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この人を好きになれたらいいのに。
そう思ったのは一度だけではない。
「ごめんね。俺好きな人いるから」
「ううん、いいの。ちゃんと聞いてくれてありがとう」
真っ赤に染まった顔と潤んだ瞳に見ていて罪悪感がわく。でもここでウソを吐くほうがよっぽど残酷だろう。心の中でしょうがないじゃないかと思う気持ちと共に、この人を好きになれたらいいのに、とどうしようもないことを思う自分がいる。付き合ってみたら好きになれるかもしれないし、きっとそういう出会いもあるのだろう。でも俺の中ではそれは代わりに過ぎない。半端な付き合いで無駄に誰かを傷つけるのは嫌だった。そもそも俺が彼女を受け入れられるかといったら、それは少し無理そうな気がした。
パタパタと去って行くなんでもないクラスメイトの後ろ姿が見えなくなると、思わずため息が漏れた。この倦怠感に身を任せて倒れこみたくなる。教室のドアに力なく寄りかかっていたが、その時勢いよく教室のドアが開いたせいで結果的に本当に後ろに倒れこむような形になってしまった。
「よーうせっちゃん!何かと思えばやっぱり告白、ですか」
背中から倒れこんだ俺を抱きとめるような形で支えるコイツはまぶしいくらいの笑顔だった。一瞬にして鼓動が早くなるのが分かる。事故にもほどがある。温かい体に抱きとめられてじわじわと心の中で広がる感情は明らかに欲をはらんでいた。このまま腕を回してずっと感じていたい、なんでこんなに居心地がいいんだよ、とそう思う自分を客観的に見てその気持ち悪さに泣きそうになった。
「くんなっつったろ。なんでいんだよ」
「ちょっとちょっとお、たった今倒れそうになったところを支えてあげてる人にいきなりそれか?」
「お前がいきなり開けるのが悪いんだろ!」
能天気に笑う自分より少し背の高いガタイのいい男を一発叩くと、そいつはすんなり俺を離した。無意識に出た溜息を聞きながら俺はそのまま歩きだす。
「あ、置いていかないでよちょっと!一緒に帰ろうと思って待ってたのに」
女子に告白されているところを見ながら一緒に帰るために待ってるなんて相当のバカだろう。そうやっていつだって俺が一緒にいると思ってる。いつだって俺が待っていると思ってる。痛いくらい純粋な気持ちで。
そうは思いながらも、他の誰でもない俺を待っていてくれたことに嬉しくなる俺も相当単純なバカだが。
「俺が女子と一緒に帰るとか、そういうことは考えなかったのかよ」
「あ?何、せっちゃんひょっとして結構平野さん気に入ってたりしたの?」
目を見開き口をガバっと開いて、ずいぶん大げさな表情で聞いてくる。俺が女子と付き合うなんて絶対にないことのように思っている顔だった。そうだよ、付き合うわけないだろ。…好きになれたらいいのになとは思うけどさ。俺にとってはただの現実逃避なのかもしれないけど。だって俺が好きになるのは、好きになれるのは男なわけだし。そもそも男がどうではなくて、お前なのだ、と。
「別にそう意味で言ったわけじゃねえけど。モテるのに女子と付き合わないのはむしろハルのほうだろ」
「ははは、まね。ま、瀬津も結構人気あるんだよなー」
「…んなわけないだろ」
「まぁたまた、見る目はあんじゃない?瀬津を選ぶあたり」
得意げににんまりと笑うハルの笑顔は屈託なくて、無性に自分が汚い人間のように思えてくる。思えてくるんじゃない、実際にそうなのだ。だからそうやって俺を持ち上げないでほしい。からかっているのは分かる、でもこうやって無駄に嬉しくなればなるほど現実に帰ったときに自分が情けなくてひどく恥ずかしくなる。
「お前ずっと教室にいたのか?」
「ああ~ほらよくあんじゃん、HR中も寝てて気づいたらみんな帰ってたとか」
「まあお前はHR中も焼きそば食ってたけどな」
「根に持たないでよ、珍しい。流石に友達として心配になってきてるだけよ、せっちゃんことごとく女の子の告白受け付けないよなと。あと今日やたら愛想はねえし、女の子泣かせないか見張りが必要かと思ってね」
「愛想がないのはもとからだろ」
愛想がなかったのは人の好意を受け止められないのが申し訳ないから。受け付けないのはお前が好きだから。
どうにもうまくいかない現実に虚しく胸が痛くなった。
「なんだろうな、愛想は確かにもとからないか…。ん~…あ、そういや今日の朝めっちゃ犬吠えてて、元気だなあおいとか思ってたらそれ犬じゃなくておっさんのくしゃみでさあ」
「いやどんなくしゃみだよそれ」
唐突になんでもない話をはじめるコイツは、俺の触れてほしくない空気を感じ取ってくれたのだろう。
気を遣わせる自分に腹が立つ。居心地の良さに苦しくなる。俺は親友、樋本晴久にもう何年も片思いをしていた。
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