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腕、一本多いんですか?
駅前で見つけた素朴な女性……大きな手提げバックを持ち、赤いダウンジャケットを着込んだその姿は、モコモコとしていて野暮ったさの固まりだった。
しかし服装に反して肩まで伸びた黒髪は艶々としており、きっと指を通せば抵抗なく滑っていくだろうと予測がついた。
長い睫毛がしげる垂れ目は妖艶な魅力をかもしだしており、可愛らしい少女のような鼻を際立たせている。
彼女は片手に観光用のマップを持ち、キョロキョロと辺りを見回していた。
それに気づき、俺はすぐに声をかけた。親切心ではない。下心だ。
「なにかお探しですか」
見知らぬ女性に話しかけるのは初めての経験だ。普段ならそんなことはしない。ただ彼女の野暮ったさが、自分にも声をかけることをためらわせないのである。
俺の第一声におかしなところはなかったようで、彼女は特に不快感を表すことなく口を開く。
「あ、その……この場所へ行きたいんですけど……」
彼女がマップ上の観光名所を指差した。そこまでの道のりは難しいわけではない。口頭で説明してもなんら問題ないだろう。
「ああ、これは……ちょっと難しいですねぇ」
嘘をついた。
「そうなんですか……私、ここに来るのは初めてでして……」
彼女は不安そうに目を伏せて、ぼそりと「どうしよう」と呟く。
助け船を出すならここだ。
「よければお連れしますよ」
「本当ですか! お願いします」
予想外に彼女の警戒心というのものが薄く、いくつか用意しておいた問答が無駄になってしまった。
頬を緩ませてニコニコと笑う彼女を見てると、服装も相まってきっと人と人に壁などない田舎から来たのだろうなと思い至る。
「都会の人は冷たいって聞いていましたけど、そんなことないんですね」
並んで歩き始めると、上機嫌に彼女が話しかけてくる。
都会――都会だろうか。確かに観光名所はあれど、地方都市と名乗るのもおこがましい発展具合だと住んでて思う。
うちが都会に見えるほど、彼女の地元は田舎なのかもしれない。ならばこのガードの緩さも納得できた。
「まあ、そうですね。困ってる人がいたら声くらいかけますよ」
「ありがとうございます。歩いてる人たちは見た目も違うし、こちらから声をかけづらくって……」
「見た目?」
「ええ。都会の人たちって、なんだか見た目が違いますよね?」
服装のことだろうか。
確かに彼女の服装は野暮ったい。悪く言ってしまえばダサい。もちろん俺も最先端のファッションを追っているわけではないが、それでも適当にダウンジャケット羽織って外出はしない。
「そうかな? 気になりませんよ」
だからといって、それを口に出したりはしないが。
「気にならない……そうなんだ……」
俺の答えはお気に召したようで、彼女の機嫌が少しばかりよくなったように思う。
「あの、よければなんですけど――」
蠱惑的な垂れ目をこちらに向けて、彼女が言う。
「今日一日、私の観光に付き合ってもらえませんか?」
どうやら俺の人生初のナンパは、大成功をおさめたようだった。
彼女とのデート中、何度も引っ掛かりを覚えた。
その違和感を口に出すと、おそらくは頭のおかしな人物扱いされ、ナンパの結果が逆転してしまうだろうから言えなかった。
例えば、俺が余所見をしていたせいで、うっかり人とぶつかりそうになったことがある。そのとき彼女は俺を引っ張ってそのことに気づかせてくれた。
例えば、急な階段を上がっていたとき、彼女が持っていた荷物のせいでバランスを崩した。あまりにも突然で俺は手を差し出せなかったが、彼女は手すりに掴まってなんとか体勢を保つことができた。
細かいものならもう幾つか思い当たるが、わかりやすいものはこれくらいだろう。
上記の例ですらそれほどおかしいものではない。
ただその時の状態……彼女の両手が塞がっていたことを除けば、であるが。
そう、彼女は両手が使えない状態で手を使っている。
当たり前のように、特に誤魔化す様子もなく、自然と手を使っていた。
もちろん使っていた瞬間を捉えたわけではない。それに彼女の見た目は腕が二本と脚が二本、それから頭のある普通の人間だ。
だからこれは俺には見えない三本目の腕が、彼女には生えているのではないかという荒唐無稽な想像だ。
「――今日はありがとうございました。おかげでとても楽しかったです」
出会った駅前まで戻ってきて、彼女は礼儀正しくぺこりとお辞儀をしてみせる。
辺りは日が沈み街灯にも灯りがついている。彼女の手提げバックはすっかり膨らんでおり、入りきらなかった物は反対側の手にある土産袋に入れられていた。
一日付き合ったかいあって、彼女とはかなり打ち解けていた。連絡先を聞けばきっと教えてくれるだろう。上手くいけばその後もやり取りを続け、深い仲になることも叶うかもしれない。
頭に浮かぶでたらめな疑問など口にしなくていい。
「あの、今日ずっと言えなかったんですけど」
「はい?」
それでも聞かずにはいれなかった。
「腕、一本多いんですか?」
俺の問いに彼女は目を大きく見開いた。そして瞳を慌ただしく逸らした後、少しばかり間を空けてから答えた。
「隠してたつもりだったんですけど、都会の人にはわかっちゃうんでしょうか……」
堂々と使っている印象だったが、彼女にとってはあれでもこそこそと行っていたらしい。
上機嫌だった調子が一気に冷めてしまったようで、彼女は顔を青白くしていた。
「やっぱりおかしいですか? 地元でもいないんです。腕が多いのって」
それはおかしいだろう。
だがこの奇妙な想像が現実にあったこと、それをコンプレックスとして気にしている彼女、気にしてなお俺の問いに答えてくれたという事実。
それらを踏まえて、とても正直に感想を言える気分ではなかった。
「おかしいってことはないですよ。世の中色んな人がいますから」
だからこういう無難な台詞が口についてしまった。
白々しい言い方をしてしまったかもしれない。もしくは本心のようにも言えたかもしれない。
実際、本心ではないとも言い切れない。見えない腕を持つ女性がいるくらいだ。世の中色んな人がいるだろう。
彼女はなんだかぼんやりとしていた。
どうしたらいいかわからず、合わせて俺も呆けてしまう。すると彼女の手提げバックから財布が取り出された。
どう取り出されたかはよくわからない。ただバックの口から取り出され、その中にある一枚のメモを差し出された。反射的に受け取った。
メモには名前と住所、それから電話番号が書いてある。『見つけた方はご連絡を』とも。
「それ、私の住所と電話番号です。実家ですけど……」
彼女の顔には血色が戻っていた。むしろ朱が差しているように見える。
「よかったら、本当によかったら、連絡くれると嬉しいです」
言うだけ言うと、彼女はくるりと背を向けて駅の方へ走っていった。
荷物が重いのかよたよたとしていたが、見えなくなるまで彼女が転ぶことはなかった。
改めてメモを見る。財布に入っていたところから、紛失した際に届けてもらうためのものだろうか。
住所には聞いたことがないような地名が並んでいる。このメモの存在が、彼女の警戒心のなさを裏付けていた。
しかしそのおかげで、俺の人生初ナンパは大成功をおさめ、最大の成果を獲得したのだった。
ホームで電車を待ちながら、ベンチに座ったまま女は携帯電話をとりだした。スマートフォンではなく、折り畳み式のまさしく携帯電話である。
(あ、携帯電話の番号でよかったじゃん。アホだなぁ、私)
電話を操作し、連絡先から実家の番号にかける。耳にあてて数コールで電話がつながった。
「もしもし――母さん? 今から電車に乗るよ」
それから彼女は今日一日の思い出を語り始めた。特に声をかけてくれた男性については詳細に、上機嫌に語った。
「それでね、その人私の腕が四本あることに気づいたの」
スピーカーから心配そうな声が漏れてくる。
「でも気にしないんだって。色んな人がいるからってさ。やっぱり都会の人ってすごいなぁ」
思い出して嬉しかったのか、女は口角をにこりと上げた。
「それに、都会の人って本当に見た目が違うんだね。私に近い感じ!」
彼女は見えている腕に視線を向けた。
「あんまり腕も使わないし、不便じゃないのかな……」
まだまだ電話は続きそうではあったが、それを中断させるようにアナウンスが流れる。彼女の目当ての電車を知らせるものだった。
「――電車くるって! じゃあ、また帰ったらね」
電話を切ると、彼女はベンチを立ち線路の先を覗いた。まだ彼女から見える位置に電車はいない。
(あ、母さんに男の人から電話きたら、私の番号言ってもらうようにすればよかった。やっぱりアホだなぁ)
(でも電話くれるかなぁ……くれるよね。ちょっとはお洒落したし、あの人良い人だもん)
(もしかけてくれたら……次は地元に招待しよ。それで私が案内するんだ。見て回るところなんて、そんなにないけど)
電車を待ちながら、彼女はずっと楽しい想像を続けた。
電車はまだやってこない。
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