はしやすめ

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はしやすめ

「誰だって本音を言うのは怖いさ」  あと一センチでも離れたら聞き取れないほどの声だった。それくらい独り言のようにぼそっと、思わずもれてしまったような声だった。  瀬津はさっきから空ばっかアホみたいに見上げてる俺と違って、足元の砂利をぼぉっと見ていた。その目に光はない。  ああ、まただ。  さっきまで俺はどうしたらいいのかわからない問題にばっか気をとられて、他のことを考える余裕がなかった。悩みというものは案外誰かに聞いてもらうだけでも、なぜだかその重さがぐっと軽くなる。ただ聞いてもらうだけで、どうにかなりそうに思えてくる。今だって話を聞いてもらっただけで、俺の心はずいぶん楽になっていた。  といっても俺が悩みをいままで言ってきたのは瀬津だけだから、瀬津が俺にそう思わせる何かを持っているのかもしれないけれど。瀬津はちょっと毒舌で愛想もなくて、でも馴れると人懐っこくてよく笑った。なぜかやたらと人にいじられやすいが、好きにいじらせている瀬津ははたから見ると愛されていた。この間も女子に告白されていたし、普段の瀬津を見てもごく普通の高校生のはずだ。  でも、俺は時々この親友が怖くなる。  今のように底の見えない暗い目をする瀬津が、俺は怖かった。瀬津が消えてしまうんじゃないか、なにか変な気でも起こすんじゃないか。誰に何も言わず、どこかへ行ってしまうのではないか。 瀬津には昔から触れてはいけない何かがあった。俺がそれに踏み込んだらきっと瀬津はもう二度と俺に心を開いてくれないような気がした。その何かがきっと瀬津を苦しめているのに、俺は瀬津を助けてやることも話を聞くとこも出来ないのだ。  俺になにも言わず、ある日突然何の前触れもなく瀬津がいなくなってしまうのではないか、と思う自分がもう何年も前から存在しているような気がする。正直怖くてたまらない。そばにいながら何もしてやれずただ倒れていくのを見ていることしかできない、そんな危うさがとにかく怖かった。 「本音を言うのは怖いさ」  もう一度、自分に向かって言うかのように瀬津が繰り返した。 「嫌われるかもとか、気味悪がられるかもとか、そういうことばっかり考える。自分を認めてもらえないかもしれないし…拒絶されるかもしれない。大事なのはきっと本心なのに、保身のために建前で片付ける。…俺だっていつもそう」  にこりともせず、淡々と自分に言い聞かせるように瀬津はそう言った。  でも人に気味悪がられるような人の本音なんてあるんだろうか…。ドン引きされるような性癖でも持ってるとか?  なんてことを一瞬考えたが、拒絶されるかもしれない、といった時の瀬津の声が若干震えていて慌てて打ち消した。 「怖いけど、怖いからこそ本音をぶつけることができたらそれほど強いことはないと思う」  本音をぶつける。  きっと俺がいつも逃げていること。サッカー部の連中に言ったことがあったか?本当は試合に出させてほしいと、言ったことがあったか?謝ることしかできずにいつも逃げていた。悪いのは俺だから、こんな俺の話を聞いてもらうなんて図々しいんじゃないかって本当の気持ちをぶつけるでもなく、分かってもらおうともせず、諦めていなかったか? 「ハルが頑張りたいなら頑張ればいい。お前が辛いなら無理する必要もない。みんなじゃなくてハルがこのままでいいなら、いいんじゃない?」  いいわけがない。いいわけがない。  無意識に手を握りしめていた。  みんなに迷惑をかけるのが嫌だった。俺が頑張らないと迷惑をかける。でも思った以上に足は言うことを聞かなくて。日に日に俺を見る部員の目が変わってくるのを感じた。それは俺のただの妄想なのかもしれないけど。  痛い、つらい、怖い、もうやめたい。そんな時期に当然そんな本音を部員たちに吐けるわけがなかった。  ろくに足は動かない。部活へ行くと罪悪感とうらやましさでいっぱいになった。試合に出たい。でもまたケガをしたら?また相手選手とぶつかって今度は相手にケガをさせてしまったら?そう思うと余計に体は固まるばかりだった。  俺にしかできないことを探そう。今はただ、仲間を勝たせるために俺も戦えばいい。選手だけがサッカーをしてるんじゃない。  ずっとかすんでた視界が徐々に晴れていくような気がした。自分の選ぶべき道が、進む方向を俺はやっとつかむことができたのかもしれない。  ハルがいいならいいんじゃない?とそう言われたのはきっと二回目になる。突き放しているようで、選んだどんな選択をも許容しているような。  本当に、やっぱり瀬津はすごい。 「ありがとう、瀬津」  素直にお礼を言うと、瀬津はちょっと焦ったように赤くなった。それなりの付き合いになる友達だが、瀬津のこういうところは正直かわいいと思う。ひきつったように笑う瀬津がなんだかすこしほほえましくなった。 「今日は星、見えないな」  俺に言われて空を見上げた瀬津の横顔は、月の青白い光に照らされてただでさえ白い肌がさらに際立つ。  瀬津は俺とたいして身長は変らないのに、骨格が細いのか俺がいかついのか横に並ぶと華奢だった。一重で細い目は目開けてる?といじられ、白い肌は女子にうらやましがれ、幸薄そうな顔で平然と滑って転んだり顔面にボールを食らったりしてはいじられている。そういうところが全部素な瀬津だから、みんなから好かれているのかも知れないな、となんとなく思った。  男相手に思うことじゃないかもしれないけど、月明かりに照らされる瀬津はただただ美しい。顔が整っているとか美形だとか、そういう美しさではなく、触れた瞬間割れてしまう薄いガラスのような繊細な美しさ。  そしてそれは、どことなく瀬津の持つ闇を感じさせた。  俺がその超えられない領域に入ることが許される日が来るのだろうか。  来てほしい、来ないでほしい。  俺はただ、瀬津が苦しまず笑っていてくれるならなんだっていい。瀬津が望めばいつまでだってそばにいる。それこそ瀬津の選んだものを俺は認めたい。だからどっちだっていい。  フッと息を吐きだした。このただっぴろい世界を月明かりの下で歩く人影は二人だけだった。
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