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プロローグ
男が一人立っていた。
白髪で長身。年の頃は三十ほど、なんとなく暗い印象を持たせる。
右手には大切なものなのか、丁寧な装飾が施されたターコイズのペンダントを右手に握りしめている。相当強く握り締めているらしく、右腕は血管が浮き出て汗が垂れていた。
そんな男が一人立っていた。
松明の光にぬらぬらと照らされる洞窟のような空間には、何か儀式でも行うのだろうか、燭台などが置かれた祭壇がある。
足元には魔法文字などが刻まれた魔法陣。すでに彼の血が染み込ませてあるそれを才能があるものが見てしまえば、「魔力」を超越して「瘴気」とも呼べる力の濁流を、絶え間なく吐き出し続ける様子に卒倒してしまうだろう。
幸いと言うか、皮肉なことにと言うか、彼にはその類の才能はなくこの惨状を目にすることはなく済んだらしい。
無造作に祭壇に置かれた、これもまた彼の血を染み込ませた骨製のナイフを手にとって言う。
「やっとここまできた。やっとここから始まるんだ」
これは祝福ではなく、呪いをその身に刻む儀式。
人間を捨てて、人ならざるものとして永久に生きるという呪いを。
終わりの始まり。こんな使い古された言葉では表しきれないかもしれない。
ただ、今は復讐から始まる物語であっても、大団円を迎えられることを祈るのみだ。
「今、会いに行く」
ドシュッ。
いかにも切れ味の悪そうな骨ナイフが、彼の胸へと突き立てられた。否、彼自身が突き立てた。
吹き出す血に怯む様子もなく、さらにグリグリと刃を進めていく。どうやら彼の頭に躊躇という概念はないらしい。
刃が見えなくなるまで深々とナイフを自分に刺すと、彼は残された両手の力で、依然として瘴気を吐き出し続ける魔法陣の中心へと這いずっていった。うつ伏せで這っているため、地面とナイフの柄の部分がぶつかり、さらに痛々しい。
中心へ到達した彼は動きを止め、呼吸も次第に浅くなっていく。
血が傷口から弱々しい脈拍とともに溢れる。さながら彼の残りの命を示す砂時計のようだ。
そして、完全に事切れた。
その瞬間。
魔法陣が鮮血のような赤みを帯びて発光する。
光は、まるで捕食するかのように彼の亡骸を包み、咀嚼するかのように膨張と収縮を繰り返して、飲み込むかのように亡骸を消してしまった。
松明の炎が揺れる。
そこには静寂があるのみだった。
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