幸福への逃げ道

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「私はいつ退院できますか?」 そう言った彼は昨日薬の飲み過ぎで胃を洗浄したばかりだ。 溜息が出る。 「病気が良くならないと退院はできないよ」何度も言ってるだろう、とは言わなかった。彼が今にも泣き出しそうな顔をしたからだ。 「ごめんなさい。わかっています。ただ、昨日は、その……薬をたくさん飲めば治ると思ったんです」 彼のこう言った行動は何も初めてじゃない。 喉や手首が痒いと血が出るまで掻き毟ったり気分が悪いと頭をぶつけたりもあった。その都度注意すると反省したようにしおらしくなるが一時的なものだ。何度も繰り返す。 「こんなことばかり続けていたら君の家族にも会わせてあげられないよ」 つい、そう言ってしまった。しまった、と口を塞いでももう遅い。 ごめんなさい、と彼が頭を下げる。泣きそうな声で何度も謝っていた。ああ、これじゃあ八つ当たりじゃないか。 ーーでも。 でも、彼自身、本当に治す気があるのだろうか。 不安に駆られての行動だというのは理解している。けれど、もう少し治療に前向きに協力的になってくれてもいいものだろうに。 「先生、大変そうですね。彼の治療は大変ですか?何かあれば僕にも相談してくださいね」 そう私に近づいてきたのはまだ若い男だ。白衣を着て眼鏡をかけ、マスクをしている。彼とはまた随分と長い付き合いになる。にこやかに声をかけてきた彼に言葉を返す。 「お気遣いありがとう。君に読んでほしい資料を部屋に置いておいたよ。目を通しておいてくれ」 はい、と頷いた彼も私の患者だ。 自分を医者だと思い込んでる厄介な男だ。私の言葉に納得したのか大人しく自室に戻ったようだ。安堵から息を長く吐く。 きっと、私の腕をかわれているのだろう。面倒な患者ばかりがここに集められている。 ……そんなことを考えてはいけないのか。
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