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そして美月は貴志にゆっくり考えさせようと一人にしてやる。彼女が向かったのは自室。用心深く扉をしめたのを確認してから、机にある生クリームの容器に触れた。
「まさか白色の絵の具を溶かした水で、ごまかせるとは思わなかったなー」
今美月の持っている生クリームこそが貴志が買って用意したものだった。そして床にこぼしたのは、ただ美月がフェイクスイーツの材料で生クリームに似せた絵の具水である。
まず美月は生クリームを自室に隠す。そして生クリームの代替品として作った濃いめの絵の具水をフローリングにぶちまける。生クリームがなくなった状態で冷蔵庫の近くでそんな事をすれば、誰もが生クリームをひっくり返したと思うだろう。
貴志もそれにひっかかった。容器がないはずなのに、よく見れば色が薄くさらさらしているはずなのに、そんな事にも気付かないほどに生クリームがなくなった事を嘆いた。
そうしたらこの付近に夜遅くまで空いているスーパーはないし、異性の手料理無理と言う。見事美月は兄のケーキ作りを中断させることに成功した。
「よし、ニーナに連絡だ」
次に美月は兄の気になっている人の名前を親しげに呼んで、携帯電話出し電話をする。ニーナはすぐに出た。
「成功したよ。兄ちゃんはもうケーキ作らない。良かったね、ニーナ、アレルギーあるもんね」
弾んだ声で美月は電話口に告げた。美月がわざわざ工作して貴志のケーキ作りをやめさせた理由。それはニーナがアレルギーだからだ。
美月のテンションに反して、ニーナは申し訳なさそうに答える。
『ごめんね美月。私がアレルギーだからもらえるかもわからない誕生日プレゼントで貴志先輩がケーキ作りするようなら止めてほしい、なんてわがまま言っちゃって』
「いいって。ニーナは私の大事な友達だもん」
美月とニーナ。二人は友人だった。しかしそのことを貴志は知らない。隠しているのだった。きっと『ニーナは私の友達なんだけどあの子アレルギーだから手作りケーキプレゼントするのははやめて』と美月が言うのが手っ取り早いのだろう。しかし美月はそれをしない。
「私の友達がニーナだって兄ちゃんだけには絶対に言いたくないんだよね。もし兄ちゃんに『紹介して!』なんて言われたらむかつくし。めんどくさくても兄ちゃんの前では知らないふりするから」
美月は真剣に怒っているのにニーナは笑っている。つまり、友人が兄とだけは絶対に結ばれて欲しくない。妹から見れば兄なんて冴えない面しか見えない。それにもし成就して友人より彼氏を優先されては腹立たしい。
しかし友人の心身は守りたい。だから美月は面倒でも事情を伝えずにケーキ作りをやめさせたというわけだった。
「アレルギーって大変だよね。確かアーモンドだっけ」
『そう。避ければいいかもしれないんだけどね、ケーキならアーモンドプードルとか、言われなきゃわからないものがあるから』
「アーモンドプードルって、犬?」
『アーモンドの粉みたいなやつ。美月ってフェイクスイーツはあんなに上手なのにお菓子の知識はないよね』
「私は食べておいしいとか見た目かわいいとかじゃないと興味ない。食べれるのを作るのは兄ちゃんの仕事」
アーモンドを食べるトイプードルを想像したのか二人は笑う。ニーナはケーキすべてが食べられないわけではないし、むしろケーキが好きでそれきっかけで貴志と親しくなれた。しかし使用した食品がまったくわからないものが食べたくないのだった。
貴志がケーキにアーモンドを使うかはわからない。けれど見えない形で使うかもしれないし、アーモンドを使ったと絶対に言ってくれるわけではないし、忘れてしまうこともある。だからニーナは手作りを避けたい。
『本当にごめんね。私からアレルギーだって言えれば良かったんだけど』
「……いや、わかるよ。めんどうだって思われたくないし、理解されなかったらこわいよね」
美月はアレルギーについてはわからないが、ニーナの気持ちはわかる。一緒に食事をするような相手にアレルギーと伝えて疎まれることもある。好き嫌いのようなものととらえられることもある。中にはむりやり食べさせようとする者もいる。
もしも貴志がそんな事をするような人物だったら、好きな人だからこそ怖い。
だからニーナは自分から言えなかった。美月から言わせれば貴志はあれだけニーナの事が好きなんだから主張を理解しようとするはずだが、ニーナにはそんな勇気が最初からない。だからまどろっこしい事になっている。
「今はいいけどさ、付き合えたらちゃんと言いなよね。二人ならスイーツ食べ歩きとかするだろうし」
『うん。そうする……』
「もし兄ちゃんにアレルギーの理解なかったら私がぶん殴るからね!」
ニーナはまた笑うが、それは美月の頼もしさからだ。もしも貴志に振られたとしても、美月がいるならそれほど怖くはない。
「明日の誕生日、いいものがもらえるといいね。それじゃあまたね」
美月は電話を切る。彼女にも他にやることがあった。机の下にある箱を取り出す。それはショートケーキを模したジュエリーケースだ。
「さて、私もニーナへのプレゼント仕上げないと。兄ちゃんよりすごいジュエリーケース作っちゃお」
別に美月は親切で兄にフェイクスイーツ作りを勧めたわけではない。こうしてニーナに渡すプレゼントで、自分は得意分野で挑むするためだ。それでもニーナにとっては兄の粗末なものが嬉しいのだと思うけれど、それでもプレゼントはする。ニーナが喜ぶ顔は見たいから。
ちなみに隠した生クリームは夜中に作業を終えた美月がコーヒーに混ぜて飲んだのだった。
END
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