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貴志は悲鳴を上げた。地獄から聞こえる呪詛のような悲鳴だった。
「目が覚めたら白……」
バイトから帰ってきた貴志は、仮眠を取って、寝ぼけながらも身を清めて、夜中にキッチンでケーキ作りをする予定だった。
しかし調理体勢の整った貴志が見たものはフローリングに広がったまだ液体状態の生クリームだった。生クリームは白い海のように広がっている。
「ごめん、牛乳かと思って飲もうとしたらこぼしちゃった」
犯人、貴志の妹である美月は牛乳をこぼした時のように謝った。しかしこれは牛乳ではない。生クリームだ。それもこれから好きな女の子に贈るケーキを作るための。
料理をまったくしない美月にはその重大さがわかっていない。
「なんてことしてくれたんだよ。牛乳と生クリームって、そんなん間違えるか!?」
「ごめんって。なんか最近なんでも容量減ってるからさぁ、牛乳もここまで小さくなったのかと思って」
「牛乳がここまで減ってたまるか。ああもう、今の時間じゃどこにも生クリームなんて売ってないだぞ! 誕生日プレゼントなのに!」
現在の時刻は夜の十一時。スーパーは空いていない。コンビニなら空いているが生クリームはない。そしてケーキは明日渡す予定。誕生日プレゼントだったのだ。どう考えても間に合わない。
今から代わりのものを急遽用意することもできない。
「……兄ちゃんさ、それ渡すのって彼女?」
床にぶちまけた生クリームを拭きながら美月は質問する。美月は大学生の兄に最近いい感じの後輩女子がいると聞いていたぐらいだ。バイトで知り合ったのだという。
「いや、まだ付き合ってないけど」
「だったらやめといた方がいいよ。付き合ってもいない男子の料理なんてキモくて食べれないし」
「に、ニーナちゃんは甘いもの好きなんだよ! 俺のケーキ作りの腕だって知ってる! キモいなんて言わない!」
図星を付かれたかのようにうろたえてから貴志は答えた。バイト先で貴志とニーナはそれなりに仲良くなってお互いのことも知っている。ニーナは甘いものが好き。だからケーキで喜んでくれる。そして貴志はケーキ作りが得意。何度か写真で見せればニーナも美味しそうと言ってくれたし、美月だってその腕は知っている。
「じゃあ例え話ね。もし兄ちゃんがムキムキした男の人に好かれて、プレゼントに手作りケーキをもらったら、食べる?」
「それは……」
「ちなみにムキムキの人はパティシエとします」
「……とりあえず怖いからその場はもらっておくけどあとで捨てると思う」
想像して、自分がとんでもない事をしかけたことに貴志はようやく気付いた。どれだけ甘いもの好きでも、相手が料理上級者でも、自分の事が好きな人の作ったものを食べるのには抵抗がある。しかも相手が自分より強い相手ならはっきり断ることもできない。
「でしょ。そのニーナちゃんもうまく断れなかっただけじゃない? きっと後で捨てられるようなケーキなら作らない方がいいよ」
「そ、それはそうかもだけど、実際プレゼントはどうするんだよ」
「私の道具とパーツあげるから自分で作りなよ」
フローリングを拭き終わり、手を洗ってから美月は言った。彼女は生クリームをダメにして、そうは見えないが反省はしているのだろう。部屋に戻って箱を持ってきてテーブルの上に広げる。
箱の中にあるのはミニチュアの果物や絵の具や粘土などだった。
「おお、お前の趣味の偽物ケーキ!」
「フェイクスイーツって言って!」
貴志の趣味はケーキ作りだが、美月の趣味はフェイクスイーツ作りだった。樹脂粘土などを使いケーキを模した小物を作る。それは友人達にも好評で、スマホケースなどをデコってほしいと頼まれる事もあるらしい。
その提案に貴志は納得した。スイーツではあるが最初から食べられないものだ。
「はぁ、なるほどな。食べ物じゃないほうがいいなら偽物の食べ物にすればいいのか。でも俺みたいな初心者ができるもんなの?」
「まぁ、ありもののパーツを使えればそれなりのもんができるでしょ。兄ちゃんは本物のケーキ作っててデコレーションセンスはあるだろうし。ほら、このパフェ容器使ってキーホルダーとか良くない?」
「うん、いい! それならニーナちゃんももらってくれるよな」
「使うかはともかく、捨てはしないんじゃない?」
ぐさりとする一言を付け足しながらも美月はさらに道具を広げた。アクリルケースに詰まった小さな果物に、絞り袋に入った粘土は生クリームやアイスクリームになる。ガラス絵の具はソースだ。
「あとは好きに使っていいから。まず使いたいパーツ選んで」
「あぁ。お、このアーモンドスライスよくできてんな。本物と見分けつかない」
「やっぱアーモンド使わないで」
「好きに使っていいんじゃなかったのか?」
「これはだめ。そう、高いから、高いから使わないで」
美月はぎこちなく言ってアーモンドスライスをしまいこんだ。それほど高くそうには見えないと貴志は思う。しかしすぐ材料選びを再開した。
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