宇宙の子

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 幸せな家庭であった。  子どもを二人もうけ、夫は神主という特殊な職業だがその神社の歴史は古く地域に愛されるよい神社であった。妻は器量よし、性格良しの理想的な家族である。  ただ一点、子どもが神の子である。ということを除いては。   ある夫婦の下に神がおりた。 その夫婦は、子宝に恵まれなかった。妻のユリは不妊治療の末心を病んでいた。夫の神主は参拝者の悩みを解消できても、妻の心の病は治せなかった。  春の桜が舞う頃、縁側でユリは座り込んでいた。頬は少しこけていて元気がない。庭に舞う桜の中に着物と奇妙な顔布を付けた神を名乗る男が現れた。 曰く、子を授けてやると。 曰く、ただしそれは神の子であると。 曰く、その子どもたちは二十で殺すから安心しろと。 曰く、神の子が旅立つ三年前には寂しくないよう正真正銘の子宝を授けようと。 ユリは神を信じていなかった。 失うものが多い人生であった。両親はユリが七つの時に死んだ。それからこの近くの神社に引き取られた。今思えばユリは神に愛されていた。白く細い腕、黒くつややかな髪、まつげはこけても長かった。美しい人だった。 美しくて可哀そうなユリは神の言葉に一も二もなく頷いた。神の指がユリの平らな腹を人差し指でまろく撫でた。 僕は、どうしても水に触ってみたくなった。水の感触を味わってみたかった。星々は、いつも人間を見守っている。日中は太陽が元気すぎて目立たないが、いつも見守っている。太陽が休む夜はキラキラ輝いて皆を見ている。 僕たちは暗いわたあめみたいなふわふわで地球を包んでいる。あるいは僕たちも包まれている。僕の仕事は、ほかの星々と同じように本当に気が遠くなるような長い時間輝いて人の道しるべになることだ。でも、僕は触ってみたくなってしまった。何にって?水にさ! でも星の僕が地球に触ったら割れてしまうから、と我慢するのだった。  人間を毎日見守る。  他の星たちは星同士なにかとくっついたり、離れたりやっているけど、どうやら僕は皆とは場所が離れすぎているのか、だれも近寄ってこない。ひとつ前の地球もふたつ前も大体同じようなことをやっているのが不思議だ。優しい人、意地悪な人、悲しい人、楽しい人。人間は感情に毎日あふれている。たまに戦争といって殺しあうけど、一撫でで星ごと壊せるんだぞと言ったらどんな顔をするのかな。  今僕が照らしてる土はどんな感触なのだろう。僕の肌とどっちが固いかな。海は冷たくてしょっぱいと人間がよく言うけど本当かな?僕はやっぱり水を触ってみたいな。サラサラ流れるあの水を。手で触ったらどんな心地だろう。水は人間の手を糸みたいに溶けて避けてゆく。きっと気持ち良いに違いない。  ふわふわと妄想をして約二千年過ぎた頃。神様を名乗る男が僕に話しかけてきた。 「こんばんは。」 「こんばんは。」 「……今日もいい夜だな。」 「そうだね。」  俺は仰天した。星が喋ったからさ。いつも冷たくて何も言わないやつが突然喋ったらびっくりするだろう?それと一緒さ。 「君、名前は」 「ステラ」 「いつもここにいるのかい?」 「当り前じゃないか!僕は星だよ。」 「嫌にならないのかい、言っちゃあ悪いがここは、暗くて、冷たくて、それでいて寒い」 「僕だって、こんな所にずっといたくないよ……。好きでいるわけないじゃないか!」  辺りの雲がごうごうと燃えた。ステラを中心に赤紫の炎が猛烈に揺らめいて、あたりの小さな星は少し焦げてチリチリになった。神の顔布と着物は爆風に揺れている。その日は星が美しい日で、ステラと名乗ったその星は、地球を覗きこむかのように近くで輝いていた。 「成程なあ。」 神は何かを納得したかのように深く頷いて骨ばった手で自分の顎をなでた。 「なあステラ、御前さん一番やりたいことは何だい。」 赤紫は元の金へ揺らめきながら変わった。ちょっと焦げた星たちは逃げるように散った。 「僕の、やりたいこと……?」 「ああ、叶えてやるよ。」 「僕は、僕はあの女の子にあいたいなあ。」 金は桃色に照れた。 「おいおい、女かい!」 神は拍子抜けしてカラカラと笑った。 「僕はね、その子を愛してるんだよ。僕の名前を付けてくれた子なんだ。地球が一回終わったって覚えてるよ。」 「願いを叶えるには人間になってもらわにゃならん。それでもいいかい。」 「人間に!それこそ本望さ、僕は水に触ってみたいとずっと思っていたんだから!」   月にはいろんな人たちがいる。魔女、蟹、ウサギ。人から見えるものを鏡にして自分を作っている。私は子どもだから、まだ姿が定まっていないけど前の姿でいる。 私は前世、自分が知ってる一番空に近いところで自分の左胸に、使用人のフロアにあったナイフを。 そのあと私のいた地球は滅んだ。私は空に近いところで死んだからか月の子どもとして引き取られた。今の地球は前とはそりゃ違うけど、やっぱり人間の文化は美しい。  Cantare!人は嬉しい時、踊って歌って楽しそう。もし人間が月の上にきたらこの華やかさにうっとりすると思う。魔女になると、魔女の力を使えるようになるから皆オシャレに飾り付けしてて羨ましいな。月の上はずっと深い紫の空が広がっていて、星々と一緒に地球を見守ってる。夜になると地面が光ってお姉さまたちの影を映すの。 「こんばんは。」 「こんばんは!あなたは神様ね、顔布とその着物、それも日本の神様だわ!なんの御用?」 「嬢ちゃんが、ステラの?」 「ステラ?」 「いや、こっちの話だ。さて嬢ちゃん、」 「私はルナよ!」  話を遮り名乗った彼女に神はまた笑った。 「ルナか!すまん!さてルナ、人間になる気はないか?」 「人間に……?私は一度死んだのに。」 「おっと!いやなに、君をアツくご所望のお星さまがいてね、だが俺はあくまで人間の神。人間の願いしか叶えられないのさ。」 「いいわよ!わたし、私ね、今度こそ楽しく生きていけたらいいなと思っていたところだったのよ!」 「それじゃ決まりだな。」 朝は激戦だ。子どもたちを高校に送り出すため、夫を務めに送り出すため、ユリは誰よりも早く起き、一切を取り仕切る。それは緻密な作戦を善や寝床で立てているからこその迅速さである。まず、とにかく起きるよう声をかける。あるいは叩く。神の子だからといって容赦はしない。それが十七年間のユリの流儀であった。とにかく起こすのだ。 「産んだのは誰だと思ってるのよ……全く」 すでに起きている夫。 「コーヒーいれてくれない?」 「嫌よ」 当然である。 この家族は二階建ての一軒家に住む。朝は一階のリビングに皆が集いだして忙しない。冬の朝のツンとした寒さがまだ部屋を占めているが、じきに人に馴染んでなくなるだろう。 母は四角いフライパンに卵二つ分の卵液を流してじゅうじゅう焼く。じゅうじゅうじゅう。手前の卵の下にフライパン返しを差し入れて滑らせてまたくるくるくるくる。ここで味付けを忘れたことに気付いたユリ。慌てて砂糖をかけた。問題ない。なぜならこの一家、四人そろって皆甘党である。 「オハヨ」 「オハヨ、卵焼き?甘い?」 「おはよう、あまいわよ~」 「やったね!ルナ!」 ステラは慣れた手つきで炊飯器をパカっとあけてほかほかをそれぞれの器についだ。ルナはお玉をユリの前にある引き出しから一声かけて取り出し、お茶碗についでは運んだ。作り立ての卵焼きを八つに切って、昨日の残り物を数年前の旅行でルナがデザインした大皿によそった。箸や飲み物を各々用意して、全員席につき。神主が手を合わせ、 「いただきます」 彼らは確かに家族であった。 チャイムと同時に終業。歴史の授業は私たちにとって、皆とは別の意味で面白い。私たちには星と月のころの記憶がある。人類史をこの目で見てきたものにとってはずいぶん取り違えていると思うところもあれば、逆によくこんな昔のことを覚えていられるなと感心することもある。ステラと私はいつもなぜか同じクラス、隣の席になる。これを皆は双子の呪いというが、あながち間違ってはいない。 「ルナ、次は音楽室だよ。」 「うん」  「ルナはさ、音楽好き?」 「好き」 「じゃあ僕は?」 最近ステラがこの手の質問をしょっちゅうしてくる。 「好き」 「やったー!」 「いや、お前らそれはさすがに恋人やん。」 彼は友人の牛島。一年生の時にいまいち馴染めていなかった私たちと仲良くしてくれた青年である。黒髪短髪でいかにも好青年らしい見た目である。しかし、提出物の提出率がすこぶる悪くしょっちゅう私を頼りにしてくる。いわゆる持ちつ持たれつの関係である。 「いいんだ牛島、ステラは情緒がアレなんだ。」 「ルッルルナが僕をやばいやつみたいに!」 「いや、実際そうじゃん……。」 「うるせーぞ牛島!」 「いわれたくなければいい加減女をとっかえひっかえするのやめないか、ステラ。」 「グッ……」 「そうだぞー二年生のころからお前のそのあまーいルックスにつられて泣かされた女子が何人いることか」 ステラは高校二年の頃から、女遊びをするようになった。仮にも神職の家だというのに、両親からは勿論毎度毎度大説教大会だが、全く反省していない模様。しかし、たしかに彼の星をそのまま反映したなびく金髪に、涼しげな目元の宿した人間離れしたクリアな虹彩は見るものを捉えて離さないだろう。 「とにかく大概にしておきなよ」 「うえ~何で僕こんなに怒られてるのお」 私が音楽室の引き戸を開けた途端、先生が私たち双子をすぐ外に引っ張り出した。 「お前らのお母さんが救急搬送された。」 曰く、今日は早退していいと。 曰く、赤ちゃんができたらしいぞ、と。 「救急搬送されたのは心配だけど、めでたいな!」 牛島は能天気な方であった。 ユリの部屋は八人部屋で明日には退院できるらしい。私たちの知らないうちにユリのお腹はずいぶんと大きくなっていた。 「もう反応が少しだけどあるのよ。男の子ですって……。」 「大体妊娠六か月だそうだよ。ステラ、ルナ、お前らはお兄ちゃんとお姉ちゃんになるんだぞ~。」 「弟……!」 私の中に嬉しい気持ちが爆発した。私は人間が大好きだ、でもユリも神主はもっと好き。こんな二人の弟ならどんなに愛おしいだろう。 可愛くて仕方がない。  「ユリ、名前は?その子の。」  「まだ決まってない。ユリと二人で考えてるけど。」  「ステラ、ルナ、貴方達が考えてほしい。」  「いいの?」  ユリは慈愛の笑みを浮かべていた。でもどこか寂しそうで僕はなんだか。  「テル、テルがいい。このこは私たちを照らす太陽みたいだから。」  「ええ、いい名前ね。」  私は、ユリのお腹にどうしても触りたくなって、私の指がユリの丸い腹を人差し指でまろく撫でた。  その内、テルは産まれた。  予想以上にサルみたいなテルはほっぺがぷにぷにで昼も夜もピーピーうるさかったけど可愛くて仕方がなかった。  「神主、聞いてよ最近ルナがテルにばかり構い切りで全然僕の相手をしてくれないんだ!」  「ステラは本当にルナが好きだなあ」  「そうだよ!僕たちは前世から愛し合っているんだよ。」  「愛するねえ……」 テルはもう三歳になった。 僕たちはもう明日には成人する。夕日がなんだか眩しくて、神主の顔はよく見えなかったけど、僕と神主は畳の部屋でなんとなく話していた。  「愛って何だろう、神主」  「哲学か?」  「違うよ、僕はルナを愛しているんだ。」  「愛かあ。そうだなあ、愛っていうのは、言葉で表せるものじゃないよ。でも、愛してると思うなら、それは一つの愛だと思うぞ。ルナがお前を男として愛しているかは別だがな!ガハハハハハハ!」  ルナはテルにメロメロだ。もしかしたら僕より好きなのかな。僕はなんだか今までに感じたことのないほどの焦りを感じてルナの部屋に走った。神主はなんだかこちらを見つめていたけど、やっぱり表情は見えなかった。  「ルナ、ルナ!」  「何?」  「ルナは僕を愛してるよね?」  「……勿論。愛してるよ、前世から。」 僕はたまらなくなってルナの細いお腹を掴んで抱きしめようとした。私はびっくりして背中を向けて少し逃げた。僕は逃がさないぞと思って右腕で腰を掴んで、左手で胸のあたりを掴んで抱き寄せた。私は胸がどきどきして硬直して、僕は彼女のうなじにそうっと触れて、それから。 私たちの誕生日。テルはお腹いっぱいになってこたつでうとうとしていた。わたしはそのお腹がどうしてもかわいくて、ルナの指がテルのまんまるのお腹を人差し指でまろく撫でた。ユリはその様子を見ていた。 「二人とも、二十になったね。」 「そうだねぇ」 「二人は、いつ死ぬの?」 ユリは突然叫んで暴れだした。 ごちそうは床に落ちて、そこら中に散乱した。 「お前たちは今日死ぬ」 「ユリ!」 神主が叫んだ。 神は二十歳で私たちが死ぬ代わりにテルを授けた。 「ごめんね、ごめんね、でもテルを守らなきゃ、殺さなきゃ私だってこんなこと、こんなこと……。」 そういってユリは包丁を大きく振りかぶってテルに近づいた。 ルナは当然の様に刺された。それはまるで運命といわざるを得ないようなごく自然な流れだった。 ユリはルナを刺した。 包丁で刺した。 また、ぼくの目の前でルナが。ルナは血を吐いて、その異様な雰囲気にテルは泣きだした。ユリがもう一度刺そうとしたときにステラはルナに覆いかぶさっていたユリの腰を蹴り飛ばした。大きく振りかぶっていた赤い包丁は縁側に弾き飛ばされて、べたべたのそれに桜がピトピトくっついた。 「ルナ!ルナ!ルナ!」 ステラはルナを抱え抱きしめた。悲鳴だった。 「わかっていた。」 ルナは泣きそうな声で呟いた。 「テルは私たちの、太陽」 ルナはそういうと激しく咳き込んで僕の中で血を吐いた。 「救急車を!」 神主が叫んだ。 「いらないよ。」 「ルナがわかっていたって言ったんだ。だから今日僕たちは死ぬんだ。ユリ、僕も刺してよ。僕を一人にするなんて許さない。」 そういわれると、ユリは泣きじゃくりながら、汚れた包丁を持ってきた。神主も、テルも誰も手を出せなかったといわんばかりに手を出さなかった。 だからぼくも当然の様に刺された。  僕はルナをより一層強く抱え込んで 「次は宙の下でまた」 二人は息絶えた。 今の地球の一つ前の地球にて。 崩壊の前、僕はやはりその星を眺めていた。その時勿論言葉も文化も違っていた。それでも自然というものの在り方は全く変わらなくて、いつからか自然は人の営みに寄り添っていた。その星が出来て約二万年。彼女はある日おうちから出て僕を見つけた。彼女の家は厳しい家で、夜に出かけることは許されなかったけどお転婆だった彼女はしょっちゅう庭に出て僕らを眺めていた。僕らの光にぼんやり照らされた彼女は長い黒髪をキラキラ泳がせながら足を放り出して切り株の上に座っていた。僕は彼女が出てきた日にはずっと見つめて眺めていた。僕の光で彼女を照らしてた。 ある日突然彼女は僕に話しかけてきた。 「私はお友達がいないの!」 僕がいるよ 「お友達にはあだ名をつけるのよ、皆。」 僕たちに名前はないよ。そこに在って見守るだけ。それが在り方だから。 「あなたの事、何て呼べばいいのかしら、私。」 わからないよ……。 彼女は星の僕と会話ができた。他の星達とはできないようだったけど僕らは会う度に話をした。僕はそんなこと生まれて初めてだったから毎度嬉しくて舞い上がってしまった。 「今日は一段とキレイね!」 君が来てくれたからかな! 「私は今日ママにぶたれたからアザだらけなの。」 ええ!大丈夫なのかい。 「でも大丈夫よ!弟が生まれて気が立ってるだけよ。きっとそうだわ。」 「大丈夫、大丈夫よ……。」 その日は昼間に雪が降って彼女は夜ザクザクと音を立てながら、いつもの森の真ん中の切り株に積もった雪を払って座った。 「ねえ、聞いて。」 どうしたの。 「私は要らないんだって。」 そんなわけないだろう。 「いらない子、もう弟が生まれたから用済みだって!」 おちついて。 「パパとママは私を愛していなかったのかな。」 僕は、君を愛してる。 「誰も私のことなど愛していないのだわ!」  僕には彼女に何があったのか詳しいことはわからなかった。けれども彼女の両親があまりいい親ではなかったのは確かだった。最後から二日前の晩。 「あなたに名前をあげたいわ。」 「本を読んでずっと考えていたのよ。」 嬉しいなあ! 「まだ決まっていないのよ、二つまでは絞れたんだけど。」 「決まったら教えるわ!」 その次の日の夜、彼女は現れなかった。僕は彼女のお屋敷の広い庭を目を細くして眺めたけど、彼女らしき人は居なかった。風の気持ちよさそうな夜で、いつも彼女の来るお屋敷のはずれの森はふわふわと草がなびいて楽しげだった。彼女の腰かける切り株は僕が精一杯照らしてるけど、彼女がいなくてやっぱり物足りなかった。 次の日の夜、現れた彼女は。 片手に大きなナイフを持って白いワンピースはひどく汚れていた。彼女は春の切り株の上に横たわって浅く呼吸をしていた。彼女の血が年輪に染み付いた。 僕は悲しくて、怒りが抑えられなくて、巨大で乱暴な気持ちに包まれた。怒って、怒って、怒って、その親の顔を見たくて僕が手ずから殴りたいような感情に駆られて、その星に近づいた。 赤、白、黄、青、チカチカチカチカと地球の上を飛んで、落ちて、飛んで、落ちて、星々は僕の涙の代わりに泣き叫んだ。 「私はもう行くけど、次は宙の下で会いたいね。」 切り株の上の真っ赤な体に僕が降り注いだ。僕は彼女の体を抱きしめたかった。 ねえ、ルナ。僕の名前は? 「あなたの名前はステラ。きっとまた会いましょう。」
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