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第壱話
暖かな日差しが差し込む窓辺で、今日も男は妻の髪を梳いている。男の名はアレスといい、妻はセリアという。
妻の髪は、夫妻にとって絆の象徴であった。
若かりし頃、セリアの髪は輝くほど美しい金色の髪だった。煌めく金糸のような髪が風になびく姿を見るのが、アレスは何より好きだった。「手入れが大変なのよ」という妻のため、アレスは毎日セリアの髪を梳いた。妻の髪を梳くようになって、もう50年になる。セリアの髪の輝きはやや失われているが、今もまだ美しかった。
アレスは椅子に座るセリアの髪をそっと手に取ると、櫛でゆっくりと梳いていく。
「セリア、今日もあなたの髪は艶やかですね」
「あなたが毎日梳いてくれるからよ」
「あなたの髪が美しいからですよ」
夫婦共に老いたアレスとセリアは、村でも評判になるほど仲睦まじい夫婦であった。アレスは真面目で働きもの、セリアは明るく料理上手。お互いを気遣い、喧嘩ひとつしたことがない。結婚して50年になる今も、夫婦の仲は変わらなかった。
しかし時は残酷なもので、セリアは病気がちとなり、料理をすることも出来なくなってしまった。寝込むことが増え、あまり長く生きられないだろう……と医師に言われてしまったのは先日のことだ。
少しでも長く生きてほしい──。アレスは願いながら今日も妻の髪を梳く。
「ねぇ、あなた」
「なんですか、セリア」
「私ね、あなたにどうしても言えなかった言葉があるの」
髪を梳くアレスの手が、ぴたりと止まった。
「奇遇ですね、わたしもですよ」
「あら、気が合うわね」
セリアはふふふと少女のように笑った。
「では、私から言ってもいいかしら」
「ええ。何事も女性が優先ですからね」
「ありがとう。私ね、あなたにずっと秘密にしていたことがあるの」
「なんでしょう?」
「私ね、あなたをずっと殺してやろうと思っていたの。復讐のために、あなたと結婚したのよ」
明るかった空が、少し曇り始めていた。
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