ep3 頂点Pの皇帝系男子と底辺BCのクズ系男子による三角関係を証明せよ。

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「清水さん、疲れてます?」 井口老師からいたわりの言葉をもらってしまった。 「あ、うん、ちょっとね……」 お客様に出すお茶を目の前で躓いて盛大に浴びせるというドリフの大爆笑的なミスをしてしまった私は、当然ながら課長に大層怒られ、社員から「反省室」と呼ばれる倉庫で片付けを命じられた。 控えめに言って、かなり落ち込んでいる。 南極に行きたい。 南極に行って私もペンギンになりたい。 ヒョウアザラシに捕食されるかもしれないが、それでもいい。 野生動物の血肉になり栄養になる方が、今よりよほど役に立っているだろう。 そんな私を見かねたのか、荒巻さんと井口老師が、手伝いに来てくれた。 ありがたさのあまり思わず「老師……!」と口走ってしまい、「え?」と真顔で聞き返された。 「3人でやればあっという間ですから、大丈夫ですよぉ」 「荒巻さんも、ありがとう」 「何かあったんですか? もしかして、例の人とうまくいってないとか」 さすが、老師の目は誤魔化せない。 「あー……まあ、ね」 「あれ、いぐっちゃんのデート作戦ダメでした?」 「ダメじゃないんだけど、今ちょっと、そのひとのコンディションがよくなくて」 「あらーそうなんですかぁ。それは心配ですねぇ」 荒巻さんはてきぱきと段ボールを引っ張り出して中を確かめては、ファイルをいくつかの山に分けていく。 私もちゃんとやらなくては、と思い、目の前の棚の段ボールに手をかけたが、それは見た目よりもかなり重く、手が滑って横倒しにしてしまった。 「うわっ!」 積もりに積もった綿ボコリが盛大に舞う。 ああ、もう今日は最悪だ。 ヒョウアザラシどころかサトゥルヌスに喰われても文句は言えない。 「ご、ごめんね……」 「だいぶお疲れですね」 井口老師は、ビタミン剤のCMに出ている女優のような表情になった。 2人とも、軽く咳き込みながらも一緒に掃除をしてくれる。 もう何度目かわからない溜め息が出た。 あらかた整理ができたところで、荒巻さんがパン、と手を打った。 「よし、焼肉食べに行きましょう!」 「あ、いいねマキちゃん。清水さんも行きますよね?」 「え、あ、ご一緒してよければ」 「もちろんですよぉ。元気出すにはやっぱりおいしいものでしょ」 そういうわけで、3人で会社近くの焼肉屋に行った。 やはり肉の威力はすごい。 タン塩に冷麺にデザートまでついているコースを注文して、HPMPは満タンだ。 ビールも飲んで気分が軽くなり、駅で2人と別れて上機嫌で家に向かった。 すると、家の前、門扉の手前の玄関ポーチに人影があった。 街灯に照らされたその人物は、どうやら男性であるようだ。 こんな時間に誰だろう? まさか、泥棒? 酔いがすっと醒め、私は慌てて隣家のガレージに停めてある自動車の陰に隠れた。 音を立てないよう、息を殺してバッグからスマホを取り出し、110番できるようにする。 男は玄関ポーチにずっと立っている。 侵入しようとしているふうでもないが、立ち去るでもない。 私は、いつかの足音のことを思い出した。 もしかして、この男だったのだろうか? そして、例のメリーさんもあるいは―― 見ていると男は、ポケットからスマホらしきものを抜いて耳に当てた。 不意に、手の中のスマホが震え出した。 「わっ!」 びっくりして思わずスマホを手放しそうになり、慌ててキャッチした。 なんとか地面に落とすのは避けられて、ふぅっと安堵したのも束の間。 「あれ?」 男が、こちらに気づいた。 しまった。 「理恵ちゃん?」 なぜ名前を知っているのだろう。 怖くなって、その場から逃げ出した。 「ちょ、おい!」 男は追ってくる。 いくらも走らないうちに、腕を捕まれた。 ナマケモノよりは多少早い程度の自分が憎い。 「や、やめて下さい!」 「いやいや、オレだよ」 「誰ですか。振り込め詐欺ですか」 「メール送ったじゃん」 やはりメリーさんだ。 本物のメリーさんが来た。 どうしたらいいのだ、こういうときは。 ポマードと3回唱えるのだったか? いや、全然違う気がする。 「け、警察呼びますよ……」 突発的な危機に弱い私はそう言うのが精一杯だった。 男は片方の手で頭を掻いて、不満そうな顔をした。 「あのさー、壮登(まさと)臼井(うすい)壮登だよ。覚えてねーの?」 「知らないです」 「幼稚園一緒だったじゃん」 「だから知らな――え?」 幼稚園が一緒だった男の子、というと―― 15秒は考えた。 その長い()にしまいには男が苛ついて、「ほら、さくら組で」とか「イモ掘り遠足のときさ」とか言い出してから、私は慎重に思い出した呼び名を口にした。 「……『まーくん』?」 「そう!」 男は我が意を得たり、と笑顔になった。 「やっと思い出したのかよーひでーな、忘れるなんて。メールも全然返事くれねーし」 「いや、だって名前書いてなかったし……」 「えー? アドレスに入ってるじゃん、masatousuiって。普通わかるっしょ」 わからない。フランス語か何かだと思った。 「なんで私のメアドを知ってるんです?」 この男が本当に「まーくん」だとしても30年以上関係が途切れていたのだから、携帯のアドレスを知っているわけがない。 「ああ、そりゃ――って、痛っ!」 男は突然何かに驚いて飛び上がるような動作をし、私の腕を放した。 「文左衛門さん?!」 いつの間にか、男のすぐ側に文左衛門さんが立っていた。 そして、(つつ)いていた。 男の腰のあたりを。 「痛っ、おい、なんだよこれ、ペンギン?」 男が狼狽していると、文左衛門さんは心なしかいつもより大きな歩幅でこちらへ来た。 そして嘴を上に向け、フリッパーを広げて、鶴のように首を伸ばす。 胸郭を震わせるような、どこか楽器に似た鳴き声が、力強く響いた。 これは、威嚇? 換羽を終えた、照り輝く白いお腹と上品なプルシアンブルーまじりの黒の背中が、私の前にすっくと立っている。 その姿は、頼もしく凜々しかった。 「文左衛門さん……」 助けに来てくれたのだ。 騎士(ナイト)のように。 「これ、お前のペット?」 「同居人です」 むっとして私は言い返す。 「ペンギンだろ?」 「そうですけど」 「はぁー?」 男は珍しい展示物を鑑賞するように、文左衛門さんと私を交互に眺める。 私はともかく、文左衛門さんに対して失礼極まりない態度だ。 もう一度、と言わず二度三度突いてもいいと思う。青痣ができるまで。 「まあいいや、ちょっと上がっていい?」 「はっ?! いや、それは……よくはないというか」 「えーなんでだよ。せっかく来たのに」 「知らないです」 そもそも本当に「まーくん」であるという証拠もないし、仮にそうだとしてもこれほど会っていない人であれば、ほぼ初対面ではないか。 そのとき、玄関のドアが開いて父が出てきた。 「何を騒いでるんだ?」 「お父様!」 ちょうどいい。この自称まーくんことメリーさんをとりあえず追い払ってもらおう、と思ったのだが―― 「あれ、壮登くんずっと外にいたのかい? 上がったら」 なんでそうなるの? とコント55号のように言いそうになった。 「あっどーもー、あざーす。じゃ、お言葉に甘えて」 甘えるんじゃない、と咄嗟に言えるほど腹の据わっていない私を差し置いて男はさっさと玄関に向かい、途中で「おい理恵、早く」と手招きする。 なぜ、もたもたしている私が悪いみたいな空気を出しているのか。 しかも2回目で呼び捨てか。 なにかともやもやしつつ、しかたなしに家に向かうと、もふっとした平たい何かが手に当たった。 見ると、文左衛門さんが無言で私の手を引いてくれようとしていた。 「文左衛門さん……」 言葉は交わせないけれど、このひとは私が思っている以上に私のことを気にかけてくれているのかもしれない。 私は温かなフリッパーをおずおずと握り返した。
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