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ep2 近づく心の距離、的なアレ
「昨日ね、飲み会だったんだけど」
今日もかわいらしい彩りのお手製弁当をつつきながら、井口さんが切り出した。
「ああ、相手も2人?」
答えたのは、隣に座っている同僚の荒巻さんだ。
「うん、そう」
「どうだった?」
「うーん、どっちも悪い人ではなさそうなんだけど」
「気に入らなかった? 顔とか?」
「なんかキャラが濃くて……」
「どっち方面で?」
「2人でプロレスの話ばっかりしてたのね」
「あーそっちかあ」
納得、というふうに荒巻さんは頷いた。
ほかにどの方面があるのかよくわからないが、井口さんはプロレスに興味がなさそうだし、きっと退屈だったのだろうと思った。
「仕事は?」
「ITだって」
「あー」
今度の「あー」は微妙にニュアンスが違うようだが、それは置いておいて、私は席を立ち、ポットと急須のあるコーナーへ行って3人分のほうじ茶を淹れた。
「あ、すみません清水さん」と荒巻さんが上体を傾けて言う。
「いえいえ、ちょうど自分が飲みたかったから」
これは、ほぼ実際に発話したとおりに表現している。
「ほぼ」と書いたのは、まだ口の中におかずの煮物が若干残っていたため「いえいえ」の発音がややもぐもぐしていたためだ。
3人の中では私が一番年長で、勤務年数も長いのでこれくらいはした方がいいと思うし、弁当用に詰めた昨晩の残りの煮物が、煮詰めすぎてしょっぱかった。
お茶を配ると、「ありがとうございまーす」と2人ともきちんとお礼を言ってくれる。
「ところで、マキちゃん(荒巻さんを井口さんはこう呼ぶ)の彼氏はどうなったの?」
「えっ……」
荒巻さんは箸を止めて言い淀んだ。
「――反省中、かな」
「……まだ喧嘩してるのね」
井口さんはそれ以上訊かなかった。
どうも荒巻さんの彼氏という人は浮気をしたようで、私と井口さんを相手に彼女がとても怒りながらその話をしたのは1ヶ月くらい前だったが、まだ紛争中らしかった。
経緯は聞いたものの、荒巻さんの説明による事態が『裏切りのサーカス』くらい複雑だったので、なんとなくはわかるけれどなんとなくしかわからなかった。
「清水さんは、気になる人とかいます?」
唐突に井口さんがこちらに振ったので、今度は私が箸を止める番だった。
口の中から煮物が飛び出さなかったのは幸いだ。
「えっ、気になる、ひと……?」
「あ、その反応はいますね? うちの会社の人ですか?」
「いや……」
おっとりしているように見えて、なかなか井口さんは鋭いところがある。
「あれっ、もしかして社外の人ですか?」
荒巻さんもなぜか目を輝かせている。
とてもカジュアルに尋問されている。
社外、といえば社外だけれど、そもそも人ではないし。
「どこで知り合ったんですか?」
荒巻さんは腕をテーブルの上に置いて手を組み、ドラマの刑事のような姿勢になっている。
私は容疑者のように少し俯いて、「知り合ったっていうか、わけあって同居することになって……」とぼそぼそ答えた。
「同居ぉ?!」
2人とも、サイレント映画の登場人物のような驚き方をした。
まあ、気持ちはわかる。
河童が発見されました、というニュースがNHKで流れたら、私だってきっとこんなリアクションになるだろう。
常識的に考えてあるはずのないことに対する、極めて正常な反応だと思う。
家に帰れば素敵な皇帝ペンギンがいるなんて、普通は想像できないに違いない。
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