第2話 経緯と決行

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第2話 経緯と決行

思えば自分がテニス部に入ったのは、ある種の憧れからだったのかもしれない。テレビや雑誌で見る選手のプレイに、どこか惹かれた……そんなつまらない理由からだった。 中学に入ってからはテニス部に入ろう、というのは、小学六年生の頃から決めていた。小学校にはない魅力の一つ、部活動というものに関心を抱いていたのも事実だ。 だから、入学直後に受け取った入部届けには、すぐに男子ソフトテニス部と書いて提出した。躊躇いはなかったし、なにより他の部活動には興味がなかったのだ。 そうして入った初めての部活動が、新鮮味を帯びた場所だったのは記憶に残っている。自分が何かのスポーツに打ち込み、汗を流すという行為に酔っていたのかもしれない。今思えば、の話だが。それは紛れもない事実だった。 最初の頃は素振りから入る。二年生も三年生も友好的にテニスの基礎を説いてくれたからか、すぐに自分も憧れを抱くようになる。自分もああなりたいだなんて感情は、生まれてから初めて持つものだった。 素振りをして、コート整備をして、大きな声を出して練習に挑んだり、模範となるべき後輩の在り方を求めていた。そうすればいつかは周りの先輩や顧問に認められ、本格的に試合に出られると信じていたのだ。 そうして二ヶ月ほどが過ぎた辺りだったか……顧問の口から、衝撃とも言える言葉が零れた。 次の新人大会に、僕は選ばれた。 一年生は僕を含めて十二人。そこから僕を入れて五人が選抜されたのだ。およそ半分が大会出場を決定され、歓喜に満ちていたのは今でも覚えている。 ようやく見えない努力が形となり、実を結んだわけだ。つまらないコート整備や先輩のサポートを我慢に我慢し行ってきたことへの報い。僕は正直に喜んでいた。 ……今思えば滑稽だった。なぜなら、 結局、───。 そのときの僕が何を抱き、何を思い、何を考えていたのかはよく憶えていない。朧気な記憶から取り出そうにも、上手く引き寄せられない。だから取り出すことはいつからか止めた。だが、なぜだろうか。そのときの目の前の光景だけは鮮明に残っているのだ。 新人大会に選ばれなかった人間の中には、強烈な劣等感を抱く者も当然いる。その中の一人に、僕は選手生命を絶たれたのだ。 新人大会も、その後の試合も、何もかも───。 きっかけは至って単純だった。そいつの名前は羽鳥皓大(はとりこうだい)。新人大会に選ばれなかった内の一人だ。彼とは小学三年生の頃からの付き合いで、いわゆる腐れ縁の関係である。友人───とは到底言えないだろう。昔から彼とは敵対していたのだ。 事ある毎に胸倉を掴まれ、何かある度に暴力を受けてきた。被害者と加害者、受ける者と与える者……そんな歪んだ関係だったのだ。 毒蛇、僕はそいつをそう思うようになった。地区も同じで距離としてベストだったのはお互いそうで、中学校は同じになったのは必然だったのかもしれない。そうして同じテニス部に入ったのは、本当の偶然だった。 そこから新人大会に選ばれた僕のことを、選ばれなかった羽鳥がどう思ったのかは想像に容易い。彼が妬みに暴走したのは、今思えば極めて自然な流れだった。無理もない。自分が四年間虐めてきた人間が優位に立ち、対する自分は切り捨てられたのだ。怒りと嫉妬に身を沈めるのも頷ける話であった。 羽鳥は新人大会の選出メンバーが決められた直後、僕を工事現場に呼び出した。無視しようと考えたが、どちらにせよ後々が面倒だった僕は素直に足を運んでいた。そして訪れた僕にそいつは嗤い、静かに一言口にしていた。 「なんでお前が」 それは確かな怒りの感情だった。羽鳥は感情のダムが決壊したかのようにその言葉を続け、僕を押し倒して下腹部に足を加え出していたのだ。 「なんでお前が、お前みたいな奴が……。腹立たしいんだよ、調子に乗りやがって!」 何度も何度も腹を打ち込まれたせいか、僕の口からは唾液が弾け飛ぶ。視界が眩み、痛みに全身を支配された。そうして直後、羽鳥は僕の脚を目掛けて容赦のない蹴りを数発入れる。等間隔で、怒りに身を任せた彼の顔は、悪意と敵意に歪んでいた。 そうしてどれほどの時間が経ったのか、気づけばもうそこに羽鳥の姿はなくなっていた。辺りは日が沈み、暗がりを帯びて夕暮れを見せつけている。そこで奴が帰ったことを悟り僕は、いつものように解放されて立ち上がった───はずだった。 ごきん、と、何かが壊れる音がした。 「……ぇ」 僕はその場にもう一度顔を伏せる羽目になった。なぜか両脚に力が入らず、上手く立ち上がることができない。その不自然に喘ぎながら、何度か挑戦してみるのだが、 この脚はもう、壊れていた。 やがて僕は通りがかった通行人に助けられ、車に乗せられて病院に向かわされた。そこで保護者に電話をかけると言われ、電話番号をその人に教えて、その後で診察を受け始める。そこで聞いた言葉を、僕は生涯忘れないことになった───。 「靭帯を損傷しています。緊急に手術が必要です」 結果は最悪なものとなって返ってきたのだ。 しばらくしてやってきた母親は不安と心配で顔色を変え、僕の体を思いっきり抱きしめていた。そうして手術の話を聞いた彼女は二つ返事で承諾し、後日僕は手術に掛けられることになる。 時間は経ち、回復し部活に戻ってきた僕はある話を顧問から聞いた。 どうやら新人大会では、僕の代わりに羽鳥が出たらしい。 「まあ、気の毒だったが、お前は今日からまた頑張れ。俺や仲間達もついてる。安心しろ」 安い言葉。そして笑み。自覚なき悪意が一番人を壊すことを、この人は気づいていなかった。それ以来僕は部活動を辞め、帰宅部になり放課後は一直線で帰路に着くようになった。それもこれも脚の損傷のせいだ。靭帯は今でこそ回復したが、試合にはもう出られない。医者のお墨付きなのだから、覆ることもない。 そうして生温い日々は過ぎ去り、今日僕はこの中学校を卒業した。思い残すことは山ほどある。またその記憶はどれもこれもが忌まわしく最低なものだ。 僕は結局羽鳥の暴挙を、学校にも親にも明かさなかった。 その理由は、今この手に握る、紛れもないそれにあった。 ───拳銃。それも、本物だ。 なぜこんな物を持っているのか、その理由から説明しようと思う。僕はこれを、帰り際に拾ったのだ。 最初はそれを質素な玩具だと思った。だから気安く手にもできたし、よく観察することもできた。だから、すぐに理解した。……これが、正真正銘、人を殺めることができる本物だということを。 手に持った感覚も、その重厚感も、威圧も、その何もかもが、これが紛い物ではないことの証だ。引き金には怖気付いて触れなかったが、それも今では違う───。 「バーン」 撃つような素振りで効果音を口にする。……とても解放的な気分になれた。そしてそれを素手で触っていることへの背徳感も、高揚に繋がり気分が高まる。 恐ろしいものを手にしたときの快楽、それは間違いなくこの世には存在したわけだ。 今は終業式を終えた放課後。誰も彼もが両親を引き連れて写真を撮ったり、友人と高笑いしながら帰ろうとしている。それを体育館倉庫の入口から見遣り、僕は静かに戸を引いて出る。自分の親には口実を付けて先に帰らせた。それに成功さえすれば、あとはこちらのものだ。 羽鳥の下駄箱には事前に一通の手紙を投げ入れた。内容は、挑発的に誘うような言い方で、屋上に来いと書いた。効果的になるよう、僕の名前を添えた。僕には自信がある。……これが奴を突き動かす、トリガーになることへの、絶対的自信が。 僕は逆戻りして校舎の中へと足を踏み入れ、誰にも見られないように屋上に向かう。屋上への鍵は予め盗んでおいたから、簡単に出入りできる。鍵はそのまま開けておき、あとは標的を待つのみだ。 「……」 ふと、スラックスのポケットからそれを取り出す。銀に光る刃先は綺麗に手入れされた、バタフライナイフ───これも今回は使おうと思う。これに関しては拾ったわけではなく、家の倉庫から入手したのだが、なかなかに切れ味は落ちていなさそうだ。 復讐、そうだ……これは復讐だ。 三年間の部活動を台無しにされたことへの、小学生の頃から陰湿にやられてきたことへの、あるいは───これからの未来を穢されたことへの、紛うことなき復讐劇。 僕はこれからそのステージに立ち尽くし、奴をこの手で殺してみせる。観客は誰もいない。いや、強いて言うなら……復讐をされる奴こそが、ただ唯一の、観客かもしれない。 僕は歓喜する、今この瞬間を。全身が喜びに溢れて溺れそうだ。 初めて人を殺すことへの高揚感。胸の内のドキドキが止まらない。大嫌いな人間をこの手で殺せることへの解放的気分、とでも言えばわかりやすいか。なんにせよ、この感情は生まれて初めてのものだ。 さあ、始めようか。 ───最初で最後の、復讐劇(ひとごろし)を。
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