言えなかった言葉

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言えなかった言葉

 言いたいことを言えない世の中を嘆く曲があった。教師・上役がルールを押し付け、生徒・現場の者がそれに反発する。あのころ、後者が正義であり、正義は勝つという結末を私たちは夢想した。もちろん現実には差し当たり与えられた環境に順応するか、黙してその場を立ち去るくらいしか選択肢はない。『GTO』も『踊る大捜査線』もファンタジーであり、ファンタジーだからこそ私たちは夢中になれた。  40歳にして私は出産した。育児は夫が手伝ってくれるので、およそ1年の育休はいい骨休めにはなったが退屈でもあった。職場復帰と同時に私は管理職に昇格。組合を抜け、とうとう部下に訓示を垂れる立場になってしまった。肩書は防衛開発部飛翔機械課課長。飛翔機械とは戦闘機やミサイルのことである。  娘が2歳になったある日、私は海外赴任の打診を受けた。  海外赴任はたいてい社内公募のかたちで行なわれる。欧米や韓国、シンガポールあたりなら希望者多数で選抜となるが、治安の悪いイメージが強い中東や南米は希望者が少なく、とくに女性は敬遠する。そこで社畜である私に白羽の矢が立ったのだろう。 「ヨルダン?」  夫は目を丸くし箸を持つ手を止めた。  私はうなずいた。  ヨルダンの現地法人に2年間の期限付きで。私はそう説明した。ヨルダンは中東の中では治安が良く日本人観光客も多い。公用語はアラビア語だが、英語ができればとりあえず問題ないとのこと。 「わかった。行ってきなよ」  夫の言葉に私は絶句した。ここは背中を押してあげなきゃと彼は考えたのだろう。  けれど私の本心は逆だった。『主人』が反対しているという断る口実が欲しかったのだ。  彼にしても、行ってほしくないというのが本音に違いない。まして幼い娘もいる。  ならば答えは決まってる。  私はヨルダン行きを受けることを上司に告げた。ぜんそくの治療のため3か月に一度は帰国するという条件付きで。  やや厚い純白の定形封書が私に届いた。差出人は山内充・真紀(旧姓・内田)。中身は結婚式の招待状だ。元カレ(一応)の結婚式なんて行くわけないし、時期的に行けることもない。私は同封されていた返信用はがきの『ご欠席』にしるしを付け、お幸せに! とひと言だけ添えた。気づけば40過ぎの真紀が身を固めるのはなによりだし、彼の借金問題が片づいたのならそれもなによりだ。親友として、元カノとして言うことはない。いや言いたいことはあるのだがあえて言わないでおく。  出立は12月上旬。クリスマスも年越しも家族と共に過ごすことはない。  その日の早朝、横浜市郊外に新築した自宅前に会社の手配したタクシーが迎えに来た。  娘の寝顔を見てから、私は夫とともに表へ出た。気温は0℃を下回る。あっちはあったかいだろうか。  初老の男性運転手がスーツケースを荷台に積み込むと、私たちは改めて向き合う。 「行ってらっしゃい」 「行ってきます」 「……」 「……」  私たちはきっと、同じ言葉を飲み込んだ。  それを口にしたところで意味はない。だって私たちは連帯してこの道を選んだのだから。  こうなったら、とことん上まで昇り詰めてやる。  そのとき、私はパンプスを脱ぎ捨て、セクハラするやつらをぶっ飛ばそう。  将来の娘のために。
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