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「走れないなら部活やる意味なくないか?」  そんな声が聞こえてきた。風間翔平だ。自販機の前で自分のタイミングの悪さにうんざりした。うちの高校は正面玄関にしか自販機がないから、部活の休憩中は自然と正面玄関に人が集まる。サッカー部はまだ休憩には入ってないみたいだが、風間と他の何人かの部員の話声が後ろのロッカーから聞こえていた。  部活に行くのがきつい。  ハルの弱音を聞いたのは五年の付き合いの中で二度目のことだった。普段見せることのないそんな弱音を聞いた時、俺はなんて言っただろう。サッカー部がぎくしゃくしていることはとうに知っていたはずだ。  田舎の高校だから、ほとんどは中学から顔ぶれが変らない。うちの高校は俺の住んでいる地区と他の地区の中学の二地区から上がってくるのがほとんどだった。風間は俺たちとは別地区から上がってきていた。サッカー部の対立は今に始まったことではなく、もうずいぶん前の代からどちらの中学かという派閥争いのようなものがあったらしい。  それでも風間とハルはうまくやっていた。ハルの人懐っこくどこか人を惹きつける人柄と、風間のサッカー以外には興味がないというまっすぐで人間関係には少し冷めた性格が幸いしたのかもしれなかった。だがそんな風間だからこそ、ハルがケガが原因で部活に来れなくなったとき一気に関係は悪化した。  何が悪くて、どうしたらいいのか。当然俺とサッカー部は関係がない。俺はハルになんて言ったっけ。 「せっちゃん、またサボりか。もう休憩終わりなんだけど」 「あ、ちょ、笹山いたい。首、くび締まってるから」  不意に後ろから伸びてきた腕に連行されながら抵抗していると、風間と目があった。風間は俺から笹山に視線を移すと心底嫌そうな顔をした。 「バレー部はまた遊んでんのか。大会前なのに暇だな」 「仲がいいのはいいことです。お前は頭が固すぎる」  笹山は立ち止まって風間を見ると薄く笑った。そんな笹山を風間は鼻で笑った。突如俺の頭上で始まった部長同士の睨みあいの危うさは、俺の首に腕を回す笹山の力加減で伝わってくる。そういえばこの二人は同中出身だったか。てか待って、笹山の力が強すぎて… 「だいたい風間は部活に出る以前に」 「や、や、マジで痛いから、苦しうぉえ…笹山、は、離して、俺じゃなくてそういうのは風間にあたって…」 「あ、ごめん瀬津」  慌てて笹山は離してくれた。爽やかな顔して鬼みたいな奴だ。 「…健はうまくやれるかもしれないけど、」  小さく呟いた風間の低い声ははっきりとは聞き取れず、笹山の声にかき消される。笹山に引っ張られて風間の前を通り過ぎた時、俺にはそんな呟きが聞こえてきた。苦しそうにゆがんだ風間の顔に少し驚く。それに続く言葉が何なのか、俺には分からないが。俺に分かるのは笹山の下の名前が健ということだけだ。 「風間と仲よかったの?」  詮索するつもりはなかったが、美形で女子にもモテるのにことごとく冷たくきると噂の風間が下の名前で呼ぶ人間なんてそういない。思わずびっくりして笹山に聞くと、笹山はあからさまにあちゃーという風な顔をした。 「幼馴染ってやつよ。昔は近所に年が近いのが風間しかいなかったからなぜか毎日遊んでたな、無言で」 「無言で?」  練習をサボろうとしたわけではないが、すっかり部長にマークされている俺は毎回休憩の度に笹山に見張られている。別に逃げる気はないのに。笹山に自販機から連行されるように体育館に連れ戻されるのはいつものことだった。 「まああいつしゃべらないし。別に何考えてるかはなんとなく分かるけど」 「へぇすげえ」 「せっちゃんと樋本のがすげえだろ。なんであんな毎日何年も一緒にいるのに懲りもせずいまだにそんな仲いいのか」  それは100%俺の下心があるからじゃなかろうか。曖昧に笑うが、心のどこかかちくっと傷んだ。客観的に見て、やっぱり俺はおかしいのだろうか。ざわざわと広がるどことなく黒いもやが心を覆っていく。この感覚に陥ると決まって例の発作が出る。もう嫌だ、誰の目にも触れない場所で消えてしまいたい。そう思うのにハルの隣にいたい、と欲深な自分がいる。  突然黙り込んだ俺を笹山は不思議そうに見ていた。切れ長の目を少し見開いて俺の顔をのぞき込む部長になんでもないというように肩をすくめて見せ、追い越すように足を速めた。  疑われているのか?  こういう時、決まって俺の頭の中は変な妄想が膨らみ、他人が怖くなった。ひょっとして笹山に俺がゲイだと疑われているんじゃないか。俺と他の男の距離感を気持ち悪がられているんじゃないか。俺の事を気持ち悪いと思っているんじゃないか。笹山に嫌われてしまうのではないか今までの関係が崩れてしまうのではないか。  霧のような黒いもやは今はごうごうと渦巻いている。気を紛らわせないと徐々に浅くなる呼吸に飲み込まれそうだった。  疑心暗鬼からただひたすら逃れるようにバレーに精を出す。それが俺の日常であり、虚しく続くループだった。
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