テンポ

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 拓人の家を出てから、ものの数分で雨が降り始めた。君香はいつも携帯しているはずの折り畳み傘を出そうとしたが、トートバッグの中に見当たらなかった。そういえば、先日、自宅のベランダで干した後、それをバッグの中に戻した記憶がなかった。  道路の端でバッグの中を探っている間にも雨は強くなっていった。暖冬とはいえ、一月の雨に濡れては風邪を引きかねない。コートのフードを被り、君香は慌てて数十メートル先にあるコンビニまで走って行った。  温い空気で満たされたコンビニの中は、嗅ぎ馴れたおでんの匂いが濃く漂っていた。正直、その匂いが少し苦手な君香は、レジ前から離れ、女性向けのファッション誌が並ぶコーナーへ移動した。そうして、今まで読んだことのない雑誌を一冊手にし、しかし、誌面に目を向けることなく、ガラスの先の、雨降る夜七時の駐車場を眺めた。雨脚は、君香が外にいた時よりも激しくなっていた。  君香は、これからの事を考えた。このコンビニで傘を買って帰るか、それとも、駅よりは近いバス停まで走っていき、バスで帰るか。はじめは今晩の「これから」を考えていたが、だんだんと、拓人との「これから」に考えが移っていった。  合わない人間というのは、いるものだ。性格が、というより、テンポ、リズム、タイミングが。君香は、あと数十秒、いや、数秒あれば、謝っていた。「ごめんなさい。言い過ぎた」。その言葉を言う前、直前に、拓人に追い出された。  普段、拓人はせっかちな君香より余程のんびりしている。だというのに、今回は君香が間に合わなかった。いや、今回だけではない。今まで何度、君香は言いたかった言葉を拓人に邪魔されてきただろう。  謝罪の言葉、励ましの言葉、それから、愛情を伝える言葉…そういうものを君香が口にしようとする時に限って、拓人は彼の行動や言葉で制してくる。彼は、意識してやっている訳ではない。だからこそ、余計始末に負えなかった。どうでもいい話ばかりが届き、大切な言葉がちっとも伝えられない。そんなこんなで、拓人には君香が性悪女に見えているとしか思えない。  本当に、合わない。  それまで付き合ってきた彼氏たちは、皆、半分友達といった感じで、自分と似た性格の手合いだった。言いたい事を腹を割って話し、お互いに性格がきつい分、喧嘩になることも多かったが、それでも、伝えたい言葉を伝えきれないなんてもどかしいことは、なかった。  拓人とは、本当に難しい。彼は、それまでの彼氏とは違い穏やかで、だけど、一旦感情を露わにすると、君香が一番悲しくなるようなことを言う。  全く、合わないのだ、二人は。君香は拓人と付き合ってから十ヶ月、胸の中で何度も取り出し、何度も仕舞った提案を、ここにきて、もう一度取り出した。  別れよう。  本当は、二人はうまくいかないと、何ヶ月も前から結論は出ていた。その事実から目を逸らしていたのは、ただ、彼が好きだからという、それだけが理由だった。しかし、君香は拓人といると、どんどん自分が嫌いになっていく。段々と厭な自分になっていると感じていた。  もう、限界だ。見切りをつける時だ。雨に濡れてもいい、拓人の居る場所から少しでも離れたくなった君香は、コンビニから出る為、雑誌を窓際の棚にもどそうとして…ガラスの先の人物に気が付いた。
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