時間旅行の自己保存

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◆二〇四〇年・五月■■日  ずっと夢も無く寝ていたいと願ったとしても、嫌でも目は覚めてしまう。多分今日は五月の……何日だろう。もうずっと時計やカレンダーを見ていない。五月である、ということは分かるけれど、何日かまではさすがに体内時計では計り知れなかった。  閉じきった部屋で私はベッドに寝ることもなく床に転がっている。カーテンの隙間から光が漏れているところから、恐らく昼間なのは推測できた。床には栄養剤や完全食の袋が散らかり放題となっていて、これらと同じ床に寝そべって天井を見上げ、時間を貪るだけの私も、もはやゴミと同レベルなんだろう。いや、ゴミだった方がずっとマシだったかもしれない。  もう何日もろくに固形物を食べていない。そのせいか、私の体は健康ではありながら確実に衰弱している。けれど体の衰弱などどうでもよかった。著しく摩耗が酷いのは気力だった。  私は。私は結局、百十八人の私を殺したが。私は大罪人のままだった。何も変わらなかった。私の行いは何も変えられなかった。あれだけ私を殺して、私は自分の手をたくさんの私の血で染めたのに、過去も私が大罪人として生きているという現実も、何も変わらなかった。  じゃあ、私がやったことは、一体なんの意味があったんだろう。  虚ろな疑問だけが刻々と体の内側で蠢き、私の心を食い削っていく。それでも私はまだ首を吊る事はできなかった。何故なら何も償えていないからだ。償わずに死ぬ事だけは絶対に許されない。その信念だけが、気力を失った私の命と魂を、この薄暗く人間らしさが失われた部屋に辛うじて繋ぎ止めている。  ぴんぽーん……  インターホンの音。いったい、誰だろう。よろよろと立ち上がり、震える足を引きずってモニターの前へ向かう。  モニターの中には。  モニターの中には、真鍋が愛想笑いを浮かべて立っていた。 「よお、元気だったか?……と言っても元気じゃなさそうだな」 「……………………」  もう何日も人と会話などしていなかったからか、答える気力どころか口の開き方を忘れてしまっていて、私は無言でしか返事ができなかった。扉を閉じた玄関で、真鍋は苦笑いを浮かべて肩を竦める。そうした後、彼はカバンから何かを取り出して、突き出した。それは紙の束だった。 「………………?」  差し出された物の意味が分からず、私は無気力に真鍋の顔を見る。けれど真鍋は「とりあえず読め」としか言わず、その紙束を引き下げる事はなかった。震える手を引っ張るように無理やり吊り上げて、その紙束を受取る。たった十枚か二十枚程度のそれはやたらと重く感じた。  一枚目を見る。そこには私も知っているタイムマシンの第一人者である人物名と、『時間跳躍による過去改変の影響およびパラレルワールドと時間の自己保存について』と、表題が書かれていた。論文なのは一目瞭然だ。  その表題を見て私は眉間に弱々しく力を入れて真鍋を見る。真鍋はただじっと黙っていた。私も口を開く気が相変わらず起きないので、震える手で紙束をめくり、その中を読み始める。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 『時間跳躍による過去改変の影響およびパラレルワールドと時間の自己保存について』  『タイムパラドックス』『親殺しのパラドックス』  これらはタイムマシン誕生以前より常に討論されていた、タイムトラベルにおいて避けて通れない議題だろう。そこで私はある二つの実験を行い、これらの議題について検証を行った。  ■第一の実験  <実験日>二〇四〇年二月四日  <実験内容>過去に時間跳躍して木を一本切り倒し、それが現在でどのような影響があるか。  ○検証過程  <1>『二〇三九年・二月四日』に時間跳躍し、そこで一つの木を切断。  <2>帰還により帰還し、切断した木の様子を見る。  ・結果『木は切断されておらず、そのまま残っていた』   私はこれらを踏まえ、下記の通り引き続き検証を行った。  <3>『二〇三九年・二月五日』に時間跳躍し、切断した木を確認する。残っていたならば、切り株に×の印を付ける。  ・結果『木は切断されており、切り株が残っていた』   これは予想外の結果であった。×の印を付け、引き続き検証を行った。  <4>『二〇四〇年・二月三日』に時間跳躍し、切断した木を確認する。残っていたならば、切り株に○の印を付ける。  ・結果『木は切断されており、切り株が残っていた。×の印も残っていた』   ○の印を付け、引き続き検証を行った。   <5>『二〇三九年・八月九日』に時間跳躍し、切断した木を確認する。  ・結果『木は切断されておらず、そのまま残っていた』 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  記録されている検証結果に私は眉をひそめた。どういうことだ。私は何度やっても過去を変えられなかった。しかしこの実験では、特定の時間軸においては一部だけだが過去の改変が成されている。何故だろう。分からない。気力の無い心では、上手く知能が働かない。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ■第二の実験  <実験日>二〇四〇年三月二六日  <実験内容>過去に時間跳躍し、被験者に自分自身を殺させる。  ※この実験については、立候補した罪人によって同意の元行われている。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  第二の実験の概要で、私の手と目が思わず止まった。日付と内容。まるで私みたいだ。私以外にも他に、自分を殺したいと思った人がいたのだろうか。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  ○検証過程  <1>『二〇三四年・十一月十五日』に時間跳躍し、そこで自分自身を殺す。  ・結果『殺しても被験者は変わらず生きており、過去も何も変わっていない』  以降、『二〇三三年・八月六日』『二〇三三年・四月二九日』などに飛び、被験者は<1>の工程を繰り返した。  およそ百十八回ほど繰り返していたが、結果は全て同じだった。  この現象は第三者の手や物体への干渉だけでなく、自分自身を殺すという行いでも過去が変わる事はなかった。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  なんだ、これ、は。まるで私。いや、私なんじゃ。ないのか。  実験に協力? 実験ってなんだ? 私は何も知らない。私はただ、真鍋を買収して。タイムマシンを、借りただけで。そのはずで。だから。なんで、だ? 何故このような実験が?  その後も沢山、検証や数値を用いた考察などについて解説されていたが、どれも私の頭に入ってこない。紙を見ていてもその紙の上をただ視線が滑るだけだった。何も内容が入ってこない。ただ嫌な動悸だけが、私の鼓膜と頭をガンガン叩いている。殴っている。理解したくないと、警鐘を鳴らしている。  ただ、そんな私の視線が、思考が、ようやく止まった。止まって、しまった。  それは最後に書かれていた、論文のまとめだった。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  ――これらの結果から、私はある一つの仮説を立てる。  時間というものには『過去に起きた出来事や自分がやった行い』を『絶対に変える事ができない』という仕組みがあるという事だ。  私達がいる世界をαと仮定する。  今いる時間より過去に飛ぼうとすると、αの世界の過去ではなく、必ず類似した別のパラレルワールド、βの世界へ時間跳躍している(あるいは、飛ぶ事によりβの世界が新しく生まれている)  そこでの行いはβの世界であるから、βの未来に影響を与えたとしても、αの世界に影響を与える事はないだろう。  確かにそうであれば『タイムパラドックス』などは起こらない。『親殺しのパラドックス』も起こらない。  時間そのものか、あるいは第三の何かにより、理という名の大きな意志があるとしか言えないだろう。我々が一度関わった過去は、再び干渉できないよう、強固なプロテクトが成されている事は実験により明白だからだ。  私はこの現象を、『時の自己保存』と呼ぶ事にする。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「………………………………」  真鍋を、見た。真鍋はじっと私の方を見ていた。しかしその後にため息を付く。呆れが混じった、ため息だった。 「タイムマシンが簡単に借りれると思っていたのか? 俺だって苦労したんだ。……んで、『親殺しのパラドックス』を検証する実験としてなら喜んで貸すと持ちかけてきてな。まあ利害の一致ってやつだし、俺はお前の意思も聞かず、勝手に承諾したってわけだ。説明していなかったのは悪かった」  言っている意味が、分からない。否、分かる。しかし解りたくない。私は絶望の眼で真鍋を見続ける。 「で、”お前の実験結果”なども踏まえた理論がそれだ。……自分がやった行いは絶対に変えられないんだってよ。ハハッ。科学者のくせにまるで神様を肯定するような論文だよな。……馬鹿馬鹿しいけど、でも、それは事実なんだとよ」 「そ」  思わず、声が出る。喋り方を忘れかけた、掠れたわたしの声が。 「それ、だったら。私がやった、私が、私が殺した私、は」  私がやったことは? 私の贖罪は? 「……お前が殺したお前は、お前だけどお前じゃない、赤の他人って事だな」 「そ、そん」  そんな、  何も、見えない。視界が滲んでいて何もわからない。ただ床が近いことは分かる。膝から力が抜けたからだ。だから、床が、近い。 「まあ……なんだ。お前が殺した分だけ、今みたいな事が起こらず救われた世界ができたって、前向きに考えるしかないんじゃないのか?」  そんなの。  そんなの意味がない。  そんなの意味がないだって今が変わらないなら意味がない私がやった行為は変わらないなら意味がない私の魂が罪悪に黒くこびり着いて呪いとなっている事実は変わらないあの事件によって死んだ人も絶対に戻らない良い未来を作るための人々を殺した事実は変わらない変わらない変わらない変わらない変わらない意味がない  意味がない、のに、  私はこの手で私を百回以上も殺してさらに罪を重ねたのか。  自分の贖罪を未来に向けず、過去へと向けて、目をそらして、意味がないのに、過去へと目をそらして、そうして私はさらに沢山の”あやまち”を作ってしまったのか。  なんて、 「ぅ……あ、ああああああ」  なんて愚かでどうしようもなくて。  わたしは、  わたしは、どうしようもない最低な、罪人だ。
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