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宮下からのメッセージを受け取ってから3日。佐竹は今日も油と汗と疲れにまみれた体を引きずるように家路に着く。押し寄せる日々の流れの中で断る文言を考える余裕などはなかった。佐竹が住むアパートの304号室のポストには近所のスーパーやピザ屋のチラシ、建売住宅の広告などが入っているだけで、近しい人からの私信などは入っていない。それらをすべて取り出して部屋の鍵をガチャリと開けたとき、佐竹のスマートフォンが鳴った。
「なぁ、ちょっと電話できるか?」
送り主はやはり宮下で、このメッセージの下には電話番号が記されていた。既読スルーを決め込むこともできるが、いずれにせよ連絡をしないといけない相手だ。佐竹は意を決して電話番号を入力した。
「もしもし。佐竹ですが」
「佐竹か。待ってたぞ。連絡」
宮下の声は底抜けに明るい。人生が設計図通りに順調に運んでいる奴とはやはり住む世界が違うのだろうなと佐竹はふと考えた。
「で、どうだ?同期会」
「それなんだけどさ……」
「出たくないなら出たくないってキッパリ言えよ」
宮下の言葉に佐竹は一瞬耳を疑った。
「お前は誰にも言わずに隠し通せたと思ってるかもしれないけどさ、お前が部活を辞めたいって言えないでいたこと、俺が知らないとでも思ってたのか?」
「……どういうことだ?」
「お前って昔から良い意味でも悪い意味でも責任感凄かっただろ?ましてやお前は不運なことにパートリーダーにまで担がれちまったからな。俺が辞めたら後輩も皆芋づる式にやめて部活自体が崩壊するんじゃないか、とか考えてたんじゃないの?」
あまりに的を射た言葉に、佐竹は言葉を失った。
「そうなったときに自分が責任を取れないんじゃないか、とかまで考え出したらそりゃ身動き取れなくなるよな。でももう俺達は高校生じゃないんだ。正直に言っていいんだよ」
「そうだな。宮下の言う通りだよ。そして僕は結局、あの3年間から何も学べなかったんだ」
佐竹は自嘲気味にそう言い放った。お客さんとのやり取りから得られるやり甲斐、福利厚生の充実、豊富なインセンティブ、スキルアップできる環境……耳障りの良い言葉を並べて志望者を募っていた就職先から与えられたのは残業が月100時間を超えるような過酷な現場だった。固定残業代や管理職手当のシステムを悪用し、払われる給料も微々たるもの。それでも、店長という立場を任されてしまっては簡単には退けない。佐竹は自分にそう言い聞かせて体と心に鞭を打ち続けた。その結果待ち受けていたのが数年のドクターストップ、そして社会からのドロップアウトだった。
自分の選択の失敗の責任は、誰も取らない。同じ失敗を2度繰り返して、やっと分かった真実。しかし佐竹にとっては、分かる時期があまりにも遅すぎた。
「宮下にも、他の同期にも悪いけど、僕にとって合唱部にいたことは人生の汚点であり、一生の不覚だと思っている。だから、行けない」
佐竹は絞り出すようにそう告げた。
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