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小さな無人駅を降りると、緩やかな坂が続く棚田のあぜ道を歩いていく。日はもう落ち、紺色の空が水が張られた田んぼに映っていた。
俺もハルも無言だった。ハルは何かを言おうか言わないか、少し悩んでるようだった。
あまり綺麗に舗装のされてない畦道でじゃりじゃりと地面を踏みしめる音だけが聞こえていた。
「瀬津」
「…ん?」
辺りが暗いからだろうか。ハルの声にいつものような覇気はなかった。
「部活のことなんだ」
「…ああ」
やっぱり、と心のどこかで少し安心しながら思う自分がいた。
やっぱりってなんだよ。ハルがどれだけ苦しんでるのか見ておきながら、俺とハルの関係には直接関係があることじゃないからって安心しているのか。きゅっと唇をかみしめた。俺はいつでも自分のことしか考えてないな。
「サッカー部が揉めてることは知ってるだろ」
「でもそれ俺たちが入学する前からある話だろ」
「ああ、それはな。俺が言ってんのは今の話よ」
困ったような顔でくすりとハルが笑う。
「俺はさ、何か一生懸命に取り組めるものがずっと欲しくて、たぶんそれはサッカーじゃなくても良かったんだと思う」
話の始まりが予想できず、俺はドキドキしていた。
「でも今はサッカーが大好きだし、いろいろあったけどあのメンバーでサッカーがしたかった」
「うん」
「…俺がいけないんんだ」
「え?」
消えてしまいそうな声にびっくりしてハルの方を見たら、眉を寄せて何かをこらえるような顔をしていた。
「俺がケガをしたから俺試合に出られなくなって、おれキャプテンなのに」
「試合に出られなくてもハルは部に貢献してるよ」
「してねえよ。…本当は行きたくない。最後の試合、みんなと出たいけど、俺は今部活にはいきたくない」
いつも笑って、嫌なことも笑いに変えて流しているハル。
「試合には出たいさ。でも俺が空気を悪くしてる。使えないキャプテンがのうのうと練習に顔出して、何様だよって自分でも思う」
「そうか?でもいままでハルがサッカー部の中立をしてたようなもんじゃねえか」
ハルはゆっくり首を振った。
「部活に出ると少なからずあるんだよ。お前のせいで、っていう雰囲気が」
それはつまり、サッカー部一の実力者だったハルがケガをしたせいで次の試合、引退戦で勝ち上がれないだろうと周りは思っている、と。そういうことことなのか。
「正直それが、なんというか…耐えられないんだ。いや俺が一番わかってるんだよ。今から頑張ったところで前と同じようにできるまでには回復できねえし、今の俺よりうまい奴だっていっぱいいる。実際俺が試合に出られてねえわけだから、風間が副キャプテンとしてやってくれてるし…俺がいなくてもいいんだなって思うとなんかもう部活に戻れなくて…」
そう自虐的に笑った。試合に出たい、みんなと一緒にサッカーをしたい。いろいろありながらもきっとハルはサッカー部に対してそれなりの思い入れや愛情を持っている。なのに、自分がそのサッカー部の輪をつぶしかけている。
そんなことはない、と思う。要は皆ハルに甘えすぎたのだ。
「ハルは結局のところどうしたいわけ?」
「結局?」
「罪悪感なんだろ、ハルが部活に出て感じるのは。…でも周りがどう思ってるかなんて、自分がこうだろうなって考えるのと以外と全然違うよ。それよりハル自身がどうしたいのかが一番大事なんじゃねぇの」
「…うん」
ハルの顔は晴れない。もともとかなり端正な顔立ちなのに、眉を下げ哀しそうな顔で無理に笑顔を作る姿はひどく痛々しかった。
「…本音を言うのは誰だって怖いさ」
気づけばボソッと声に出していた。
「本音を言うのは怖いよ。嫌われるかもとか、気味悪がられるかもとか、そういうことばっかり考える。自分を認めてもらえないかもしれないし…拒絶されるかもしれない。大事なのはきっと本心なのに、保身のために建前で片付ける。…俺だっていつもそう。だから案外、自分が本当に思ってることって言ってないと思うんだ。…怖いけど、怖いからこそ本音をぶつけることができたらそれほど強いことはないと思う。本音じゃないと伝わらないことってあるだろう」
だって覚悟が違う。自分の本当に思ってることなんて、きっと俺は伝えられない。そんな強い人間でもない。
「ハルがこれからも部活に、試合に出ないで…試合に出たい気持ちをぶつけずにこのままでいて、それで後悔しないならいいんじゃない?」
ああ、結局こんな言い方しかできない。何で俺は、何を急にベラベラと。
自分に言い聞かせているのか、自分の出来ない俺の理想をハルに押し付けているのか、もはや分からなかった。
俺がもそもそと喋っている間、ハルは靄のかかった半月を見上げていた。
「…そう、だな。瀬津はいつもそうやって俺を変に正当化して慰めるわけではないから、安心して相談できるよ。お前の考え方、俺ほんとすごいと思う。ありがとう瀬津」
ハルが思いのほか驚いた顔で俺をじっと見ながらそう言った。ちょっとだけいつものハルの雰囲気が戻ってきた気がした。気の抜けたハルの顔にほっとしていた。
俺は俺で不安だったらしい。いつまでも元気にならないハルがこのままだとどうにかなってしまうんじゃないか、と。
「突然なに。これがお前の言う愛想のなさだよ」
「はは。でも、うん。ありがと」
柔らかく笑った顔に思わず心臓が跳ねた。
なんで、どうして、好きになってしまったんだろう。
「…今日は星、見えないな」
ふいに言われて空を見れば、雲が覆っているのか見えるのは半月の微妙な光だけだった。
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