モノ売る仕事

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モノ売る仕事

「アルバイトは渋谷109で服飾の販売員をしておりました。私が心がけていたのは、お客様の個性を見極め、かつお客様のご要望に添ったアイテムを提案することです。モノを売りつけるという姿勢ではなく、お客様のドレスアップのお手伝いをする。その姿勢に徹することで結果的にリピーターを掴み、お店の売り上げ増に貢献しました」  そしてまた、不合格。  2000年代初頭、就職氷河期。面接まで漕ぎ着ければまだいいほう。志望していたアパレル関連の企業はことごとく書類落ちか、採用自体がなかった。就活学生はみな陰鬱な表情をたたえていた。プライドを傷つけられ、自信を喪失してゆく。そしてその多くは非正規の職に就き、正規の職に就けた者も重いノルマを課されるなどして数年で辞めてしまう。  そんな中にあって、私は僥倖(ぎょうこう)だったといえる。まったく興味のない業種ではあったものの、片っ端からエントリーした会社の一社に引っかかったのである。大手の重機メーカーで、同期入社は私含めわずか10人。うち女子は4人だった。私の職種は事務の一般職で、総務や経理といったデスクワークを想像していた。そしてとくに出世することもなく二十代後半で寿退社する。私は極めて狭き門を潜り抜けた身でありながら、一方で景気が良かった時代のOL(という言葉もいまやほとんど使われなくなったが)のような人生設計を捨てきれずにいた。  ところがそんな生ぬるい想像はいきなり覆された。半月の研修後、最初に配属になった部署は本社防衛開発部・装甲車両課。私はその営業セクションの一員となったのである。防衛とはもちろん国防のことで、装甲車両とは戦車、装甲車、自走式迫撃砲といった鋼鉄製の特殊車両のことだ。  マルキューでギャル服を売ってた私が兵器を売ることになったのである。厳密には、防衛省の技術部門が企画した『製品』を、当社で設計・製造する。つまり実態としては共同開発に近いかたちを取る。営業セクションは、防衛省、社内の設計、製造といった各セクション、そして下請け業者の窓口役であり、同時に各プロジェクトの進捗管理を担う。私が担当したのは戦車の新規開発で、私の入社前から続く長大なプロジェクトだった(この戦車は2009年に陸自で装備化されたため、くしくもマルキュウ(09)式と名づけられる)。その完成に当たっては、メーカー側担当者として報道発表の場に私は立った。こちらが新戦車試作1号でございます。主砲として新型の44口径120ミリ滑空砲、副武装として12.7ミリ重機関銃と7.62ミリ機関銃を装備、また新開発の複合装甲により攻撃力、防御力ともに大幅な向上を実現しております。その一方で在来車に比べ1割程度の小型軽量化を実現し機動性は抜群。また陸自式指揮統制システムおよびセンサー検知による自動索敵(さくてき)機能を搭載した当戦車は弊社の技術革新のたまものであり、我が国の防衛力強化に寄与するものと自負しております。まさにスマートキラーの名に相応しいスーパータンク。どんな敵もイチコロです。※ 口上はイメージです。  このプロジェクトの成功を受け、私は当時の上司からキャリアコースへの転換を勧められた。  この会社には、モノづくりとしての保守と革新、事業展開としてのローカリズムとグローバリズムが共存する。上司の命令には絶対服従という体育会系の社風でありながら、一方で若手を積極的に責任ある立場に起用するという人事の方針がある。  私に出世欲はない。安定した生活さえ送れればそれでいい。女なんだから責任なんぞとは無縁でいたかった。けれど現に安定した生活を送れてるのは、氷河期に私を拾ってくれた会社のおかげだ。おまけにリーマンショックの影響で失業した知人もいる。現状維持で将来が安泰とは限らない恐怖も手伝い、私はコース転換を受け入れた。  その後、私は地方の支店や子会社を渡り歩いた。与えられる仕事はもっぱら営業で、たとえば建設機械を製造・販売する子会社では、地域の建設業者のおっちゃんたちを接待してはブルドーザーや油圧ショベルを売りつけ、そのアフターサービスやクレーム対応に奔走した。数年後東京の本社へ戻ると今度は土木機械部で営業主任を任された。私がさっそく取ってきた仕事はトンネルの掘削機械であるシールドマシンの共同開発プロジェクトだ。パートナーは横浜市営地下鉄5号線(仮称・パープルライン)新菊名工区を担当するスーパーゼネコン。私はプロジェクトのサブリーダーとして不眠不休の日々を送った。  身長150センチそこそこの平凡な女である私が、まさに身の丈知らずのモノを売り続けてきた。こんなのムリだよ、と思うような仕事も気づけば我武者羅に取りかかっていた。昼は歩きづらいパンプスで外回りをこなし、夜はスケベオヤジ相手の接待をもこなした。セクハラはなんとか我慢できた。が、本当につらかったのはタバコの煙だ。咳き込んではトイレに駆け込み吸入で発作を鎮める。心臓に過度な負担をかけることの連続だった。  それでも嫌とは言えなかった。だって私は氷河期採用、大海で溺れてるところをタンカーに助けられた子犬も同然なのだから。
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