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 体が重いのはいつものことだ。もうずいぶん前から続く不調の一つであり、ここへ引っ越してきた理由の一つでもある。重い体とじんじんと響く頭痛。ひどいときには目を開けているのもつらかった。あまりのだるさに帰るなりベッドに倒れこんだ。自分の体重と、まったくそれを支える気のない重さを感じる。  情けない。本当に情けない。いつだって一度爆発した精神はそれで落ち着くかと思えば、ひどくなる一方なのだ。吹っ切れることもできずに引きずり続けていた五年前。新しい環境でやり直す、そう考えることもできずにいた。それでも予想外に俺を救ってくれたのはハルだ。  気づけばシーツを握りしめていた。頭に浮かぶのは屈託のないハルの笑顔と、膝を抱え苦しそうにうめく姿。二年最後の試合だった。左ひざの靭帯断裂。ハルが部活に行けなくなった原因だ。  瀬津、俺はどうすればいい?  日に日にバラバラになっていくチームと思うように動かない足。簡素な病室で泣きそうにゆがんだ顔でそう言われた時、俺は頭を殴られたような衝撃を受けた。  それは紛れもなく自分に対する嫌悪感だった。どうしてハルが苦しんでいる時に俺はのうのうとケガもなく部活に出られているのだ。俺にはどうすることもできない後ろめたさ、チームメイトには強がる癖に俺の前ではあんな表情を見せるハル。  うずいたのだ。心の中がざわざわと。この男に愛されたい、俺が特別な存在でいたい。そんな感情ずっと持っていたしそれは自覚していたはずなのに、思い出す度に熱を持つ。  思えばあの時なのだろう。自分はハルのそばにいちゃいけないと思い始めたのは。自分がいたところでハルを救ってやることが出来ないことに気が付いた。俺がハルを頭の中で汚し続けることに耐えられなくなった。理性と感情はどこまでもかみ合わなかった。  あのケガからはもうすぐ4か月になる。靭帯断裂なんて致命的なケガをしてしまったら、復帰までにはきっと半年ほどかかるだろう。しかし練習に参加できなくても、エースであり人望も厚いハルは人にものを教えることもうまかった。  だんだんとその足も遠のくようになってしまったのはわりと最近のことだ。普段のハルなら笑ってその場を収められるはずが、部員の対立のきっかけを作ったのが自分だと思っていたらしい。  でもそれは違う。もともと二つの派閥に分かれていた部活を繋ぎ合わせる役目を果たしていたのがキャプテンであるハルだったのだ。自分が欠けることでチームがバラバラになっていくのを見ているのはどんなにつらいだろう。自分の大好きな仲間だからこそきっとその痛みは大きいはずだ。  関係ないはずのサッカー部の事情が重くのしかかる。  俺には話を聞くことくらいしかできないのだろうか。今日の困ったように笑うハルの顔が頭に浮かぶ。ハルの本音は聞いていて痛々しかった。そんなに他人を優先しなくていいじゃないか、もっと自分のことだけ考えてくれ、と叫びそうになった。俺にはいったい何ができるのだろう。きっとハルの心の中は今日話をしてくれた時みたいに落ち着いてはいなかったはずだ。つぶれるくらいため込んだものをちょっとずつ爆発しないよう、感情を抑えている様子がうかがえた。  ふと携帯を開くとハルからメッセージが届いていた。 『今日はごめんな、話聞いてくれてありがとう。選手として以外に、俺にしか出来ないことを探します。覚悟決めてみんなにも伝える。明日検査で遅刻だからよろしく!』  ハルにしかできないこと…。ふいに体の力が抜けた。  中学時代は妙に荒れていたハルだが、学校をサボるようなやつではない。ちゃんと遅刻でも遠い学校にわざわざ来るところにハルらしさを感じる。  いつもアホみたいに笑ってばっかで、ハルがいるだけでその場が明るくなった。能天気で阿呆みたいなのに人一倍周りが見えていつも周囲に気を張り巡らしてる。当たり前だが、それは疲れることだろう。今回はさすがに堪えているらしかった。  でもきっと伝わるはずだ。笑ってばかりのハルが心のなかでどんな思いをしていたのか、きっと伝わるはずだ。 了解、無理はせず。短く返信すると携帯を枕元に投げそのままぎゅっと目をつむった。頭の中は依然とぐるぐるして収集が付かない。ここ最近同じ言葉がずっと頭の中で回り続けている。進路、勉強、部活、ハル。  頭がおかしくなりそうだった。俺の居場所はどこか、と叫ぶ。そんなものはない、とやまびこのように返ってくる。そんな幻聴を聞くたびに、崩れていく。今日みたいな日は特に。  俺はいつまでハルの前で親友ぶっていればいい。自分で自分を苦しめているだけなのはわかっているのだ。それでも俺とハルの間のこの信頼をこの距離を、この関係を壊さずにいるには、俺は友達でいなければならない。  唇をかみしめすぎたのか、口の中は鉄の味がした。  外はもう真っ暗だ。春の夜は冷たかった。
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