44人が本棚に入れています
本棚に追加
2022.11.08 月蝕
仕事を終えて外に出ると空を見上げた。
月が細く欠けている。
かなり前から注目されていた天体ショー。前は桃山時代で、織田信長も見ていたかもしれないと騒がれていた。
昔の人がこんなのを見たらさぞかし恐怖だったろうなと思う。
「何見てんの?」
不意に聞こえた声にびくりとする。それは密かに憧れている人の声だった。
まさか自分にかけられているとは思わず、目だけで声の元を辿ると肩を叩かれた。
「無視しないでよ、小山内」
「わ。っあ、三ツ橋」
「なんか上にあるの?」
背の高い三ツ橋は僕の肩のそばに顔を近づけると、長い首を持ち上げた。近くて息が止まりそうだ。
「おおっなんだあれ、月」
どんどん細くなっていく月を見つけて興奮気味な声を上げる。
「げ、月蝕」
「あーなんかニュースでも騒いでたね。こんなはっきり見えるんだ」
「あと、惑星蝕も」
「聞いたことない言葉だな」
「天王星も欠けていくって」
説明すると三ツ橋はぱちぱちと瞬きし、不思議そうな視線を向けた。
「すごい詳しいな」
そりゃそうだ。中高と天文学部だったから。でもそう言うと、地味な僕をじろっと見てから「っぽい」と笑われるのがオチだから言えない。
「…そんなでもないよ」
「またー。だって俺天王星って授業で聞いたことあるなーって位の言葉だもん」
「暗記したよね」
「した!」
会社でも人気者の三ツ橋とこんなに話したのは初めてだ。遠くから見つめるくらいしか出来なかったのになんの奇跡だ。
三ツ橋は楽しそうに月を眺めている。
「これさー全部欠けたらどうなるの?」
「少し時間を置いてからまた姿を現すよ」
とは言え、その間に幻想的な赤い月が姿を見せる。真っ黒く見えなくなる訳ではないのだ。
そう説明すると三ツ橋は感心したように頷いた。
「小山内って普段大人しいけど頭いいよな。知識が豊富だし。聞いてて面白い」
「やっ、何言って⁈」
いきなり褒められて動揺する。面白くない奴だと言われたことは何度もあるけど、面白いなんてそんな。
「ほんと。わかりやすいし、色々聞いてみたくなる」
「そ、それは、三ツ橋の方が」
「俺? ないわ。なんか勢いでやってるだけ。小山内みたくうまく説明する頭がない」
「そんな。でも三ツ橋みたくなりたいって憧れてる奴は多いだろ」
「どうかな」
三ツ橋は小さく息を吐くと「な」と話題を変えた。
「もうちょっと話したいし…ご飯行かない? 月が出るまで」
三ツ橋と食事⁈ まさかの展開に顔が赤くなった。
ほんとに何が起きているんだ? 三ツ橋と僕が⁈
混乱し言葉が出ない僕を勘違いしたのか、気まずそうに頭をかいた。
「ごめん。急に何言ってんだってな」
そのまま帰ってしまいそうで慌てて服を掴んだ。
「違う! 行く! ご飯、行きたい…月が出るまで」
「あ、うん。良かった」
「うん。…、三ツ橋と行きたいんだ」
ほんの少し勇気を足して三ツ橋の隣に並んだ。ふわりと香水が香る。三ツ橋の匂いだ。
僕のドキドキが移ったのか、三ツ橋もほんの少し顔が赤い。目が合うと互いにはにかむように笑った。
「じゃー行こうか」
並んで歩き出す。
三ツ橋は僕の話を楽しそうに聞いては笑っている。僕も嬉しくて何度も笑い声を上げた。幸せだ。
いつもは早く月が出てこないかとワクワクするけど今日だけは。
いつまでも出てくるな、月。
最初のコメントを投稿しよう!