格下の夫

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格下の夫

 平成とはどんな時代だったか。私なら転落の時代だったと答える。絶頂から奈落へ。そして続いた長期低迷。もちろんこれは経済に限った話で、物事には多様な捉え方があることを私は否定しない。とくにIT関連の技術革新は目覚ましく、ありていに言えば「便利になった」。ただし便利になることは必ずしも楽ができることとイコールではない。むしろやるべきことは増える一方で、人間の生活から人間らしさが喪失されてゆく時代であったともいえる。  そんな平成の終わるころ、母が癌で他界した。残された父は脳梗塞による身体の麻痺と言語障害があるため介護施設に入居したものの、新たな環境で長生きすることは叶わず、やはり母の後を追うように肺炎で息を引き取った。施設で父の介護を担当していたのは私とほぼ同年代の男性だ。聞けば有名私大の出身で、ラグビー部に所属していたという。イケメンではないが柔和な顔立ちで、筋肉の隆々とした巨体は頼もしい。父がお世話になりました。父の私物を引き取る際、私は彼に手作りのお菓子を差し出した。機会があればお茶でもご一緒できれば幸いです、と手書きのメッセージを添えて。 「結婚してください」  彼のプロポーズを受けたのは交際から半年ほどを経てのことだった。  もうそろそろかと事前に予測できたことだし、答えも決まっていた。  私は彼が好きだ。だからこそ父が死去した際、このまま関係が途切れることを望まなかった。  なのにいざそう言われると返答をためらう。彼の仕事は不規則で、私に負けず劣らず多忙である。なのに収入は、はっきり聞いたわけではないが私の半分程度と思われた。彼は私との格差は承知しているようで、俺が君の名字を名乗るからとまで言った。 「よろしくお願いします」  意を決し私は答えた。だってもう40まぎわなのだ。この先いい人に巡り会える可能性は限りなく低い。だから雑音のような思いは払いのけた。  彼が私の名字を名乗るという申し出は丁重に断った。もちろん彼の言うとおりにすれば旧姓と新姓を使い分ける必要はないし、クレカの名義変更など煩雑な手続きも行なわずに済む。けれど私が返答をためらった最大の理由はその申し出にある。彼はただ卑屈になっているだけで、それを気遣いと履き違えているのだ。もし彼が本当に自分の名字に執着しないなら、その申し出を私はこれ幸いと二つ返事で受けただろう。  そうじゃないんだよ、と私は言いたかった。  でもそれを口にするくらいなら、そもそも妻優位の格差婚なんてすべきじゃない。自分より稼ぐ女を前に男のプライドが傷つくのは避けようがないのだから。  ただ、形だけでもいい、私は守られる立場でいたかった。  私はジャニオタであることを打ち明けた。彼もオタであることを打ち明けた。お互い、交際中には言えなかった。私たちは笑い合った。
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