私の恋を手にするときは

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「工藤さん、シャインズ。連敗、抜けましたね。よかったですね」 「あっ、はい……っ、そうなんです」  岬さんは、優しい人だ。「ルールは分かる」と言っていた野球について、まるで同じシャインズファンのように話題を広げてくれる。前に、「優しいですね」と言ったら、「優しいというより、ただの仕事のスキルですよ」と返された。けれど、そんなことは決してないと思う。あとはシャワーで髪を流すだけ、というところまで順調に施術が進んだ。今は私の方が仕事中だというのに、岬さんの優しさに甘えてしまったことがふがいない。わずかに顔をしかめながら、シザーを置いたときだった。  入店のベルが鳴った。「えっ、工藤さん、いるじゃないですか」と入ってきたのは、ふだん私が担当している浅井(あさい)さんだった。ハイヒールをかつかつと鳴らしながら、浅井さんは私の方にやってくる。私が身体を強張らせると、彩さんが私と浅井さんとの間に滑り込んだ。 「浅井様、いらっしゃいませ」 「いやあの、工藤さんいるじゃないですか。さっき、工藤さんの予約は取れないって言いましたよね?」 「二時ですと、工藤は他のお客様の予約が先に入っておりましたので」  彩さんはあくまでも冷静に返すが、「でも私、いつも工藤さんなんですけど」と、浅井さんが声をとがらせる。さらにこちらに視線を向けられて、私は息を呑む。それとほぼ同時に、袖が軽く引かれた。岬さんだった。 「僕、もう髪を流すだけですよね。どうぞ、あちらの方をやってあげてください」  そう耳打ちされ、積み重なるふがいなさに眉根を寄せながら、「すみません」と深く頭を下げた。
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