2022.11.08 月蝕

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2022.11.08 月蝕

仕事を終えて外に出ると空を見上げた。 月が細く欠けている。 かなり前から注目されていた天体ショー。前は桃山時代で、織田信長も見ていたかもしれないと騒がれていた。 昔の人がこんなのを見たらさぞかし恐怖だったろうなと思う。 「何見てんの?」 不意に聞こえた声にびくりとする。それは密かに憧れている人の声だった。 まさか自分にかけられているとは思わず、目だけで声の元を辿ると肩を叩かれた。 「無視しないでよ、小山内」 「わ。っあ、三ツ橋」 「なんか上にあるの?」 背の高い三ツ橋は僕の肩のそばに顔を近づけると、長い首を持ち上げた。近くて息が止まりそうだ。 「おおっなんだあれ、月」 どんどん細くなっていく月を見つけて興奮気味な声を上げる。 「げ、月蝕」 「あーなんかニュースでも騒いでたね。こんなはっきり見えるんだ」 「あと、惑星蝕も」 「聞いたことない言葉だな」 「天王星も欠けていくって」 説明すると三ツ橋はぱちぱちと瞬きし、不思議そうな視線を向けた。 「すごい詳しいな」 そりゃそうだ。中高と天文学部だったから。でもそう言うと、地味な僕をじろっと見てから「っぽい」と笑われるのがオチだから言えない。 「…そんなでもないよ」 「またー。だって俺天王星って授業で聞いたことあるなーって位の言葉だもん」 「暗記したよね」 「した!」 会社でも人気者の三ツ橋とこんなに話したのは初めてだ。遠くから見つめるくらいしか出来なかったのになんの奇跡だ。 三ツ橋は楽しそうに月を眺めている。 「これさー全部欠けたらどうなるの?」 「少し時間を置いてからまた姿を現すよ」 とは言え、その間に幻想的な赤い月が姿を見せる。真っ黒く見えなくなる訳ではないのだ。 そう説明すると三ツ橋は感心したように頷いた。 「小山内って普段大人しいけど頭いいよな。知識が豊富だし。聞いてて面白い」 「やっ、何言って⁈」 いきなり褒められて動揺する。面白くない奴だと言われたことは何度もあるけど、面白いなんてそんな。 「ほんと。わかりやすいし、色々聞いてみたくなる」 「そ、それは、三ツ橋の方が」 「俺? ないわ。なんか勢いでやってるだけ。小山内みたくうまく説明する頭がない」 「そんな。でも三ツ橋みたくなりたいって憧れてる奴は多いだろ」 「どうかな」 三ツ橋は小さく息を吐くと「な」と話題を変えた。 「もうちょっと話したいし…ご飯行かない? 月が出るまで」 三ツ橋と食事⁈ まさかの展開に顔が赤くなった。 ほんとに何が起きているんだ? 三ツ橋と僕が⁈ 混乱し言葉が出ない僕を勘違いしたのか、気まずそうに頭をかいた。 「ごめん。急に何言ってんだってな」 そのまま帰ってしまいそうで慌てて服を掴んだ。 「違う! 行く! ご飯、行きたい…月が出るまで」 「あ、うん。良かった」 「うん。…、三ツ橋と行きたいんだ」 ほんの少し勇気を足して三ツ橋の隣に並んだ。ふわりと香水が香る。三ツ橋の匂いだ。 僕のドキドキが移ったのか、三ツ橋もほんの少し顔が赤い。目が合うと互いにはにかむように笑った。 「じゃー行こうか」 並んで歩き出す。 三ツ橋は僕の話を楽しそうに聞いては笑っている。僕も嬉しくて何度も笑い声を上げた。幸せだ。 いつもは早く月が出てこないかとワクワクするけど今日だけは。 いつまでも出てくるな、月。
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