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「お待たせ。」
黒いビニール袋を提げて、悠々と歩いてくる。留学生が近年増えてきたとはいえ、暗めの金髪に、緑がかった青い瞳は嫌でも一目を惹く。
「行こうか。」
週に1,2回僕たちはキャンパスのどこかの食堂で一緒に昼食をとるようになっていた。
「僕はちょっとメニューを確認してくるね。」
彼は、牛乳・卵・小麦のアレルギーを持っていて、食べれるものは人よりすごく少ない。エジプトの子供たちと食事をするときも、食べるものの成分に気を付けないといけないけど、彼はそれ以上に制限が多い。
「どうだった?」
列に戻ってきた彼に聞いてみると、ため息をついてかぶりを振った。
「だめだ、今日のメニューは不味いものしかない。」
彼のいいなと思うところは、自分の体質のことを僻んだり、申し訳なさそうにしたりしないところだ。不味いものはきっぱりと不味いと言うし、食器を分けたりとか一緒のものを食べたりとかする時も変に遠慮しない。そして、彼の食べ方はとても綺麗で、少ししか食べない時でも僕に合わせて、一緒に食べ終えてくれる。
「もう明日からは自分で昼食を作った方が良さそうだな。」
それを聞いて僕はクスリと笑う。僕が笑ったのを聞いて、彼も笑う。
「そういえば、ハンブルクがニュースになってたよ。」
「そうか。何で?」
「川が凍るから白鳥が引っ越しするって書いてあった。」
「ああー、なるほど。」
嬉しそうに、ターコイズブルーの瞳をきゅっと細める。
「ドイツが恋しいよ。特にこの季節になると。」
「へえ、何で?」
「まるで、クリスマスを奪われた気分だ!日本は、その・・・町にも、大学にもクリスマスらしいものが少しも無い。」
僕は、適当に相槌を打った。行ったことが無いから分からないが、きっと町中が飾り付けられるのだろう。大学もほんの気持ち程度に図書館前にイルミネーションが設置されたりしているが、ドイツの街に比べるとかなり安っぽいだろうことは、容易に想像できた。僕も一度、この時期にドイツに行ってみたいものである。それにしても、クリスマスを奪われた気分というのは、ずいぶん外国語的な表現じゃなかろうか。日本語を勉強している留学生と話していると、しばしばこういったことはもちろん起こる。意味は分かるけど、使い方が不自然というような・・・。でも、僕は自然な会話の流れを損ねないようにと思い、用法を指摘することはあまりない。
「それに、クリスマスのプレゼントを買わなきゃいけないのがイヤで・・」
「ああ、ガールフレンド?」
僕が顔をほころばせながら、彼の反応を見る。クリスマスプレゼントを買うのが億劫ということは、おそらく友達じゃなくて彼女なんだろう。
「うん、そう。冬休みに合う予定なんだけど・・・」
「うーん、そうか。」
僕は、コップの水で唇を少し湿らせた。
「指輪とかはどう?」
「指輪!?」
彼が素っ頓狂な声を出して、ゴホゴホとむせる。ずいぶん可愛らしい反応をする。
「な、なにを言い出すんだよ。僕はまだ、22歳だよ!指輪なんて早いよ。」
「うーん、そう?日本だと婚約してないカップルでも指輪を買う人もいるよ。」
「そ、そうなの?とにかく指輪なんて絶対に買わないよ!!」
「ふーん、そう?」
僕は顔がにやつくのを抑えきれずに、当惑した冬の空色の瞳を見つめていた。
僕たちは、食べ終わってからも30分ほど話し込んでいた。時間が経つにつれ、食堂の中も人がまばらになってきて、のんびりしやすい。そろそろ出ようかという雰囲気になって、僕はおもむろにカバンのから白いビニール袋を取り出した。
「あの、これ・・・」
彼は袋の中身を見ると、小さく驚きの声を上げた。
「おお、あなたが作った!?」
彼は、銀色にスプレーした松ぼっくりとビーズ、真綿で飾り付けられた小ぶりのクリスマスリースを手にして、目を輝かせていた。
「うん、昨日練習で作ってみたからあげるよ。」
「ありがとう、わあ、久しぶりにクリスマスの気分になったよ!これ手作りだから壊れやすいかな・・・。」
「ああ、壊れたらもう捨ててね。」
「いや、捨てない。絶対守る。」
「・・ありがとう。」
僕は、守るという言葉が今の場面に合わないことを黙っていた。もちろん意味は分かる。しかし、もっと適確な言葉は直す、気を付けるだろうか。日本人ならここで守るとは言わないだろう。ドイツ語や英語ではどんなニュアンスになるのだろう。良く分からない。間違ったままでよかった。その使い方はおかしいなどと絶対に言えなかった。間違っていても、ぴったりな言葉だった。僕は、彼の間違った日本語が心から嬉しかった。
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