ネオンの微熱

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「……は、え?な、何、これ」 「見ればわかんだろうが!!」 「え?何、なに」 「指輪!!!」 「………せ、せんぱい?な、ど、どしたん?」 「…テメェしばくぞコラァ」  思えば気づくべきだった。渡された小さな箱。いかにも高そうな装丁。  誰がどう見ても指輪だ。女だったらその箱を出された時点で感極まって泣くだろう。  俺はいったい何を見ていたんだか。  でも雨だし、視界は悪いし、こんな下品な光のもとじゃしょうがねえだろ。   「わ、渡す相手、間違えてへん?」 「……」  先輩は雨に濡れた髪をかき回すと、大袈裟に溜息を吐き不機嫌きわまりない顔で俺を見下ろした。   「知ってたよ。浩二が今の関係ずっと不安に思ってたことも」  いつもの余裕ぶっこいた先輩はどこに行ったのだろう。こんな先輩初めて見た。   「俺も仕事が忙しくなってきて、お前のことほっておいてたし…浩二は浩二で、お前今まで特定の誰かと付き合ったことなんてないじゃんかよ」 「なんだよ、それ」 「だから。お前はやれれば誰でもいいんだって、そういう奴だった!なのに…俺との約束は律儀に守り続けるし…」 「あ、あんたがそう言ったんだろ!?」 「うるせぇな!今まで誰のことも本気にしてこなかったお前だぜ!?俺が調子乗っちゃおかしいかよ!」  何言ってんのコイツ。バカなの?アホなの?あんなに散々ヤるだけの仲でいて今更何言ってんの?   「だから…目に見えるものが欲しかった」  そう簡単には許すわけがない。俺は根に持つ男だから。   「浩二…悪い。これで許せ。どこにも行くな。俺から離れるなよ」  …許さん。   「働きたくないなら働かなくてもいい。俺がどうにかする。…だから、そばにいてほしい、浩二」  いや、別に全然いいんだけどね?先輩がそこまで言うなら浩二くんだってご要望にお応えしちゃうけどね?  ただぽかんと先輩を見上げていたら、怒ったように舌打ちをされる。   「おい、手…」 「へ?な、何」 「手!出せっつってんだよ」  何そんなに怒ってんのこの人さっきから…。水も滴る、とか笑えるほどブサイ顔してんだけど。え、ちょーウケる。  なんて動揺した心の中で思いながら右手を先輩に差し出したら、本気の力でひっぱたかれる。どうやらこの人マジらしい。俺の夢かな。   「いったいな、そんな本気で怒んないでよ」 「いい年こいてさっきまでギャン泣きしてたヤンキーが何言ってんだよ、犬に喰わすぞ」 「あんたがヤンキーかよ…」  おずおずと左手を差し出すと、先輩は不機嫌そうに息を吐き出した。なんてロマンの欠片もない。  ただ厳ついだけの正真正銘男の手。入間さんがうやうやしくその手を取った。むずがゆさが全身を駆ける。先輩が俺の薬指に指輪を当てた。   「…浩二」  ドスの効いた声と燃えたような目にギンと睨まれる。  俺は思わず左手をぎゅっと握りしめてしまったのだった。  だって、なんだよこれ。恥ずかしすぎんだろ。   「指かせ。てか手開けこのアホ」  力ずくで手を開かされ、俺の節くれだった薬指に銀色の指輪がはめられた。  大きな一仕事でも終えたかのように先輩が額の汗をぬぐう。雨だからそんなことしても意味ないし、なんなら汗かいてもその瞬間から流されているわけだけど。   「…なに、これ…」  左手を透かせば、ちらりと光る銀色の指輪。もとからそこにあったかのように俺の薬指に居座っている。たったいまつけたばかりなのになんだか図々しいな。先輩みたいだ。   「先輩ひょっとして俺のこと好き?」 「好きだよ!!!ふざけんな!お前一回川に落とすぞ!?」 「だからさっきからうっさいなあ……俺も好きだよ」 「…あっそ。知ってる」  先輩がさっきからチラチラと俺を窺っている。俺はただ信じられないものでも見ているかのように、ネオンの光に左手を透かしていた。   「…浩二」 「え、何?」 「だから、こっち。見ろよ」 「え、やだよ」  見慣れた先輩の顔なんて今はいいよ。だって俺の薬指にはまってんだよ?先輩のくれた指輪。   「ったくなんなんだよ。雨だし、お前には泣かれるし、せっかく俺だって勇気出したってのにお前俺そっちのけだし」 「見えてる見えてる。ちゃんと先輩のこと認識したうえでちょっと今目が離せない」  ほんとに指輪だ。え、本物かな。この人の普段の素行見てると子供みたいな悪戯ばっかしてくるし、実はどっきりとかないよな?そんなんだったら今度こそ縁切るけど。  匂いは…うん、無臭だ。食べ物じゃない。  じゃあ本当にプラチナか?   「何匂い嗅いでんだよ」 「え!あ!別に疑ってなんかないって!いや、ほんとに!あ、食べてみれば分かるよね!」 「バカ、テメー食うな!それプラチナだから!」  雨は徐々に穏やかになってきている。焦ったように俺の手を掴んだ先輩の手に目が行った。   「せんぱいのは?」 「ねぇよ!」 「…なんでだよ」 「だから金が!ねぇの!」 「さっきあんな自信満々に養ってやるとか言ったくせに」 「そこまでは言ってねー」  そりゃさすがに先輩に養ってもらおうだなんて本気で思っているほど俺もクズじゃないけど。経済をまわすくらいしか脳のない生産性のない人間なんだ。働いてやるさ。問題はそこじゃない。  だって指輪だぜ?左手薬指の指輪だぜ?しかも俺たちは法的に一緒になれない人間だ。それはつまり、   「俺でいいってこと?先輩」 「お前がいいんだって」 「指輪って…そういう意味でいいんだよな…?」 「ほかにどんな意味があんだよ」 「マジかよ。夢かな。…あんたマジで見る目ないな」 「せいぜい似たモン同士ってことだ」  今まで関わったどんな男より、入間さんがダントツ危険な人間だ。こんな気持ちになったことなんて一度もないのだから。両想い?はは、笑える。そんなんファンタジーだとばかり思ってた。  俺も誰かに愛されることができたんだ。俺が誰かをこんなに好きになることって出来たんだ。   「…バイト増やす。だから先輩のはちょっと待って」 「手っ取り早く稼ごうなんて思うなよ。まっとうに働け。でも、」  先輩はいったん言葉を区切るとちょっと罰の悪そうな顔になった。   「俺もはやく虫よけがほしい」  あまりにも申し訳なさそうに言うもんだから吹き出してしまった。
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