのことを他の人に教えたくないわ」
そうして、盲姫と透明人間は、外に声が漏れないように、くすくすと笑いあった。
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