中学生

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 手術直後の父の状態は、あまり思わしくなく、母はこのまま助からないこともあると説明を受けたようでした。  母も父の元に通うため、仕事にも行けなかったので当然収入はなく、貧困生活は更に悪化していきました。  ある日、母が泣きながら、「パパが植物人間になっちゃったら皆で死のう?」と提案しました。  私は、少しだけ驚いたけれど、なぜかとても冷静だった。「いいよ」と普通に答えた気がします。  何のために生きているのか、よくわからなかったから。  特に夢もないし、学校は楽しくないし、幼なじみと一緒にいる時間だけは楽しいけれど、それが生活の全てというわけではないし。  そんな状態だったので、中学生の頃は生きることに執着はありませんでした。  それに、いつも明るい母が泣くくらいなのだから、今の生活が相当辛いんだろうなと思ったから。  死ぬことで楽になれるなら、それについていくのもいいかなと本気で思っていました。  しかし、父の生命力は凄まじかった(笑)  もちろんリハビリもしたと思いますが、仕事復帰するまでに回復しました。  定年退職がない職種なので、現在も仕事に行っております。  とういう経緯があり、私は命拾いしたわけですね。  そんな中で、私には将来の夢ができます。というと格好いいですが、将来どんな仕事に就きたいかですね。  父の見舞いに通う中で、漠然と人の役に立てる仕事がいいなぁと思っていました。  しかし、注射をしたり、手術の後の観察をしたりする看護師には興味がありませんでした。  私の頭の中には、福祉系しかなく、当時は障害を持った方を対象とした介護か、高齢者を対象にした介護かで迷っていました。   「介護の仕事がしたい」と言った私に、母は「大変だからやめておきな。汚い仕事もしなきゃいけないよ」と一度は止めました。  バレー部入部の時、母の意見は正しかった。けれど、それでも介護の仕事をやると言った時、母が何となく嬉しそうだったので、私の進むべき道はこれなんだなと確信に変わりました。  それが中学二年生の時。父が退院して暫くした頃、私は部活でいつものように校外を走らされていました。  走ることが大嫌いなので、何とかサボりたい。もう歩きたい。帰りたい。辞めたい。そんなことばかりを考えていました。  何となく下腹部がチクチクと痛くなり、食べた後にすぐ走ったりすると横っ腹が痛くなるように、そんなものかと思っていました。  しかし、私は何としてでもサボりたかった。  私が入部する前までは、最弱のバレー部だったのに、私の入学と共に顧問が変わり、他校を全国大会に導いた経験のある教師に変わりました。  当然鬼コーチなわけです。校外を走る私達を、般若の面のような顔をして見張っているわけです。だから、普段はサボれない。  けれど、その日だけはどうしてもサボりたかった。  そんなに激しい腹痛だったわけでもないのにも関わらず、仮病を使って「お腹が凄く痛いです。右の下っ腹が痛いので盲腸かもしれません」とランニングの途中でコーチにいいました。  いかにも痛そうに、顔を歪めて見せて、完全なる演技を全うしました。 「盲腸? 盲腸だったらもっとのたうち回るほど痛いだろう」  なんて言いながら呆れていましたが、「じゃあ、もういい。今日は帰れ」と帰宅するよう言われたのです。  コーチは、呆れて帰らせたのかもしれませんが、私は帰れることが嬉しくてたまりません。  帰宅すると、一部始終を母に伝えました。母には、昔から嘘をつかない主義だったので。  母は「お腹痛いんだったらちゃんと病院でみてもらった方がいいよ」なんて言う。  いやいや、仮病なんだよ。私は元気なんだよ。部活を早退できてひゃっほーなんだよ。  そんなふうに説得しましたが、近くのかかりつけ医院に連れて行かれました。  診察を受けると、仰向けに寝かされて、腹部をグイグイ押されました。そんなに押されれば誰だって痛い。 「ここは痛いですか?」 「あー……痛い気がします」 「ここと、こっちとどっちが痛いですか?」 「えーっと」 「もう一回押しますよ。こっちとここ」 「あー、そこ痛いですねぇ」  本当にこの程度。それなのに「ちょっとうちではもうみれないので大きい病院に行って下さい」そんなことになりました。  待って、ママ。私ただの仮病だよ? そんなに言うほど痛くないんだってば。  懇願も虚しく、市立病院へ連れていかれ、診察に検査。 「手術をしないとダメですね」 「え?」  鳩が豆鉄砲を食らったような顔とは、あの時の私のような顔でしょうね。  拒否権などなく、入院、手術。  術後に医師が「お腹の中に膿が溜まってたよ。あんな状態じゃすごく痛かったでしょ? よく我慢したね。あのまま膿が破裂したら、腹膜炎を起こして大変なことになってたんだよ」なんていう説明をしたものだから、震えました。  ただの仮病だったのに……痛みもそれほどなかったのに。私のあてずっぽうの盲腸は見事的中で、虫垂炎の腹膜炎一歩手前でした。  どうしてもサボりたくなって、ついに行動まで起こしたのは、虫の知らせだったのかもしれませんね。
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