テンポ

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 黙れ!と、心が叫んだ。けれど、一度弾みがついてしまった口撃を止めることができなかった。  そもそもは、拓人(たくと)が悪いのだ。そう、君香(きみか)は自分に言い訳をしてみる。前々から約束していたデートの待ち合わせの時間に、三時間も遅れたのだから。だから、君香が怒ったのは当然で、自分を追い出した拓人は逆ギレもいいところだ。そう言い聞かせたところで、本当のところ、君香はわかっている。それにしたって、流石に言い過ぎたと。  拓人が約束に遅れたのは、バイト仲間の女性の子供が保育園で具合を悪くした為、シフトを代わってやったというのが理由だった。それは、よくある事で仕方なかったと思う。拓人も待ち合わせに間に合わないとわかった時点で連絡を寄こしたので、君香が駅前で待ちぼうけを喰らうこともなかった。  問題は、二つ。拓人がシフトを肩代わりしてやり、君香との予定を変更したのが今日だけでないこと…もう四回目だ…と、彼が事前に遅刻することを知らせておけば、それでいいと考えている節があることだ。  君香はそもそも、どちらかというと約束事や時間にうるさい性質だ。二人で映画を観に行く予定が拓人の家でのデートとなったのだが、彼の家に着き、顔を合わせた途端、君香の拓人への怒りは爆発した。拓人も、はじめのうちは自分に非があることから、大人しく、済まなそうな顔をして非難を受け止めていた。それが、どこからでだったか、顔つきが変わった。多分、あそこだ。「バイト先の皆に、どうせ、困った時に仕事を押し付けられる都合のいい奴だと思われてるんでしょ」。あれが、地雷だった。  本当は、君香は拓人のお人好しのところが好きだ。意識していなくても損得勘定で動いてしまう自分には、到底身に付けられない美点だとさえ思っている。だけど、軽くみられるのは惨めで嫌だった。「彼が」というのもあるが、簡単に約束を変えられてしまう「自分が」、「彼に」ぞんざいに扱われていると感じて、凄く嫌だった。  だからこそ、口から出た言葉だったが、多分、拓人も色々思う部分があったのだろう。それまでとは、ガラリと態度が変わった。その様子を感じ取り、君香の方もここが引き際なのだとは察した。引く、だけでなく、言い過ぎを詫びる言葉も必要だと、分っていた。だけど、その後も拓人を責める言葉は止められなかった。  どうして、本当の事を言っている自分が謝らなければいけないのだ。居心地の悪さから、自分の主張にしがみついた。その結果――…。 「そうやって怒ってばっかなら、もう帰って」  彼の家から、追い出された。
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